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1.ずぶぬれ毛玉にひまわりの傘
「ドーモ、先日助けていただいたポメラニアンでぇす」
日焼けしたアパートの壁、何の変哲もないアパートのドア、毎朝見慣れた、そこまで見晴らしの悪くない外の景色。
ありふれた世界の中心に、その男は立っていた。
100の顔を持つ実力派。1000年に一人の美貌。10000人斬り伝説を持つ色男。嘘みたいな異名を持ったその人物は、まるでおとぎ話からそっくりそのままこちらの世界にやってきたような綺麗な顔に、気怠そうな表情をのせて、大根役者でもここまでひどくはないだろう清々しいほどの棒読みをもって、朝っぱらからわけのわからない暗示をかけてきた。
身に覚えのない救助活動。これにはかの浦島太郎でも首を傾げる。
「えと、ドッキリっスか? あの、出演自体は全然オッケーなんですけど、そーゆーのはまず事務所を通して貰えると……」
「ドッキリのためにわざわざこんなとこまで来ると思う? つか1000万でいい? いーよね?」
「ハ??」
「とりあえず今手元にあんのこれだけだったから、前金ってことで。10分の1ぽっちだけど」
「ウワッ諭吉……待ってポケットから現ナマ出したぞこの人」
「受けとるの受けとらないの。ぁくしろよ」
「受け取らない! って言ったそばから玄関先にバラまくのどうかと思う! ほんとどうかしてると思う!」
歩くドル箱と呼ばれるほど、その身ひとつで規格外の経済効果を誇る男が、ドル箱ならぬ100人の諭吉を合意なしに投げつけてきた。これには投げられた方も諭吉の方もびっくりだ。
うっかり袖口に入り込まないように気をつけながら、床に広がった紙幣を急いで掻き集めて男に差し出す。
しかし相手は、床に膝をついたまま見上げるこちらをじっと見下ろすだけで、両手はポケットに突っ込まれたまま動きそうにない。これほど間近では初めて見る、神が手ずから心血注いで創造したとまで言わしめるかんばせは、同性だとわかっていても、いっそ寒気がするほどうつくしかった。
これが宝くじだったら、はたまた自分で稼いだ結果の報酬ならば喜んで受け取ることができた。
しかし人生、旨いはなしには必ず裏がある。先日それを学んだ。
この世界では、簡単にひとを信用してはならない。初対面なら尚更だ。たとえ相手が、小さな頃から毎日のようにメディアで姿を見てきて一方的に知っている大物だったとしても。
カメラがその人間の本質まで撮ってくれない以上、まったくの別人と認識しておくに越したことはないのである。
「オマエ、わかってんでしょ。そのお金、口止め料その他諸々込みだから」
いやだから、いつぞやのポメだよ。
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