第72話

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第72話

「伊織くんは……でも、だって、私じゃ歳が離れているから」 「それ、重要?」  なぜか怒ったように言われて、なんだか悲しくなってくる。 「重要って言うか、事実で……」 「気にする必要ある? じゃあ、歳が近ければ正解なの?」  あまりにも正論すぎることを言われ、みちるは答えが出せない。 「人の恋愛に、正解も不正解も無いでしょう? お金のあるなしが、幸せか不幸かを決めるわけじゃないように、年齢はただの数字だよ」  ぐっと伊織が迫ってくる。やめてと言おうとしたみちるはあっさりソファに押し倒されて、両手首をがっちりつかまれていた。  もちろん、伊織は細いけれども上背もあって力も強い。敵うわけがない。 「ねえみちるさん、いい加減、数字にこだわるのやめてよ……それ言われて傷つくの、自分だけだと思っているの?」  ハッとしてみちるは伊織を見た。確かに伊織は怒っていた。それも、静かに。 「年齢で差別して、距離を取られている俺の気持ち、考えたことある? 無いよね、みちるさんはそういうところ自分勝手だから。気を遣っているように見せかけて、自分を傷つけないようにしているだけ。そのほうが楽だもんね」  悲劇のヒロインだね、みちるさん。  図星を言われて、みちるの心に大きな風穴が開いた。まるでバズーカでズタボロに撃ちまくられた後の様な痛みだった。  しかし、みちるよりもきっと、こうして怒っている伊織のほうがつらいに決まっている。 「ごめ……伊織くん、ごめん」 「みちるさん」  伊織がみちるの唇に、ほんの少しだけ自分の唇を当てる。至近距離で覗き込まれて、みちるは言葉も血の気も失った。 「行ってきていいよ。もちろん、俺にそれを止める権利は無いから」 「でも」 「でもね」  かぶせるように言いながら、伊織が額をきっちりくっつけてきた。 「でもね、ちゃんと帰ってきて。あと、嘘はダメ」 「うん……ごめん」 「それから、俺が良かったら、二十一時までに連絡ちょうだい」  意味を理解しかねて困惑すると、伊織はちょっと顔を離してみちるを見つめてきた。 「意味、わかる?」 「その……」 「いい男が居なくて、俺のところに帰ってきたくなったら連絡して。その時はいっぱい悪いことして満たしてあげるから覚悟してね」  そんなことを言われて、婚活パーティーに集中できるわけがない。それを見越して言っているのだから、伊織の質の悪さは最上級だ。  今一度唇が触れようとして、寸前でかすめて去っていく。みちるを引っ張って抱き起こすと、伊織はいつもの笑顔になっていた。 「待ってるからね、みちるさん」 「そんなこと言われたら」 「みちるさんの隙間につけ入るの、俺の常套手段だから」  みちるは参ったと息を大きく吐きながら、両頬をパンと叩いた。 「……俺、ずっと待ってるよ」 「わかった。どっちにしても連絡するから」  それから、絶対に帰って来るからとみちるは口を尖らせた。 「ガトーショコラ、食べたいもん」  伊織はこらえきれない様子で笑いだすと、みちるをぎゅうっと強く抱きしめた。  結局、この美しい青年の手のひらの上で、ずっと転がされっぱなしになっている。そして、それが嫌じゃないと思っている自分がいることに、みちるは気がつき始めていた。
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