第69話

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第69話

「ただいま」 「お帰り、みちるさん!」  ソファで横になっていた伊織が、パッと起き上がると玄関まで飛び出してくる。そのまま抱きつかれて、嬉しそうにみちるのマフラーに顔をうずめてきた。  まるで大型犬のようで、みちるはついつい笑いながら伊織の頭を撫でた。 「あのね、今日はちょっと早く帰ってこられたんだ。だからビーフシチュー煮込めたの。みちるさん好きでしょ?」 「好き。よくわかったね」 「直感――。俺、冴えてるから」  散々抱きしめられてから、頬にキスをされて、みちるはびっくりする。伊織がゼロ距離のパーソナルスペースだったことを思い出し、急に恥ずかしくなる。  悟られないように頭を撫でると、伊織は喜んだ。 「ご飯が美味しかったら、あとでご褒美たっぷりちょうだいね」 「はいはい。お利口なペットくんには、ちゃんとご褒美あげないとね」 「わかってきたじゃん、みちるさん!」  伊織はみちるの手を引っ張って室内へ誘う。手を洗っていったん着替えてから席に着くと、そこには美味しそうなビーフシチューがほっくほくの湯気とともに用意されていた。 「あー……幸せ」  思わず漏れ出た言葉に、伊織は満足そうにほほ笑む。あまりにもその顔が可愛くて、みちるのほうが照れてしまった。  一緒に食事をし、片付けまで伊織がしてくれる。なんとも贅沢な暮らしだなと思いながらお風呂でゆっくりしていると、幸せ過ぎて現実じゃないような気さえしてきた。  これが夢だったらどうしようと思ったのだが、それなら夢だと気がつくタイプなので、これは現実だとひとしきり納得する。 「みちるさん、髪の毛乾かしてあげるからこっち来てねー」  どうりでドライヤーが無いと思っていたら、ちゃっかり伊織は準備してソファで読書をしていた。ブローまでしてくれたあと、洗いたての髪の毛に伊織はじゃれつく。  クルクルと指に巻き付けたり、髪の毛に顔をうずめて匂いをかいだりしていた。それがあまりにも犬っぽいので、みちるは苦笑いしか出てこない。うしろからぎゅっとされた時に、立派な男性だったなと思い出した。 「ねえ、みちるさん。ご褒美欲しいな」 「噛み噛みの骨っこ、今度買ってこよっか?」 「あはは! そんなこと言えるくらい、余裕出てきたんだね」  伸びてきた手に後ろを向かされて、伊織の熱っぽく潤んだ瞳と目が合う。しまったと思った時には、唇が触れていた。 「――だから、キスはだめだってば」 「だってみちるさんが余裕っぽいから……腹が立って」  じゃあこれは、と言われて、伊織の舌先がみちるの唇を舐める。 「なっ……!」 「キスしてないよ。これならいいでしょ?」  逃げようとしたが、いつの間にかしっかりと肩を掴まれていてまったく動けない。  伊織は犬っぽいだけで、決して犬ではないし、ましてや大人の男性だった。なめてかかっていると、こうしてしっぺ返しがくる。 「だめ、ダメダメ!」 「なんでー?」  みちるがなにか言おうとするたびに、いたずらっぽく唇を舐められる。伊織の舌が、みちるを拒絶させまいと攻めてきた。 「キスはだめなんでしょ? これはキスじゃないでしょ?」 「そ……うだけどっ……こら、ダメって言ってるの、に……!」 「あはは、みちるさんかわいい……顔真っ赤。余裕がないくらいのみちるさんのほうが、ご褒美のおねだりしがいがあるなあ」 「っ――――!」  結局、みちるは伊織にされるがまま、最終的には額にばっちりキスを落とされて解放された。
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