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第一幕:野良ティラノサウルスに餌を与えないでください
まずいな、このままだと遅刻する。
眼鏡型情報端末の時刻表示に急かされるように走っていると、右手からバン、と何かが地面にぶつかる音が聞こえてきた。反射的にそちらへと目を向ける。
そこには、ティラノサウルス・レックスがいた。そしてその足元には、青い円筒形のものが倒れている。
ティラノサウルスはそこから何かを引きずり出し、片足で押さえつけると、強力な顎で引き裂いて中身を貪り喰った。
ああ、あれは――『いいな、いいな、NInGenっていいな』のキャッチフレーズでお馴染み、我らがノルトライン・インテグレイテッド・ジェネティック・テクノロジーズ社の今期イチオシ製品、ティラノサウルス用高タンパク飼料ではないか。引き裂かれた外箱のデザインに見覚えがある。
どうやら誰かがまだ中身の残っている餌を捨てた上に、ティラノサウルス避けスプレーをきちんとゴミ箱にかけていなかったらしい。
『ティラノサウルスまっしぐら』のCMが誇大広告ではないことをアピールするかのように、路上にぶちまけられた餌を夢中で食べていたティラノサウルスだったが、俺が見ていることに気がつくと顔を上げ、グアアッと鳴いて威嚇してきた。
こう表現するとあたかも怪獣の如き声で吠えられたかのようだが、実際はどちらかというとアヒルの鳴き声に近い。
かつて映画などで使われたティラノサウルスの鳴き声は猛獣を参考にしたものだが、実のところティラノサウルスは現代のいかなる猛獣よりも鳥類に近い生物だ。だから、こんな鳴き方をしていても何の不思議も無いはずである。
――とまあ、理屈ではそうと分かっていても、実際に聞くとやはりどうにも間抜けに感じてしまう。もっと肉食動物らしい迫力ある声を出して欲しいとも思うが、それは人間の勝手というものだろう。
肉食かつティラノサウルスに近い現代の生物といえば猛禽類だが、オオタカやクマタカの鳴き声はピョッピョッとかピーィピーィとかそんな感じだ。それとどちらが良いかと問われたら、今の方がまだマシかもしれない。
そんなことを考えながらティラノサウルスを見ていた俺は、ふと我に返って、情報端末の隅に表示されている時刻に再度目をやった。
しまった、ティラノサウルスなんかに気を取られている場合じゃなかった。
慌てて走る。
それにしても、このところ野良ティラノサウルスを見る機会がずいぶんと多くなった。C級とはいえ、こいつらも危険古生物であることに違いはない。それがこんな風に日常的に野外で見られるようになってしまったとあっては、うちの班長もますますストレスを溜めていることだろう。
もっとも、しょっちゅう遅刻ばかりしている俺自身もまた、班長のストレス要因の一つではあるのだけれど。
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