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キャップとフードを押さえて、宮古は雨道を小走りで進む。二番までしか知らない童謡を、延々とリピートする。ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん。歌に合わせて浅い水溜りを跳ねさせた。靴の中に入り込んだ水が、足を踏み出すたびに泡立つ。明日はオフで、バイトは休み。心底良かったと思った。
そして何度目かの「あめあめふれふれ」。そのとき視界の端に、小さな影が動いた。
「おあ…?」
そこは、ひっそり佇むカフェの前だった。最初は、ガーデニング用のオブジェか何かが風で倒れたのかと思った。
しかしよくよく目を凝らしてみると、そのオブジェから生えた突起物のようなものが、ふりふりと左右に揺れていた。気配に気づいたのか、オブジェがゆるりとおもてを上げ、濡れた両眸がこちらを見上げる。
正体に気づき、はくりと息を飲んだ。
" くぅん… "
「うっわあお前、俺より濡れてんじゃん!」
そこにいたのは、耳の上からしっぽの先まで全身びしょびしょの濡れ犬だった。体毛がぺったり張り付き露わとなった身体のラインが、ちいさな犬をよりか弱くみすぼらしく見せる。
首を探ると、首輪の感触がある。
街灯の少ない道端で目を凝らすも、住所が書いてあるようなネームプレートはついておらず、飼い主が近くにいる気配はない。
目の前のカフェは真っ暗で、頭上からは勢いを増した雨が地上を叩き、着々と体温を奪っていく。
助けを乞うような濡れたひとみと目が合って、もうだめだと思った。
無視、できる、わけが。
パーカーのファスナーを下げ、寒さに震える犬の痩躯を腹の前で抱えた。鬱々とした気分は一時的に消え、今は一刻も早くこの犬をあたためることのみが頭を占めていた。おかげでパーカーの内側までぐっしょり濡れてしまっても、構わなかった。
相手が動物だろうと、ひとだろうと。誰かを助けようとする行為そのものに後悔を覚えたことは、今まで一度としてなかった。
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