第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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 いったんは一人と一匹を見失ったミキだったが、すぐに少年の方を見つけることができた。  彼は、古びたコンクリート製の塀の前で途方に暮れていた。 「この中に、入っていっちゃった……」  ミキが近づいていくと、聞いてもいないのに少年は言い訳するようにそんなことを言って塀の下部を指差した。  見ると、そこには穴が空いている。確かに、ケラトガウルスやグスタフソニアのような小動物であれば、この隙間をくぐり抜けられそうだった。    いや、人間でも自分達のような子供であれば、くぐり抜けられるかもしれない。    ミキは左右に目をやった。    塀は乗り越えられるような高さではなく、視界に入る範囲では切れ目も見当たらなかった。  この塀がどのような施設を囲んでいるものであるにしろ、当然のことながらどこかには出入り口があるはずだが、部外者に開放されているとは限らない。ならば、この穴から入ってしまう方が確実に思えた。  ミキはもう一度溜め息を吐くと、塀に空いた穴の前に伏せて匍匐前進の姿勢をとった。 「えっ、そこに入るの……?」  少年が怯えを滲ませた声でそう問うてくる。 「だったら、放っておく? まあべつに、あんたはここで待ってても良いけど?」    ミキの声に責めるような響きを感じ取ったのか、少年は若干顔を引きつらせつつも、「いや、もちろん俺も行くよ」と返した。    塀の穴をくぐり抜けると、すぐそこに荒れ果てた大きな建物があった。外壁は薄汚れているばかりか焦げた跡すらあり、窓ガラスはどこもかしこも割れてしまっている。  その様は、『廃墟』と呼ぶに相応しい。    周囲には十匹ほどのケラトガウルスがたむろしていたが、侵入してきた二人の人間の姿を認めると、慌てて開け放たれたドアから廃墟へと逃げ込んでいった。 「なに、ここ……?」    傍らの少年は震える声で疑問を口にしたが、ミキの方は、この施設の正体に心当たりがあった。  これほどの規模があり、かつ現在は使用されていないとなると、候補はかなり絞られる。恐らくは、ヒトウドンコ病エピデミックの前にこの島にあったという旧理科学研究所の施設だろう。  そうした施設の一部はNInGen社が改修して自社の施設として利用しているが、残りの大半は取り壊されたと聞く。ヒトウドンコ病エピデミックの混乱の中で生じた火災や暴動などにより、大きな損壊を受けたものが多かったためだ。ここもいずれは取り壊す予定なのだろう。    先ほどケラトガウルス達が逃げ込んでいったことを考えると、この廃墟をあれらの小動物達は巣として利用しているに違いない。放棄されて人間が近づかない建物というのは、いかにも穴居性動物であるケラトガウルスの好みに合っている。    躊躇無く廃墟の入り口へと向かっていったミキの後を、慌てて少年が追ってくる。 「あの中にいると思う?」 「たぶんね。さっき、ケラトガウルスが逃げ込んでいったでしょ? あの中にあいつらの巣があるなら、うちのグスタフソニアも追っかけて入ってったと思う」    実のところ、ミキにはもう一つ思惑があった。  せっかくここまできたのなら、旧理科学研究所の施設をちょっと覗いてみたいと思ったのだ。  もちろん、めぼしいものが残っていればNInGen社がそのままにしておいたはずもなく、何か見つかると本気で期待しているわけではないのだが。  割れた窓から光が差し込んでくるとはいえ、さすがに屋内は薄暗い。目が慣れるのを待つ間に、ケラトガウルス達は奥へと逃げ去ってしまったようだった。  屋内で火災が発生したのなら当然かもしれないが、建物の内壁は外壁以上に焼け焦げの跡が酷く、その分、不気味さも増している。その雰囲気に呑まれたのか、ミキの後から入ってきた少年が、声に不安を滲ませて呟いた。 「ここ、幽霊とか出ないよね……?」 「そんなものが出るなら、ここ以外でだって出るでしょ」  ミキは、ふんと鼻を鳴らす。彼女は、幽霊などを怖がっていられる幸福な身分の少年に対する配慮など持ち合わせてはいなかった。 「この島じゃ、ヒトウドンコ病が流行った時にそこらじゅうで人が死んだんだから」  そう言い捨てると、少年には構わずどんどん先へと進む。    廊下に面した部屋の扉はどれも開け放たれているか、もしくは壊れており、そこから順番に室内を覗いていった。  やはりと言うべきか、室内には調度品の残骸があるだけで、役に立ちそうなものは残されていない。火災で全て焼失したか、それともNInGen社が持ち去ったのかまでは分からないが。  予想していたこととはいえ、ミキは失意が湧き上がるのを完全に抑えることはできなかった。 「みんな、どこに行ったんだろう?」  背後の少年が呟く。その手は、ミキの上着の裾をしっかりと握り締めていた。ミキはべつにそれを咎めたりはしない。しかし、だからと言って怯える少年を気づかったりもしない。 「ここにいた人達のことなら、みんな死んだんでしょ」 「そうじゃなくて」 「ああ」    ミキは、そこで勘違いに気がついた。 「ケラトガウルスとかのことね」    確かに、先ほどこの廃墟へと入っていったはずのケラトガウルス達の姿が、廊下ばかりでなく室内にも見当たらない。    更に先へ進むと、その答えかもしれないものに行き当たった。非常階段へと続く扉だ。この扉も、開け放たれている。  階段は二階と地下、それぞれへと延びていた。  ミキはしばし考えた後、地下へ続く方へと足を踏み出す。 「なんで下に行くの……?」  連れの少年はますます怯えを隠さなくなってきた。 「ケラトガウルスは本来、地下の巣穴で生活する動物。だから、外敵が来た時には多分、地下の方に逃げる。だったら、その後を追いかけてったうちのグスタフソニアもそっちにいる可能性が高い」  下へと向かう階段を選んだ理由は、実際のところはそれだけではない。地下の方が、何か燃え残ったものがある可能性が高いように思われたからだ。 「あの……さ」  階段を降りきったところで、少年が恐る恐るといった様子で口を開いた。 「なんで、名前つけてあげないの?」 「何の話?」    本当に何について聞かれているのか分からず、そう問い返す。 「君の、ペットだよ。いつも『うちのグスタフソニア』としか呼ばないの、可哀想じゃん」 「……本当の親でもない人間に名前つけられて、嬉しいものなのかな」  言ってしまった直後、後悔する。今のは失言だった。  ミキは、養父につけられた今の名前が嫌いではない。しかしだからこそ、複雑な思いがあった。今の名前を気に入っていることが、今は亡き実の母に対する裏切りのようで後ろめたかったのだ。    そのあたりの複雑な感情が原因で、無意識のうちにペットに名前をつけることを避けてしまっていたのかもしれない。  確かに少年の言う通り、本来であればペットには飼い主が名前をつけるのが普通なのだ。あまり不自然な振る舞いをして、養父におかしな子だと思われたくはない。 「まあでも、そうね。名前は、今度考えることにする」  ミキは誤魔化すように、そう言った。
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