3.その男、本職につき

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 腕の中には、さっきまで渡が着ていたナイトウェアと、それにくるまれた丸い膨らみが居た。くるりと上向いた白金のしっぽが服の隙間からはみ出している。  明らかに成人男性のサイズには程遠い、ソレ。  サイドテーブルのスイッチを手探りで弄り、客室すべての照明を落とした。足元の掛け布団を引き上げ、その姿を完全に覆い隠す。  ふわふわと、柔らかい感触が、直接宮古の手に触れた。掛け布団という隠れ蓑ができたことで、ナイトウェアからひょっこり出てきたのだろう。  絹のような滑らかな体毛を、ゆっくりと撫でた。  最初に出会ったあの夜を思い出す。あの夜、宮古がくちを滑りに滑らせた発言の数々を、次に会った渡はきちんと覚えていた。  きっと彼は、犬の姿になろうとも、人語を理解する。ヒトの理性を有する。 「渡さん、ごめんね」  “ …… ” 「ごめん、ポメガってビョーキのこと、俺、あんま重く考えてなかった」  “ …… ” 「渡さんは、詳しいことまで教えてくんねえし、ネットで調べても全然引っかかってこねえし……うん、調べたよ。調べたんだよ。意外? まあ、うん。でも結局、わからなかったから、知らないままにしてた。いつもあんた、平気そうにしてたから。平気そうに見えたから。 ……いつもこんな、痛い思いしてたんだってこと、知りもしなかった」  ポメガバースという病気について、渡はこれまで少しずつ宮古に情報を開示した。けれど、淡々と説明してのけたその裏に、ここまでの苦痛が伴うことを、宮古に気取らせなかった。  こうして直に見て触れて、はじめて識った。  主人になれと言っておきながら、渡はその実、きっとこの過程を宮古に見せるつもりは、本来なかったのだろう。  渡は宮古より年上で、ずっとオトナで。だからこそ想像もしてやれなかった。さほど深く受け止めていなかった。渡が「渡八千代」として歩んできたこれまでの道程が、どれほどの荊であったかを。 「渡さんは、強いね」  こころからの賛辞だった。  6歳も年下で、渡と比べれば芸能界に入ってまだひよっこの自分に、知ったふうなくちをきかれたくなどないだろう。  彼の矜持を傷つけるかもしれない。  慰めのつもりかと怒るかもしれない。  余計なお世話だと突き離されるかもしれない。  けれど渡が人語を喋れない今だけは、彼は日頃よく回るくちで宮古のくちを止められない。宮古より大きな身体を持たない今だけは、宮古はその腕で渡を包むことができる。 「でも今くらいは、……今の姿の時くらいは、さ……」  “強くなくとも”。  “人気実力派俳優・渡八千代じゃなくとも”。  一度、くちを閉じた。頭の中に言葉を描いて、これは違う気がすると思って、引っ込めた。  強く在るか否かは、渡自身が決めること。他人の宮古が踏み込んでいいラインではない。言葉選びに悩む。けれど何かを、どうにか伝えたくて、その柔らかい背を撫でる。中身はどうであれ、見てくれだけはか弱いこの生き物が、傷つかないように。少しでも強張りがとけるように。  クゥン、と。  腕の中からひっそりと、何らかの返事が返ってきた。  
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