第64話

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第64話

「みちるさん、おかえり」 「うん、ただいま。伊織くん――」  ぎゅっと伊織にしがみついて、胸に顔をうずめた。入浴剤とシャンプーの匂いがする。  風呂上りの香りにまじっている、伊織の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。  しばらく離れたくなくてくっついたままでいると、伊織はみちるの頭をよしよしと撫でながらひょいと持ち上げてリビングまで連れて行く。  ソファになだれ込み、みちるは伊織の胸で静かに泣いた。  ぎゅっと抱きしめられると切なくて、苦しくてはちきれんばかりになる。伊織はなにも言わないで、小さい子をあやすようにみちるを抱きしめてくれる。  涙が止まるまでくっついていると、冷え切った身体がホカホカとしていた。 「みちるさん、ご褒美」  顔を上げて両手て頬を包まれると、伊織がのぞき込んでくる。ぐちゃぐちゃな顔をしているから離れようとしたけれど、伊織はみちるを離さなかった。 「ご褒美は、今日はちょっと……」 「今日は、俺がみちるさんにあげる。頑張った飼い主さんを、いっぱい甘やかすの」  優しく唇が触れて、数回温もりが重なる。親指で涙をぬぐってくれて、頭を撫でられながら舌先が唇をかすめていく。  眠くなるような甘ったるいキスとともに、伊織の瞳がみちるをじっと覗き込んでいた。 「なにしてほしい、みちるさん?」 「ぎゅって」 「他は?」 「あとは大丈夫」 「じゃあ、俺が勝手にするね」  まずはお風呂入って来てねと言われて、みちるはバスルームまで連れて行かれた。 「頭洗ってあげる」  湯船に入ってしばらくすると伊織が入ってきて、問答無用でみちるの髪の毛を洗い始めた。  誰かに頭を洗ってもらうなんて、美容院以外では初めてのことだ。みちるは気持ちよくて眠くなってしまう。  風呂から出ると髪の毛を乾かしてくれ、目に当てる保冷剤まで用意してくれた。  温かい飲み物を飲んで眠くなってきた時にはみちるの要望通り、伊織がぎゅっと抱きしめてくれた。  くっついていると心地好い。 「みちるさん、お疲れ様」  結果がどうだったとか、なにを話したか、伊織は聞いてこなかった。  しかしきっと知りたいだろうし、言っておかないといけない気がしてみちるは口を開く。 「ありがとう。やっぱり浮気だったの」  かいつまんで話すと、うん、うんと伊織は相槌を打つ。 「で、別れないでほしいって言われて……考えさせてって言ってきちゃった」 「うん」  ダメだと言われるかと思ったのだが、伊織の反応はちがった。みちるはゆっくりと彼を見つめる。 「グズグズしてるよね、私も」 「話し合えたんだから、いいんじゃない。それに、気持ちってそんなにすぐに片付くものじゃないでしょう?」  特に、みちるさんの場合は、と言われてみちるは思わずそうねと笑った。伊織の唇がゆっくりと重なってきて、力が抜けていく。 「続きはベッドの上でね」  ひょいと横抱きにされたかと思うと、伊織はみちるを寝室へ連れ込んだ。
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