763人が本棚に入れています
本棚に追加
腕の中には、さっきまで渡が着ていたナイトウェアと、それにくるまれた丸い膨らみが居た。くるりと上向いた白金のしっぽが服の隙間からはみ出している。
明らかに成人男性のサイズには程遠い、ソレ。
サイドテーブルのスイッチを手探りで弄り、客室すべての照明を落とした。足元の掛け布団を引き上げ、その姿を完全に覆い隠す。
ふわふわと、柔らかい感触が、直接宮古の手に触れた。掛け布団という隠れ蓑ができたことで、ナイトウェアからひょっこり出てきたのだろう。
絹のような滑らかな体毛を、ゆっくりと撫でた。
最初に出会ったあの夜を思い出す。あの夜、宮古がくちを滑りに滑らせた発言の数々を、次に会った渡はきちんと覚えていた。
きっと彼は、犬の姿になろうとも、人語を理解する。ヒトの理性を有する。
「渡さん、ごめんね」
“ …… ”
「ごめん、ポメガってビョーキのこと、俺、あんま重く考えてなかった」
“ …… ”
「渡さんは、詳しいことまで教えてくんねえし、ネットで調べても全然引っかかってこねえし……うん、調べたよ。調べたんだよ。意外? まあ、うん。でも結局、わからなかったから、知らないままにしてた。いつもあんた、平気そうにしてたから。平気そうに見えたから。
……いつもこんな、痛い思いしてたんだってこと、知りもしなかった」
ポメガバースという病気について、渡はこれまで少しずつ宮古に情報を開示した。けれど、淡々と説明してのけたその裏に、ここまでの苦痛が伴うことを、宮古に気取らせなかった。
こうして直に見て触れて、はじめて識った。
主人になれと言っておきながら、渡はその実、きっとこの過程を宮古に見せるつもりは、本来なかったのだろう。
渡は宮古より年上で、ずっとオトナで。だからこそ想像もしてやれなかった。さほど深く受け止めていなかった。渡が「渡八千代」として歩んできたこれまでの道程が、どれほどの荊であったかを。
「渡さんは、強いね」
こころからの賛辞だった。
6歳も年下で、渡と比べれば芸能界に入ってまだひよっこの自分に、知ったふうなくちをきかれたくなどないだろう。
彼の矜持を傷つけるかもしれない。
慰めのつもりかと怒るかもしれない。
余計なお世話だと突き離されるかもしれない。
けれど渡が人語を喋れない今だけは、彼は日頃よく回るくちで宮古のくちを止められない。宮古より大きな身体を持たない今だけは、宮古はその腕で渡を包むことができる。
「でも今くらいは、……今の姿の時くらいは、さ……」
“強くなくとも”。
“人気実力派俳優・渡八千代じゃなくとも”。
一度、くちを閉じた。頭の中に言葉を描いて、これは違う気がすると思って、引っ込めた。
強く在るか否かは、渡自身が決めること。他人の宮古が踏み込んでいいラインではない。言葉選びに悩む。けれど何かを、どうにか伝えたくて、その柔らかい背を撫でる。中身はどうであれ、見てくれだけはか弱いこの生き物が、傷つかないように。少しでも強張りがとけるように。
クゥン、と。
腕の中からひっそりと、何らかの返事が返ってきた。
最初のコメントを投稿しよう!