無名心中

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 お前と一緒になる方法を思いついた。  恋文の代筆屋ってのにも、いよいよ飽きがきてね。愉快な生業だったけど、もう書き尽くしちまった気がするのさ。ほら、書き損じたのをお前にも散々喰わせてやったろう。お前が好き好んであたしの文字ばかり欲しがるから、たくさん喰わせてやった。そういえば昔言っていたっけねえ、あたしの書く字はつるりとして美味い、だったか。でもお前は、あたしが喰わせたその中身の方は、いつまで経っても味わっちゃくれないねえ。  お前の喰った文字が示すモノは、その存在を失ってはなっから無かったことになる。それが字喰いって妖の性だ、そうだろう。だからあたしも、飽きちまった依頼を何度もお前に喰わせた。そうすりゃ文の主は誰それを好いていたなんてのはきれいに忘れ去って、恋煩いもすっぱり消え失せちまう。憑き物が落ちたような顔して依頼を取り下げていく連中は随分と気楽そうだったねえ。ああ、今思えばそういう商売も悪くない。  だけどお前、気づいていたろう。あたしがお前に、誰にも頼まれてない恋文を書いて喰わせていたことにさ。  お前、あんなに美味い美味いと喰っていたじゃないか。あたしは確かに、お前が文から文字を剥がして、その口に入れるのをこの目で見た。なのにあたしは、ちっとも楽になりゃしない。  ねえ、おかしな話じゃないかい。字喰いに喰われた言の葉が、あたしの中に残っちまってるんだよ。あの文には業火と記したか、そんな火が、ずっとこの身を焦がしてるのさ。消えちまえと願ってやまない、ひどい痛みだってのにね。  お前、あたしのことを想ってくれるんだろう? だからあたしの文を吐いたんだろう、ねえ? あたしは忘れちまいたかったのに、お前があたしに忘れられるのを拒んだんだ。違うかい。──だろう。なら、お前があたしを忘れちまうほかないじゃないか。  お前にはね、あたしの名を喰ってほしいのさ。  そんな顔をおしでないよ。字喰いに名を喰わすのが禁忌だ? 笑わせないどくれ、そんなこと、今となっちゃあ些細な話じゃないか。お前はこれまで散々喰ってきただろう。想いも嘘も、歴史の一片だってその腹の中に収めてきた。あたしもそれに手を貸した、お前とおんなじ罪人だ。今さら禁を犯すことにめくじら立てたって、とっくの昔から、あたしもお前もお天道様に顔向けなんざできやしないんだよ。  でもね、悪くない話だと思わないかい。あたしの名をお前が喰って、そうしてあたしはお前の糧になるんだろう。それであたしの存在が失われちまえば、お前はあたしがいたことさえ忘れる。あたしはこの熱から逃れて、しかもお前と一緒になれる。そうしたら、お前はまた新しい筆を探せばいいんだ。昔あたしを見つけたようにね。  呆れ返るかい。一緒になれないのを嘆いて自尽するだなんてのは、よほどめでたいおつむをした阿呆のすることだと思ってただろう。あたしもそうさ。でもいつの間にか、似たような阿呆になっちまった。まったく誰のせいかね。  さあ、あたしの名はもうここに書いてきた。書き損じたのもいくつかある。お前に喰わせる名だからね、昨夜幾度も書き直して、美味そうなのを選んでやったんだ……おやお前、どうしてあたしの筆なんぞ持ってるんだい。あたしの書いたのが気に入らないなら、書き直してやろう。お前のためだ、ほら、墨はまだいくらでも──。  お前、まさか。  そうか……そうかい。お前、あたしの付けたその名を、己の名として書いてくれるんだね。  いいねえ。一緒になるだけじゃつまらないからね。お前となら、そういう阿呆になってやるのもいい。  ふふ、お前、何度書いてもその字が汚いねえ。もっと細い線で書かないから潰れちまうんだよ。お前は本当に、喰うばかりで書く方は相変わらずからっきしさね。でも、それもお前らしい。  しかし何度見ても見事に剥がすもんだ。おかげであたしも書き損じを捨てなくて済んでたんだ。食い意地の張ったどこぞの字喰いに、礼を言わなきゃいけないね。  ああ、字ばかり喰うくせにお前は温かい。こうしていると、お前が人だと勘違いしちまいそうになる……。人の姿をした妖なんてのは、現世の悪い毒だ。  さあほら、口を開けな。またお前に吐き出されちゃあたまらない。あたしの名は、あたしが喰わせてやるから──。
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