3.その男、本職につき

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「宮古クンはズボラそうに見えて、意外と洒落っ気あるよなあ」 「意外は余計だし」  ドレッサーの鏡に向かう宮古の背後で、様子をしげしげと見つめては失礼なことをのたまった岸の顔面にドライヤーの風を吹きかけた。  ワハハ、と豪快に笑う岸の声は外の雷鳴にも負けないほど大きい。 「宮古はアイドルなんだから意外でもなんでもないと思うけど。実際、身綺麗にしてるよね。髪とか爪とか、持ち物とかも」 「ええ? ちょっと、タンマ、そんな大真面目に褒めることある? 照れんだけど……」 「アイドルならそこで動揺すんなや。日頃から褒められ慣れとるやろ?」 「別に慣れてるってわけでは……。しかもほら、今は特に、渡さんとセットでの撮影が多いし。見劣りしないようにとか、そんな高望みなことは言わないけど、自分で整えられるところは最低限ちゃんとしなきゃって思うじゃん?」  最後は捲し立てるように早口になりながら、髪が完全に乾いたことを確認して、ドライヤーのスイッチをオフにした。  さてあとは歯を磨いて、荷物を簡単に整理して、寝るだけだ。振り返ると、宮古の喋りを聞いていた二人はまったく正反対の表情をしていた。  青八木は関心混じりに「確かにね」と相槌を打っていたが、一方の岸は、眉根に皺が寄っている。どうしたのかと問うと、「その渡八千代やけど、」と忌々しい名を思い出したと言わんばかりに吐き捨てられた。 「アイツ、そういえば一人で部屋使うとるんよな。監督たちでさえ二人で一部屋やってのに、随分と好待遇やんけ」 「そりゃあ、渡さんだし…」 「青八木クンは、(おんな)し俳優やから渡八千代に気ィ使うとるんやろけど、俺は関係あらへん。気に食わんわ、アイツ。スタッフさんらに一人部屋を勧められたとき、断ることもできたやろ。けどアイツ、遠慮ひとつもせんかった。表では愛想振り撒いとおけど、ほんまはまわりを見下しとんの、バレバレや」  礼儀礼節を重んじる、岸らしい主張ではあった。  間違っているとも否定はできなかった。  ただ、渡八千代の、ひいては「渡家」の芸能界への影響力を考えれば、誰もくちにしようとはしない発言だ。  しかし、わかりやすい年功序列ばかりではない業界人の暗黙の了解など、己の鍛え上げられた肉体と精神のみで道を築き上げてきた岸のルールには通用しない。渡本人にそれを直接言わないだけの分別はあるようだが、昨日今日で(こしら)えた不満でもなさそうなことは、顔を見ればわかる。  ほとほと困り果てた顔の青八木と視線が交わった。青八木は平和主義者だ。岸に同意はできかねるようだが、かといって頭ごなしに否定もしない。  郷に入れば、という言葉がある。  ほとんどの場合、従う方が正しい。宮古も岸も役者としては新参者だ。郷に従うなら、「渡八千代相手に滅多なくちを聞かないこと」を当たり障りなく促してやることが、俳優界では最適解なのだろう。  うーん、と考える。宮古は小さく笑った。 「俺、岸が“誰かを”悪く言うとこ、あんま聞きたくないな」  
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