最後の日本人

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 純太は食い入るように、テレビの画面を見ていた。  傍にいる婚約者の聡子はというと、テーブルに広げられた、いくつもの結婚式場のパンフレットを見比べながら、言いたい放題の感想を垂れ流していた。    「こっちは海の傍で景色は抜群だけど、料理がショボイよね。街中のやつはリーズナブルだし料理もまあまあだけど、周りはビルばっかりなのが……ねえ、聞いてる?」    純太は婚約者の存在など、全く忘れているかのようにして、有機ELディスプレイの画面を見つめていた。  テレビでは夜のニュース番組をやっていて、高速道路での痛ましい事故が報じられていた。  路肩に停車していた大型トラックに、ワンボックスカーが突っ込んだのだ。ワンボックスカーのフロントはメチャメチャに壊れ、エアバックが作動していたが、乗っていた50代の夫婦と20代の息子二人の全員が即死したという。    「ひどい事故ね。一瞬で4人も死んじゃうなんて」    純太は婚約者の言うことに反応せずに、顔を真っ青にして、体を強張らせて小刻みに震えている。    「ねえ、どうしたの? まさか、亡くなったこのご家族って、純太の知り合いなの?」  「いや、会ったことはない」  「なら、どうして? 顔、真っ青よ」  純太はゆっくりと聡子の方に顔を向けた。唇が震えている。  「ご、ごめん。俺、お前とは結婚できない」  「ハア? いったい、どういうことなの!」  「だから、結婚できないんだ。国の方針で」  「国って、日本の?」  「そう」  「意味が分かんないよ。さっきまで、一緒に結婚式場のパンフを見ていた人が、なんでいきなり『結婚できません』なの?」  純太は俯いたまま答えない。  「ねえ! どういうことなの! ちゃんと説明して!!」  純太は下を向いたまま、『まさか二人とも死ぬなんて……』と呟いている。  「二人ともって、やっぱり知り合いなんじゃない?」  純太は顔を上げて、しっかりと聡子を見つめて、  「このことは、他人には言っちゃいけないんだけど、婚約者なんだから、知る権利があると思う。だから、正直に言うよ」  聡子は純太の真剣な態度に押されて、黙ったまま頷いた。  「実は俺は、最後の日本人なんだ」  意味が分からず、聡子は怪訝な表情を作る。  「最後の日本人?? どういうことなの? 純太の目の前にも日本人はいるじゃない」  「ああ。そういう意味では1億人はいるだろう。でも俺の言っているのは、遺伝学的に純粋な混じり気なしの日本人というか、『大和民族』ということなんだ」  「それなら、なんとなく分かるけど……。まさか、純太が遺伝子的に純粋な日本人ってことなの?」  「ああ。何年か前から、マイナンバーカードに、持ち主の遺伝子情報も登録するようになっただろう? その時の検査で分かったんだ」  数年前に法律によって、全国民は公的な検査機関で自分自身の遺伝子情報を調べて、マイナンバーのカードのICチップに、その情報を登録することが義務付けられていた。  「検査の数日後に、役人がやって来て、この書類を見せたんだ」  純太が引き出しから分厚い封筒を取り出して、中の書類の1枚を聡子の前に差し出した。  そこには、『ミトコンドリアDNA』、『ハプログループ』、『M7a』、『Y染色体』など、一般人にはほとんど馴染みのない言葉が並んでいた。  「なにこれ? 分かるように説明してよ」   「役人が言うには、縄文時代以前から日本に住んでいたのが大和民族なんだけど、その後、大陸からいろんな人種の人間が渡って来て混血が進んだが、僅かながら純粋な大和民族のDNAを受け継いだ人間がいるんだ」  「純太がそうなの?」  「ああ。俺と、さっきのニュースで亡くなった4人。そして近畿地方に住む女性が1人。この6人が遺伝学的に最後の日本人なんだ」  「ちょっと待ってよ! そんな話、聞いたことないよ」  「国が管理する情報の中でも、トップシークレットに属するらしいんだ。もし、公になったら日本のことを快く思っていない連中から、危害を加えられる可能性があるからな。連中にとって、俺たちは、言わば『日本人の象徴』みたいな存在だから、普通の日本人を1000人殺すよりも、インパクトがあるんだよ」  「確かにそうかもしれないけど……。じゃあ、どうして私と結婚できないの? 国の方針って何?」  「俺ら最後の日本人には、第1類と第2類という区別があって、第1類の者は種の保存のため、結婚相手は純粋な大和民族同士と決められているんだ」  「純太はその第1類なのね?」  「いや、俺は第2類なんだ。第2類は結婚の制限まではないが、危険地域への渡航や、医療機関の少ない過疎地域への移住などが制限されている。早い話、長生きすることが仕事なんだ」  「それなら、私との結婚には、なにも問題はないじゃない」  「それが、あの事故で亡くなった20代の兄弟は第1類で、兄の方が近畿にいる第1類の女性と結婚することが決まっていたんだ。もし、兄の方に万が一のことがあっても、弟がいるから大丈夫だと思っていたんだけど、二人とも死んだだろう・・・」  「まさか、そういう場合は、あなたが第1類になるの?」  「ああ……」  純太は暗く俯いた。  「断れないの? いや、断るべきよ! 好きな人と結婚できないなんて、人権侵害じゃない!」  「それも考えたさ。でもさ、色々優遇措置があるってな。第1類の人間は、死ぬまで税金、医療費、住居費、光熱費、通信費、交通費は全て無料。第2類でも全て半額で、奨学金を返済中の身としては、随分助かったんだ」  「つまり、私と結婚したら、その優遇措置は全てなくなるってことね」  「それどころか、今まで優遇措置で免除されていた分を返さないといけないんだ。たぶん数千万円になる。とてもじゃないけど、返せないよ」  純太は肩を窄めて、泣き出しそうな声で言った。  聡子は大きく息を吐くと、目の前にいる雨の中に捨てられていた犬のように、小さくなって震えている婚約者に言った。  「分かったわ。あなたとの結婚は諦める。ただし、純粋な大和民族存続のためじゃなくて、私たちのためにね」  「ほんとうか! ほんとうにいいのか?」  「ええ。結婚した途端に、家を買ったわけでもないのに、いきなり数千万円の借金を抱えて新婚生活をスタートするなんて、無理でしょう」  「俺の稼ぎがもっとよかったら……すまない。本当に、すまない」  純太は何度も頭を床につけて謝った。  「いいよ、純太が悪いわけじゃないんだし。でも、残念……」  二人は抱き合って一頻り泣いた。  そして、聡子は婚約指輪をテーブルの上に置くと、最後に振り返って純太のことを見ることはせずに、部屋を出て行った。  後ろから聡子の名を呼ぶ声が聞こえたが、それでも、振り返らなかった。  EW354Nが純太のマンションを出ると、2月の夜の街に、生暖かい風が吹いていた。  春一番という気象現象の兆しだ。地球に来て2回経験しているから分かる。  転送地点まで移動する間に、EW354Nは純太が一生懸命に説明していた、『最後の日本人』なる話を思い出しては苦笑いをした。  地球時間で数千年前に存在していた純粋な大和民族が、今まで全く他の民族なり人種と混じり合うことなく、残っていたなんて、あり得ないではないか。  一応、人間でいう右目にある超小型遺伝子センサーで彼のことをスキャンしたが、大和民族の純粋種から受け継がれていた遺伝子は僅か8.5%だった。  ポケットに入れていた通信機が振動した。見た目はスマートフォンだが、3万光年離れている母星と直接通信できる、エージェント用の通信機だ。    「こちらEW354Nです」  『計画通り進んでいるか? 結婚式のデータまで取りたいというから、特別に許可したが、こちらの移住船は、もうすぐそちらに着く。まだ『準備』は始められないのか?』  「結婚式の件は、驚くべき理由から反故にされました」  『驚くべき理由?』  EW354Nが、母星の移住プロジェクトのリーダーに、最後の日本人の件を伝えると、リーダーも驚いていた。  『なんだそれは! 地球人の男は、そんなことで相手を騙せると思っているのか?』  「ええ。ここまでレベルが低いと、地球でいう使用人や奴隷としても使えないと思います」  『なぜそんなことをしたんだろうか?』  「様々な事例から勘案すると、彼には他に好きな女性がいて、そちらと一緒になるために、私と別れることを決断したと思われます」  『これは、任務とは関係のない質問だが、選ばれなくて、君は何とも思わないのか?』  「ええ、任務ですから」  『わかった。では、全処分でいいな?』  「はい。私の転送後、すぐに始めてください」  『了解した。それから、地球人のサンプルとして、1人残しておいて欲しいのだが、そのジュンタではどうか? データをずっと取っていたから、サンプルとしては最適だ』  「ええ。知能レベルの極めて低い宇宙人の例として、最適です」  『うむ。では捕獲したら、送り状の中身の欄に“最後の地球人”と書いて転送してくれ』  「分かりました」  『でも、変だな。他の地域のエージェントからの情報では、地球人の知能は、我々には遠く及ばないものの、銀河レベルでは高い方だという報告がきているのだが』  「では送り状には“最後の日本人”と書いておきますよ。……ジュンタの捕獲を行いますので、地球時間で1時間後に“処理”を始めてください」  『了解した』  EW354Nが通信を終えると、別のボタンを押した。すると純太がスマートフォンで浮気相手と話しているのが聞こえてきた。話の内容から、相手がかなり若い女だということが分かった。  純太のことを信じていたから、この機能は今まで使ったことがなかったのに……。  EW354Nは、振り向いて純太の住むマンションの方を見ると、能面のような無表情で、でも、唇を僅かに震わせながら、ゆっくりとマンションの方へ歩き始めた。                                         (了)
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