第81話

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第81話

 水槽を彩る魚たちや、可愛らしいペンギンやアシカ。お決まりのイルカショーに満足すると、これこそが普通のデートだったなとしみじみ思い直す。  寒かったけれど、ジェラートを買って食べ、あーんと口を開けている伊織に甘いアイスをあげる。 「なんか、久しぶりかもこういうの」 「でしょ? 恋人っぽいでしょ?」 「うん、すごく」  みちるの腕を掴んで、ジェラートごと引っ張ると、伊織はコーンの部分をパリッと食べた。食べ終わるころに、伊織がみちるの唇をぺろりと舐める。 「ちょ、っと……ここはダメ。人目があるから」 「誰も見てないってば。ついてるよ、みちるさん」  みちるの困った顔を見て、伊織は指先だけ伸ばしてくると、そこについていたコーンのかけらを摘まんで、自分の口へ入れてしまった。  逆にそっちのほうが恥ずかしくて、みちるはさっと頬が熱くなる。そんな反応を楽しんでいるのか、伊織は始終嬉しそうにしていた。 「みちるさん、このあとはショッピングする? それともこっちにする?」  伊織が取り出したのは、近くにある小さな劇場のチケットだった。 「映画?」 「そう。これ、上映スケジュール」  携帯電話の画面を見ると、まさしくB級ホラーの極みとも言えそうな作品が上映されている。 「どっちがいいかな、みちるさんは?」 「知っててチケット取ってくれたよね?」 「そ、大正解」  じゃあ行こうと言って、伊織は手を繋いだ指を絡めてくる。水族館の出口へ向かいながら、まるで学生のデートのようで、こそばゆかった。 「よくこんな、私の趣味ドンピシャなものを……」 「つまりはさ、みちるさんみたいな趣味の人って、意外と多いってことじゃないかな?」 「私くらいかと思ってたのに」  劇場に入るとついワクワクしてしまって、グッズや過去作のDVD コーナーに思わずはしゃいでしまった。  そしてからふと我に返って伊織を見ると、なんとも可愛らしいものを見るような目つきでほほ笑んでいる。  みちるは途端に恥ずかしくなった。  これは、デートだけれども、ホワイトデーだったじゃないかと叱咤する。しかし、楽しいものは楽しい。伊織も、みちるが楽しくなるように工夫しているのだから、楽しまなくちゃ損だった。  映画は最高に雑な作りが面白く、始終ハラハラしながら楽しめた。あっという間に観終わってしまい、名残惜しい気持ちで劇場から出る。  すっかり日も暮れて、楽しい一日が終わってしまう気配が寂しい。  帰宅をする人混みに紛れながら、平日に取る休みも悪くないと、そう思っていた。 「みちるさん、夕飯は食べに行くのでもいい?」  言われてみちるは思いっきり伊織を見上げてしまった。それに一瞬驚いた顔をしたあと、伊織はくすくす笑う。そのまま手が伸びてきて、みちるの頬に触れた。 「俺の手料理がいいんだね、みちるさん?」  外食ならいつでもできるが、伊織が作った手料理は、これから先ずっと食べられるわけではない。 「じゃあ、一緒に作ろ?」 「うん……あ、私けっこう苦手だけど」  教えてあげるよ、とほほ笑まれて、みちるは伊織と一緒に家へ帰った。  こんなに幸せでもいいのかなと思いながら、こんな幸せもたまにはいいかと思っていた。
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