第52話

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第52話

 夕飯の和食を堪能したあと、夜に伊織といろいろな話をするのが日課になっていた。  学校のこと、友達のこと、勉強のこと。みちるは今度のデザインのこと、後輩や取引先のことなど。  話するのは楽しい。デザインに煮詰まっていると、伊織はお茶を用意してくれたり、参考になりそうな資料をパソコンで検索してくれたりする。  こんな毎日が、幸せでたまらない。あっというまに、二週間が過ぎていた。  直登が帰国できる日が近づいてきている。今度は一週間は日本にいられるようだ。  伊織と一緒に暮らすと言った時から、直登は気になるのか、以前よりも頻繁にメールが来るようになっている。  一週間いられるのなら、会う約束やデートを増やしたっていい……という気にはなれなかった。  携帯電話がよく鳴るようになったので、直登から連絡が来るようになったと伊織に伝えると、彼はうーんと考えたあとに口を開く。 「ストラテジーだよ、みちるさん」 「ストラテジー?」 「今までみちるさんに男の影がなかったのに、いきなり俺が現れて、気になっている」 「直登だって浮気しているかもしれないのに?」 「それはそれ、これはこれ。男って勝手だよね」  なんだそれは、とみちるは口を曲げる。しかし、プライドの高い直登が伊織を気にしないわけがないと、今になってやっとそう思えた。 「みちるさんを自分のものだと思い込んでいるんだよ。だから、自分はなにをしても許される。でも、みちるさんがなにかすると嫌なんだ」 「そういうこと?」 「そういうこと。自分のしたことを棚に上げて謝ってきたとしても、『やっぱり私じゃなきゃダメなのね』なんて思わないでね、みちるさん」  みちるはうっと言葉を詰まらせた。似たようなことを蘭にも言われたような気がする。 「そんなことしたら、相手の思うつぼだよ」 「ちなみに友達にも同じようなこと言われたわ」 「でしょ。みちるさん、放っておくと悪い男に捕まっちゃうよ」 「もう遅いわ。伊織くんがまさしくそれ。小悪魔系男子だもの」 「あはは、ばれちゃった」  笑いながら伊織は舌をチョコっと出した。仕草もかわいい上に、スキンシップの絶妙さもあって、みちるは伊織の過度な接触を拒む気はとうに失せている。  みちるは話題から逃げるようにネットニュースに目を通した。最近の流行りや傾向をチェックするのも、立派なサーチングだ。  キスは毎回必ず止めるが、抱きしめてくるのも手を握ってくるのも、いくら牽制しても伊織は引かないので放っておくしかできない。  それでも伊織は、みちるに最後まで手を出したり、素肌に直接触れたりはしてこない。 (そのあたりのことを本当によくわかっているのよね、伊織くんって)  伊織の意地悪で余裕のある笑顔に、毎回みちるはしどろもどろになる。それを伊織は楽しんでいるようだ。  きっとすごくモテるのだろう。みちるは見た目だけは大人だが、恋愛は中学生の時からとまってしまっている。  直登以外とコミュニケーションを積極的にとってこなかったから、男性の扱いなどという高度なテクを持ち合わせていない。 「みちるさんは、美人だけどすれてなくて可愛い。ほんとは今すぐ食べちゃいたい」  みちるがタブレットから顔を上げると、すぐそこに伊織の顔があった。 「そんな甘い言葉にはのせられません」 「俺、みちるさんのこと全部受け止めるのに」 「それは……ありがとう」  みちるは笑顔になる。そういえば、今日はまだご褒美と言われていないなと思って首をかしげると、伊織はにこりと笑った。 「みちるさん。明日早いから、俺もう寝るね」 「あ……うん、わかった。おやすみ」 「おやすみ、みちるさん」  みちるの額にキスをしてから、伊織は寝室へ下がった。あまりのあっけなさにみちるはぽかんとしてしまう。 「やっぱり、振り回されてるよね、私――」  蘭に相談したら、その通りだと喝を入れられるだろう。  みちるもなんだか仕事に身が入らなくなってしまって、しばらくしてタブレットを充電器に差し込むと、寝室に向かった。
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