第79話

1/1
前へ
/107ページ
次へ

第79話

「裏を返せば、俺のことをペットとして見られなくなるくらいには、男として意識してるってことだよね」  伊織は涼しい顔ですごいことを言ってのける。すっかり映画どころではなくなった気持ちがして、みちるはムッとした。  こうなったら、今すぐにでもB級ホラーのDVDに変えてしまおうと思い立って、立ち上がって取りに行く。 「伊織くん、今日はもうホラーナイトに変更するからね」 「出た出た、みちるさんお得意のB級ホラー。趣味悪いように見えて、面白いんだよね」  伊織はいたずらっぽく笑うと、今観ている映画を止めた。ネットでチェック済みのホラー映画を用意して、部屋を暗くする。  再生ボタンを押すと、何十年も前のスプラッター作品の宣伝が流れ始めた。  暗い部屋で、伊織の顔にテレビの光が反射している。涼しい顔がなんだか憎らしく思えてきて、ぎゃふんといわせてやりたいいたずら心が芽生える。 「ねえ、みちるさんここ飛ばしても――」  伊織が振り返った時、みちるは伊織の頬に手を伸ばして顔を近づけていた。そのまま唇を近づける。 「煽ってるの、みちるさん?」  伊織の手がみちるの頬に触れ、親指が唇をなぞった。 「ええと……なんかちょっと腹が立って」 「ふーん」  吐息が唇にかかる。あと数ミリで触れる距離で、二人は攻防戦を繰り広げていた。 「じゃあ、もっと煽っていいよみちるさん。俺が止められなくなったらごめんね」 「……やっぱりしない」  みちるは伊織の髪の毛をわしゃわしゃと撫でまわすと、ぎゅっと胸に抱いた。 「映画見よ、伊織くん」 「ちぇ。キスしてくれたら、遠慮なく襲おうと思っていたのに」  伊織はみちるに抱きつくと、苦しいくらいにぎゅっと締めつけてきた。みちるは笑いながら、伊織の頭を撫でる。 「ちょっとは堪えたか、伊織くんめ」 「あのねー。俺がどんだけ我慢してると……」  拗ねた伊織は、ムッと口を曲げたかと思うと、みちるの膝に頭を乗せた。 「あー最高、気持ちいい。みちるさん、頭撫でて」 「はいはい」  伊織は結局はそこで落ち着き、二人してけっこう面白いB級ホラーを楽しんだあと、ベッドに入った。  しばらく映画の感想を言い合いながら、あそこはもっとこうしたほうが良かったとか、あのシーンは最高だったなど、おしゃべりが続く。  こんな幸せな日々を、新しい恋の練習に使いたくはない。みちるは絶対に伊織とは恋をしないと胸中で誓った。 「ねえ、みちるさん。ホワイトデーのおかえしさ」  すっかり忘れていたみちるは、ハッとして伊織に向き直った。すかさず伊織がみちるの手を握って、指にキスをする。そのまま、挑発的な瞳で見つめられた。 「デートしよ。一日だけ俺の恋人になって」 「え、でも……」 「ペットじゃない日が欲しいだけ、ダメ?」  さすがに、毎日のように料理から洗濯掃除までやってもらっていて、それくらいのお願いも聞いてあげられないほど、みちるは鬼ではない。  ましてや、そんな甘い瞳で見つめられて、おねだりされれば、断ったほうがまるで犯罪者のような気持ちになる。 「わかった、お休み取っておく」 「やった!」  前祝、と言って唇を塞がれてしまい、みちるは慌てたのだが、上に乗られて動けなかった。  いいようにもてあそばれた気がしたのだが、複雑に考えるのをその時だけは放棄した。
/107ページ

最初のコメントを投稿しよう!

137人が本棚に入れています
本棚に追加