第61話

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第61話

 直登との会話はその後も順調に進んだ。  いつも通りの彼、いつも通りの自分。  しかし、どこかに冷めた自分がいるのは事実で、直登へのときめきが薄れていくのを感じていた。 (伊織くん、どうしているかな……)  口元を拭くついでに時計を見ると、時刻は二十一時を回っている。結局直登とは、楽しくおしゃべりをして食事を楽しむだけで、いつものパターンになりそうだ。  このまま彼はホテルに帰るのだろう。時差ボケがまだつらいから、ゆっくり休みたいと言うに違いない。  みちるが伊織の『恋愛対象外』になっているはずだと思い込んで妙に安堵したようで、直登は饒舌になりながらお酒をがぶがぶ飲んでいる。  出張のトラブル話を聞いていると、直登は突然胸ポケットを押さえた。 「……電話だ」  彼は携帯電話のディスプレイを見た。そして、ほんの少しだけ眉毛を動かした。  その時に、みちるの中の直感が働いた。 「悪い、上司からだ――出てくる」 「直登」  席を立とうとする直登をみちるは呼び止めた。直登は不思議そうな顔でこちらを見てくる。 「電話、ここで出ていいよ」  おしゃれなレストランと言えども、カジュアルな雰囲気だ。あまり大きくない声で話せば大丈夫そうだ。 「いや、外で」 「直登、早く」  直登は固まったまま、携帯を握ってみちるを見つめた。そのうちコールが終わってしまう。 「かけ直したら?」 「あ、うん……」  直登が渋っているその時、着信が鳴った。 「急いでいるみたいじゃない。早く、出てあげないと」  みちるの声が震えた。 「だから、外で出てくるよ」 「貸して!」  みちるは立ち上がると、携帯電話を持つ直登の手に触れた。その瞬間、手を勢いよく振り払われる。  電話は鳴りやんだが、すぐにメッセージが届いていた。 「……直登、本当に上司? 私に隠しごとしていない?」  立ち上がったままでいたため、周りからの視線が集中していることに気がついた。みちるはひとまず座ろう、と直登をうながした。 「ねえ直登。着信履歴、見せてって言ったら怒る?」 「みちる……」  直登の唇から血の気が引いていた。予感が確信に変わる。疑惑が、真実に近づいた。 「……みちるごめん」  テーブルにつくくらいの勢いで、直登が頭を下げた。精一杯強がるつもりだったのに、いつの間にか視界が滲んでいた。 「ごめん、本当に……」  事実を教えて欲しい。みちるの願いはそれだけだ。  謝ってほしいわけではない。今直登の身になにが起こっているのかを、をただただ知りたい。 「――俺、浮気した」 「うん」  みちるはやっと瞬きをする。溜まっていた涙が流れ落ちて、視界が一瞬にしてクリアになった。
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