第89話

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第89話

「自分で、できるから!」 「やだ、させてあげない」  こうなった時の伊織は言うことを聞かない。拗ねているのでも、嫉妬しているのでもなくて、とても怒っているようだった。  大丈夫と言っているのに口づけが止まらない。伊織はみちるを放すつもりはないようで、執拗に唇を重ねてくる。 「伊織くん、ダメだってば」 「うん、知ってる。ねえみちるさん、お酒のせいにしちゃう?」  伊織がみちるのスーツを脱がして、ワイシャツのボタンを外した。突き飛ばすより早く、伊織の唇が鎖骨の下に吸いついた。 「痛っ」  強く吸われて、もうそれは消えなくなる赤いものがつくことを確信する。  突き放そうとも、力が強くてまったく動かない。こんなのが、ペットなわけないじゃないかと、みちるは改めて自分の愚かさを呪った。 「これ以上もっと悪いことしたら、彼氏と別れられる?」 「そんなことになったら、伊織くんとも離れる」  そんなことを言い合っている間も、口づけが止まらない。空気を取り込む合間を縫って、密やかに話した。 「あっちだって浮気したんだから、おあいこにできると思うけど」 「私は嫌なの……伊織くんを、直登と別れるための道具に扱うみたいで」 「俺はペットだから、どうしたっていいんじゃない?」  伊織がアルカイックな笑みを浮かべながら、みちるの首筋に唇で触れた。 「捨てるのも、放り出すのも、決めるのはみちるさんだよ」 「ずるいよ伊織くん、そんな言いかた!」  みちるがそんなことができるはずがないのを、伊織はわかっていて煽ってくる。お酒の力だけではなく身体がほてってきてしまい、そろそろみちるは本気で伊織を引き剥がさなくてはと防衛本能が働く。  伊織はみちるの首を撫でると、耳やこめかみ、首筋に優しいキスを落としていく。こそばゆさと心地好さに、あっという間に力が抜けてしまった。  伊織と深い口づけを交わす。伊織の背中をぎゅっと掴んだ時、伊織はやっとみちるを解放した。 「みちるさん、今日は着替え持ってくるからもうそのまま寝てね。横向きにしてあげる」  伊織はみちるの着替えを持って来て、くるりと後ろを向く。その間にみちるが着替えると、横抱きにしてベッドへ運んでくれた。 「ありがとう、伊織くん」 「もっとお水飲んでおく? 飲ませてあげるけど」 「もういい」 「飲んでおかないと、明日つらいよ」  大丈夫、とみちるは布団に顔をうずめた。苦笑いをしながら、伊織は電気を消す。おやすみと耳に落ちてきたキスに、みちるは発火しそうになった。  色々ありすぎて、もはや頭が追い付かない。そのうちに突然襲ってきた眠気でその日は強制終了になった。  翌朝起きて、あまりの頭の痛さにうなる。  頭を抱えながら寝返りを打つと、隣で伊織が可愛らしい意地悪な顔をしてみちるを見つめてきていた。 「おはよ、伊織くん」 「おはよう、みちるさん。言ったでしょ、お水飲まないとつらいよって」  ニヤニヤと笑われて、みちるは朝からとんでもないため息を吐いた。 「二日酔いには梅干緑茶にお味噌汁。朝ごはんはさっぱりなお茶漬けにしてあげるね」 「……ありがとう……」 「よくなったらご褒美ちょうだい? 今でもいいけど」  みちるの頬にキスをして、伊織はベッドから勢いよく出て行く。しばらくすると、キッチンから出汁の香りがしてきた。 「……なにやってるのよ、私」  朝食までもうひと眠りしていると、伊織の声に起こされた。 「みちるさーん、ご飯できたよー!」  自己嫌悪に陥りながら、ズキズキする頭を抱えながらリビングへ向かったのだった。
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