第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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「地下空間? そんなものあったんですね、この島」  古生物の出現ポイントについて班長から説明を受けた時、最初に浮かんだ感想がこれだった。 「旧理科学研究所の設備で、今はもう使われていないがな。うちの社としては早々に埋めてしまうつもりだったらしいが、そんなことより他にもっと優先すべきことがあるだろうとクレームがついて延び延びになったまま、今に至っているのだそうだ」  まあ、NInGen社は新六甲島の復興とヒトウドンコ病ワクチン開発の双方を任されているのだから、他にもっと優先すべきことがあるのは間違いない。  しかしそれを言うなら、古生物の復活なんてやってないでもっとワクチン開発に全力を注げというクレームはそれ以上に来ているはずである。そうしたクレームに対して聞く耳持たずな弊社が今さらちょっとやそっとのクレームで予定を先延ばしにするとも思えないので、地下空間への対処については、やらなくて良いならやりたくないと元から思っていたというのが実際のところだろう。 「で、人間が入らなくなったそこが今では野生化した古生物の巣になっている、と」  先延ばしのつけが回ってきたかたちだが、つけを払うのが先延ばしを決めた上層部ではなく、俺達現場の人間というのが釈然としないところではある。組織単位で見れば、NInGen社の先延ばしのつけをNInGen社が払うだけということにはなるのだろうが。 「証言では、確認された古生物は少なくとも二種類。一つはケラトガウルス。これはまあ、今回は無視しても構わない。危険古生物に認定もされていないから、そもそも我々の仕事の対象外だしな。問題はもう一種類の方で、こっちは頭が天井につくほど大きい肉食動物らしい」 「らしいって、なんかずいぶんと曖昧ですね。もうちょっと情報は無いんですか?」  俺の問いに対し、班長はため息を一つ吐いて首を左右に振って見せた。 「証言者がまだ子供なんだ。しかも、大型の古生物に襲われてかなり混乱している。もう一つ言うなら、地下施設は一応今もどこかから電気がきてるらしいんだが、明かりは非常灯だけでかなり薄暗かったそうだ。情報が曖昧なのは仕方がない」  ちょっとした探検気分か何かで、古い地下施設に入ってみたところを襲われたのだろうか。確かにそれは、同情せざるを得ない。というか、何の覚悟もしていない状態で大型肉食動物に襲われたりすれば、子供じゃなくてもパニックになる方が普通だろう。    しかしそうなると、頭が天井につくほど大きいという証言もどこまで当てになるか分からない。恐怖が相手を実際より大きく見せていた可能性もある。 「タグの反応があれば、どの生物かすぐ分かるんですけど」 「さっき確認したが、そのあたりで検知されたタグの中に当てはまりそうな生物のものは一つも無い。密養殖か野外繁殖のタグ無し個体なのかもな」  班長はそう言うが、C級がヤギを襲うことはないだろうと思っていたら犯人はまさかのティラノサウルスだったという前回の件もあるので、念のため自分でも確認しておいた方が良いだろう。  証言者が古生物と遭遇した付近一帯を情報端末のマップに表示させる。 「メガネウラ、今表示させている区域の古生物タグを表示」 『全古生物のタグをマップ上に表示します』  一般古生物を意味する『N』のマークと、危険古生物の等級を示す『B』や『C』のマークがそれぞれ複数現れる。さすがにA級のやつはいないようだ。 「メガネウラ、登録された飼育区画で飼われているものを表示対象から除外」 『登録済み飼育区画内のものを表示対象から除外しました』  マークの大半が消える。残っているのはCが二つとNが十数個のみだ。 「メガネウラ、現在タグが表示されている生物種は?」 『一般古生物ケラトガウルス・アネクドートゥス十二匹、一般古生物パラミス・アタヴス二匹、C級危険古生物ティラノサウルス・レックス一頭、C級危険古生物パキケトゥス・イナクス一頭。以上です』 「ティラノサウルスが一頭いますね。まさか、また巨大化したやつなんてことは……」 「あの納豆入りの餌は回収されたし、既に食べてしまったやつには抗生物質を飲ませてあるはずだから、もう巨大化するやつは出てこないとは思うが。ティラノサウルスに納豆を食べさせる馬鹿が他にいない限りは」 「どうもすみませんね、ティラノサウルスに納豆を食べさせるような馬鹿で」  パキケトゥスは原始的なクジラの一種だが、水中生活に適応して前肢は鰭になり、後肢は退化した現代のクジラとは異なり、四足歩行する動物である。しかしそれでもクジラの仲間だけあって水辺を好むため、水気の無い人工の地下施設で生活しているとは考えづらい。噛まれると大怪我をする可能性もあるので一応は危険古生物に認定されているが、主食は魚で積極的に人間を襲うこともない。  そして何より、いくらパニックになっている子供とはいえ、オオカミ程度の大きさで背丈で言えば人間よりも低いパキケトゥスを、天井に頭がつくほど大きいと錯覚するとは思えない。    そこまで考えた時、眼前で『N』のタグが一つ消えた。見間違いかと思っているうちに、また一つ消える。    どういうことだ?    困惑していると今度は、唐突に『N』のタグが一つ出現した。    いったい何が消えたり現れたりしているのか。  それを確認するため、メガネウラに先刻と同じ指示を出してみることにした。 「メガネウラ、現在タグが表示されている生物種は?」 『一般古生物ケラトガウルス・アネクドートゥス十一匹、一般古生物パラミス・アタヴス二匹、Cランク危険古生物ティラノサウルス・レックス一頭、Cランク危険古生物パキケトゥス・イナクス一頭。以上です』  少なくとも消えたもののうち一匹はケラトガウルスらしい。危険古生物対策課にとっては管轄外の生物だが、なぜ現れたり消えたりするのかは気になる。ケラトガウルスの特徴と言えば……あ、もしかして。 「班長、古生物につけてるタグって、地下にいても検出できます?」  班長は一瞬怪訝そうな表情になった後で、ハッと目を見開いた。 「確かに、電波の届かない場所なら検出できない可能性はある」 「となると、必ずしもタグ無しとは限らないことになるわけですか。しかしまあ、こちらで情報が得られないんじゃ、タグ有りだろうとタグ無しだろうとあまり関係はありませんね……」 「対象の危険古生物に関する情報が少ないのはいかんともしがたいが、地下空間については幸いにして見取り図がある。旧理科学研究所が元々持っていた見取り図は散逸してしまったそうだが、島の復興が始められたばかりの頃、うちの社で地下を調べた時に新たに作成したらしい」 「うちの社が調べた時に、ねぇ」  日本政府から島の管理を一切合切丸投げされたのを良いことに、旧理科学研究所の技術を回収できないかと目論んだのだろう。  RRE法で古生物のゲノム配列を推測するのに用いているスーパーコンピューター〝普賢〟からして、実のところ元々は旧理科学研究所が開発したものなのだ。現在のNInGen社の技術力は、そうした旧理科学研究所の遺産に負うところが大きいに違いない。  班長は幸いにして、と言ったが、情報端末に送られてきたその見取り図を目にして、俺はため息を吐かざるを得なかった。  想像していたより、かなり広い。  いや、まとまった広さを持つ空間は少ないので面積で言えばそれほどでもないのかもしれない。  だが、島のあちこちに点在するそうした空間が星座のごとく地下通路で結ばれており、そのどこにいるのかも分からない古生物を歩いて探し回ろうとすると、かなり骨が折れそうだった。  相手も動き回るのだから、尚更である。 「地下だったら、空気より重い気化麻酔薬を流し込むって手が使えないかとも思ったんですが、この広さでそれをやろうとすると、相当な量が必要になりますね」  恐らく危険古生物対策課では、それほど大量の麻酔薬は備蓄していないだろう。 「どちらにしろ、その手は使えない。ちょうど今から言おうと思っていたんだが、今回の任務、重要な点がもう一つある。この地下空間内には、恐らく一般人……それも子供が、まだ一人取り残されている」  俺は思わず天を仰いだ。 「そういうことは早く言ってくださいよ!」 「だから、今言おうと思ってたって言ったろ!」  広い地下空間、対処すべき古生物の情報は乏しく、おまけに人探しがセットでついてくる。 「証言者の子供は、友達と二人で地下に入り込んだらしい。そしてそこで大型の古生物に襲われ、もう一人とははぐれてしまったそうだ」 「それ、そのもう一人の方はとっくに喰われちまってんじゃねーか?」  イエナオさんが平然と不謹慎なことを言う。 「少なくとも、地下から逃げ出してこれた方の子供が最後に見た時点では、まだ無事だったということだが……」  その証言は、現時点での無事を保証するわけではない。班長もそれを分かっているからこそ、その言葉は歯切れが悪くなっていた。  古生物が絡んでおらず、単に子供が地下空間で迷子になったというだけなら、多人数を投入して手分けして探せば良い。だが、大型の危険古生物がいるところに対危険古生物訓練を受けていない人間をそんな風に送り込んだりしたら、かつてのショートフェイスベアによる第一班全滅事件のように多大な犠牲が出かねない。  あの事件で犠牲になった人達は素人というわけではなかったが、危険古生物対策課ができてから日が浅かったこともあって、対象となる古生物について十分な知識を持っていなかった。訓練を受けていない人間を送り込んで、同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。  逆に子供が迷い込んでさえいなければ、今回のような場合においては、古生物自体への対処は比較的簡単になるはずだった。中に餌付きのトラップを仕掛けてから出入り口を封鎖し、相手が罠にかかるのをじっくりと待てば良い。普段人が使っている場所ならいつまでも封鎖し続けるわけにもいかないが、放棄された地下空間なら、封鎖したままいくらでも待つことができる。  しかし現場に迷子がいるとなると、そうもいかなくなってくる。  結論としては、対危険古生物の訓練を十分に受けた人間――つまり、俺達――が現場に突入して迷子と危険古生物の両方を探す他無いということになる。    そして、厄介な点はもう一つあった。子供が古生物に襲われた地下施設と別の建物の地下施設とを直接繋ぐ地下通路は二本あり、しかも完全に逆方向なのだ。そして子供や古生物がそのどちらへと進んだのかは分からない。  どちらへも行かず最初の建物内に留まっていてくれたら一番楽なのだが、そう都合良くいく可能性は低いだろう。特に大型古生物と出くわしてしまった子供の方は、できるだけその場から離れたいと考えるはずだ。 「これはチームを二つに分けた方が良いでしょうね」  少し迷いながらも、俺はそう提案した。迷ったのは、戦力を分散させれば当然、危険古生物と遭遇した際に返り討ちにされる危険性も増すからだ。班長もそのことを考えたのか、即答はしなかったが、数秒の間をおいて返ってきた答えは「……そうだな、あまり時間をかけてもいられないしな」というものだった。 「そうなると、あとはチームをどう分けるかですが――」  俺がそこまで言った時、イエナオさんが口を挟んだ。 「悪いが、俺は班長と組むのはごめんだ」 「イエナオさん……これは仕事なんだからワガママ言うのはやめてくださいよ」 「いつもワガママ言ってるのはそいつの方だろ」  イエナオさんは、これ見よがしに班長の方にちらりと目を遣りながらそう反論する。 「そいつが害獣どもを殺さずに済ませようとしたがるせいで、毎度毎度こっちの危険が割り増しになるじゃねーか。どーせそいつら本国人達にとっちゃ、俺ら島民よりも駆除されそうになってるカワイソウなドウブツ達の命の価値の方が高いんだろうよ」 「べつにそんなつもりは――」  さすがに班長の顔が険しくなる。  島民である俺が聞いても、今日のイエナオさんは言い過ぎだった。  年齢差はそれほどではないとはいえ、イエナオさんは第一班の中では最年長だ。それなのに、どうしてこの人はいつもこう大人げないのか。  ……いや、いつもはここまでではなかったはずだ。確かに普段からイエナオさんは班長と折り合いが悪かったが、いつもはこれほど唐突につっかかったりはしない。いったいどうしたわけだろう。俺が遅刻している間に、何かあったのか? 「あー、はいはい、分かりました」  俺はパンパンと手を打って、エスカレートしそうな二人の言い争いを止めた。こうしている間にも、地下空間に取り残された子供が危険古生物と鉢合わせしているかもしれないのだ。くだらないことで時間を無駄にしてはいられない。 「じゃあツツジと班長が南西、俺とイエナオさんが北東の方を担当するってことにしましょう。全員、それで良いですね?」 「……ああ」  反論を遮られた班長だったが、事態の緊急性を理解しているためか、表情は険しいままながらもうなずいてはくれた。 「俺は本国人サマとでなきゃそれで良い」 「私はべつに誰とでもー。なんなら一人でだって余裕だしー?」  イエナオさんとツツジの同意も得られたので、ひとまずこの場は収まった。    しかし出だしからこんな調子で、今回の任務、本当に大丈夫なんだろうか?  俺は、どうにも不安を拭いきれなかった。
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