自由の箱庭

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 私の母は、二十六で妊娠した。  相手は財閥の男で、気に入られた母はそのまま結婚を約束に肌を重ねたらしい。      もともと母は身売りで生計を立てていて、とても安定した生活とは言い難かった。  それは、私が生まれてからも変わる筈などない。  しかし、それでも母は私をこれ以上ないほどに愛でてくれた。  母は自分の食事を私にくれた。  母は、入ってきたお金をほとんど自分に使ってくれた。  母は、私が病で寝込んだ時は泣きながら必死に看病してくれた。  そんな母を私は心の底から愛していた。  私は「自分が不幸者なんだ」、なんて微塵も思っていなかった。  だって、こんなにも母の愛を一身に受けているのだもの。  私はきっと世界一幸せなんだ。  そう思いながら、母の胸で私は寝る。  そんなある日、私がちょうど小学校に上がるほどの頃、母の元に一通の手紙が送られてきた。  内容は、母と結婚を約束していた男が、別の女を作り、そちらと正式に結婚するとのことだった。  母は手紙を握りしめながら泣き崩れた。  私は、母が可哀想で、悔しそうで、こっちまで悲しくなってきた。  でも大丈夫、私がいる。  お母さんが大好きな私がいる。  きっと私が寄り添ってあげれば母も笑顔になってくれる。  そう思った私は、愚かにも蹲る母に言葉を発した。 「大丈夫だよ、お母さん。私がいるから」  それが引き金だった。  母は私のことを思い切り殴った。  頬に激痛が走り、反射的に目が潤む。  そして、私が一番驚いたのは、今まで感じたことがないような気持ち。  満たされない。  幸せな気持ちがそれ(・・)に塗りつぶされていく。  下唇が引き攣るような感情。   「ああ! 終わったよ! 私の人生!!」  母の長い前髪。その隙間から見えた目は酷く暗く思えて、その視線が自分を貫くようだった。  悲しい。  ……悲しい?  そうか、これが悲しい……不幸なんだ。  私は、生まれて初めて悲しみを知ってしまった。  誰よりも愛していた母によって。
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