幕間:「S級特定危険古生物は、完全に我々の管理下にあります」

1/1

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ

幕間:「S級特定危険古生物は、完全に我々の管理下にあります」

「――今回の報告は以上です。我がNInGen社は人類救済という大いなる目的を実現するため、今後もプランAを予定通り、いえ、多少予定を前倒ししてでも進めていきたいと考えております。賢明なる輪読会の皆様におかれましては、より一層のお力添えをよろしくお願いいたします」  ハンナ・カウフマン研究統括部長は、画面の向こうからこちらを注視する人々に向けて深く頭を下げた。そのうちの一人、細い目と伸ばした髭が特徴的な老人が、軽く咳払いをしてから口を開く。 「そのプランAだが……本当にこのまま進めてしまって良いものなんだろうか。儂はどうにも、我々が大きな過ちを犯してしまっているような気がするのだ。あまり性急に事を進めようとせず、今一度考え直した方が良いのでは……」  ハンナは腰を直角近くまで曲げたままで、顔だけをわずかに上げて発言者の方を見た。もちろん、実際にその人物がそこにいるわけではなく、あるのはあくまでも画面に映った姿、そしてこちらの様子を伝えるためのカメラのみである。  まったく、今になって何を言い出すのだ、この老人は。  ハンナは、内心で毒づいた。  このまま何の手も打たなければ、我々を待ち受けるのは絶滅だけだというのに、こんなところで臆病風に吹かれてどうする。  しかしもちろんそのような本心を口に出すわけにはいかず、彼女は代わりにこう問いかけた。 「プランAを考え直す? それはつまり、閣下はプランBの方の採用に前向きである、ということですか?」 「そうは言っておらん」  画面の向こうの老人が顔をしかめる。 『プランB』――その言葉を聞いて、その計画のために作られた極秘施設、通称〝サイトB〟で飼育されているあの生物の姿を思い出したのだろう。  大きく裂けた口に並ぶ鋭い牙と、同様に鋭い爪を備えた手足。それをもって獲物を屠り、貪り喰らうあの姿を見せて以来、プランAに懐疑的な者達も表だってプランBを推すことはなくなった。 「なにもあの二つだけが選択肢ではなかろうと言っているのだ。もう少し慎重にだな……」 「慎重に、ですか」  口調に相手を軽蔑、あるいは嘲笑するような気持ちが出るのを防ぎきれたかどうか。 「慎重になっている間に時間切れとなり、我々自身が絶滅した古生物の一種となることでしょうね。閣下には今さら申し上げるまでもありませんが、この二百年で世界人口はおよそ五分の一にまで減少しました。〝アフリカのモノリス〟から読み取った情報に基づき社会変革を進めたことによって減少のペースこそ落とせましたが、減少自体が止まる気配はありません。どうか現実逃避はおやめください、閣下」  老人の表情に、苛立ちが滲む。  その苛立ちには、図星を突かれたという思いも多分に含まれるだろう。彼自身も心のどこかでは、自分の主張が現実逃避にすぎないのではないかという思いがあったに違いない。  だからこそなのか、次の言葉はこれまでの話の流れとは関係の無い、言いがかりとでもいうべきものだった。 「そもそも、十年前の件で責任をとって社長の座を退いた君が、なぜ未だに計画を主導しているのだね? ユーレイ君はどうした? 君の独断専行を戒めるために彼を送り込んだというのに」 「もちろん、全ての計画はユーレイの指示のもと進めております」  その言葉は真実であり、同時に嘘でもある。  確かに、全ては現社長であるマリオン・ユーレイの指示のもと行っているというかたちをとっている。しかし実際のところ、ユーレイはハンナが立てた計画を追認しているだけだ。    輪読会は、人選を間違えた。あのような優柔不断な男に、このハンナ・カウフマンを御することなどできようはずもない。今ではすっかり、こちらの傀儡となり果てている。    もっとも、現生人類の未来のためには、それこそが正しい人選であるとも言えるが。 「何もせずただ手をこまねいているわけにはいかないという点では、確かに君の言う通りだ、カウフマン君」  別の人物が口を開いた。軍の出身という経歴をその全身で表現しているかのような、がっしりとした体躯と厳めしい顔つきをした熟年の男性である。この男は、輪読会の議長でもあった。  輪読会において、議長は特に強い権限を持つわけではない。しかし議長職を任されることそれ自体が、他のメンバーから一目置かれていることを示している。  画面越しに見られるだけでも、その鋭い目に射すくめられる人間は少なくないだろう。  もっとも、ハンナはそのうちの一人には入らなかったが。    いくら上っ面だけ豪傑ぶっても、所詮は古生物が怖くてこの島に足を踏み入れることもできない臆病者に過ぎぬ――そう思っているのだ。 「モノリスに記録されていた世界の仕組みについての情報がもし真実なら、現在我々が直面している事態は生半可な手では打開できないだろう」  もし真実なら、か。面白い言い回しをする。この男の脳内では、未だにモノリスの情報の真偽について疑念を挟む余地があることになっているのだろうか。  物理、化学、天文――ありとあらゆる分野において、モノリスの情報は真実であることが確認されてきた。  二十万年前のアフリカに突如出現したと考えられる、あのモノリス。そこに収められている知識があったればこそ、我々の科学はこれほどのスピードで発展することができた。もしモノリスの助けを借りず、あれらを全て自力で発見してこなければならなかったとしたら、人類の進歩はいったいどれだけ遅れたことか想像もつかない。  男の話は続く。 「だがな、カウフマン君。同時に、君達が進める計画それ自体が我々の絶滅をもたらしかねないものであることも、また事実なのだ。先日、君達NInGen社の想定しないかたちで巨大化したティラノサウルスが暴れる事件があったらしいな? ティラノサウルスならまだ良い。ティラノサウルスもヴェロキラプトルもスミロドンも、ああいったものは所詮、NInGen社設立の真の目的から目を逸らさせるための目くらましやRRE法のテストのために作られたにすぎないものだ。……だがもし、あの〝S級〟について想定外の事態が起こり、君達にも制御不能になったりすれば、その時は――」  男は、そこで言葉を切った。皆までは言わせるな――そういうことなのだろう。 「ご心配には及びません」  ハンナは自信ありげに微笑んだ。 「S級特定危険古生物は、完全に我々の管理下にあります」  この計画の要とも言えるあの古生物。それは、他の古生物とは別格の危険性を持つ存在として、現在ただ一種、S級特定危険古生物に指定されている。  新六甲島への船・航空機の発着が原則として禁止され、外部と行き来するための交通手段が日本本土と繋がれた橋上を通る鉄道〝新六甲ライナー〟に限定されているのは、表向きは無症状病原体保有者によりヒトウドンコ病の病原体が島外に持ち出されるのを防ぐためとされている。  だが、それは事実ではない。  全ては、あのS級特定危険古生物がこちらの意図を離れて島外に出てしまうことを防ぐためである。  輪読会の重鎮達は、その古生物をそれほどまでに警戒しているのだ。  しかし、ハンナは違う。件の古生物が何の問題も無くNInGen社の管理下にあることに自信を持っていた。  そうだ、何も問題は無い。全ては、我々の計画通りに進んでいる。
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加