第73話

1/1
前へ
/109ページ
次へ

第73話

  *  仕事を早く終えて、みちるはいつものパンツスーツのまま会場に向かった。  着替えて行くのが億劫だったからではない。仕事として行くという気持ちを崩したくなかったからだ。  でなければ、本当に婚活パーティーを楽しみにしてきている人に、申し訳が立たない。  おしゃれして、おめかしして来るであろうその場に、いかにもなパンツスーツ姿で赴けば、結婚目当てには見えないはずだ。  ただし、ヒールだけは履き替えた。  どんな場所だったとしても、自分らしくいたい。そして、自分の意見をしっかり持ちたい。  仕事のつもりで来ると決めた時から、みちるはいつもの勝負用のヒールで行くと誓っていた。  ヒールをはけば、元が背の高いみちるは、より一層高くなる。だから、交流の場において結婚対象に見られないだろう。  そういう場では、小柄でおしとやかで、可愛らしい女性がモテるのだ。今までもそうで、これからもそのはずだった。  会場に到着すると、すでに半分以上の人が集まっているようだった。少し緊張したのだが、コードを見せればすんなり入ることができる。 「来てよかった、かも」  すぐそう思えたのは、ホテル自体も素敵だったのだが、併設されたショッピングエリアのディスプレイが見事だったからだ。  すでに受け付けは済ませたのだが、みちるはまだ時間があったので、ディスプレイのほうへ吸い寄せられるようにして歩いた。  パシャパシャと写真を撮りながら、照明や使われている物のチェックをしてしまう。職業病だとは思いつつも、楽しくていくらでも見ていられる気がした。  結婚式場もあったので、開始あと五分だったのだが我慢できずにそちらへ足を運んだ。  結果としては、そこに見入った挙句写真を撮りまくり、気がつけば大遅刻となっていた。 「わ、いっけない――!」  大慌てで会場に戻ると、座席が用意されていてすでに談笑している姿が見える。しまったなと思いつつも、空気を悪くしないように入って着席した。  初めての婚活パーティーで緊張したのだが、目の前に座った優しそうな男性も、みちると同じく緊張している風だったのですっかり気がまぎれた。  そのあと数回席替えのような事をして、相手がクルクルと変わったのだが、結局どの人もピンと来なかった。  みちるは自分がそんなこと言うのはおこがましいと思いながら、自分の前に座らされてしまった人のほうが不幸だと思って、心の中で何十回も謝っておいた。  フリータイムになり、席も崩されて立食形式になると、やっと緊張から解かれたように脱力した。ブッフェスタイルになった会場には、いい香りが立ち込めていて食欲をそそる。  さすが評判のホテルというだけあって、見た目もおしゃれなフィンガーフードや、お肉お魚とバラエティに富んでいる。  みちるは気疲れと色々とで、お皿においしそうなものをよそうと、楽しそうにしている人たちから少し離れてそれらを食べた。 「……いいな、キラキラしていて」  みんなそのつもりで来ているのだから、ドキドキとワクワクが入り混じった顔をしている。運命の相手と出会えるかもしれないチャンスを掴もうとしている笑顔は、見ていて楽しかった。 「ーー君も、代打で参加?」  突然声をかけられて、みちるは肩が飛び上がった。  完全にぼうっとしていただめ、話しかけられるとは微塵も思っていなかったのだ。  声のしたほうを見れば、きっちりとした上質なスーツを着た男性が、みちるを見下ろしていた。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

137人が本棚に入れています
本棚に追加