第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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 案の定というべきか、子供が古生物に出くわした場所には既に子供と古生物いずれの姿もなく、当初の予定通り俺達は二チームに分かれて行動することとなった。    北東方向の地下通路をしばらく進み、逆方向へと行った班長達と十分に距離が開いたであろうと思われたところで、俺は口を開く。 「あのですね、イエナオさん。何がそんなに気に入らないのか知りませんが、無闇やたらとミナ班長につっかかるのはやめてくださいよ。間に入る俺の身にもなってください」  先輩だろうとなんだろうと、時には苦言を呈さなくてはならない。今の俺は一応、副班長でもあるのだし。  イエナオさんは、ふんと鼻を鳴らした。 「何が気に入らないのか知らないって? 俺からしてみりゃ、お前の方こそよくそんな台詞言えたもんだなって感じなんだがな」 「言ってる意味がよく分かりませんが」 「なんでお前が副班長なんだって話だよ」 「なんです? 班長だけじゃなく俺も気に入らないって言いたいんですか? 勤続年数が長い自分の方が先に副班長になるべきだと?」  さすがの俺もムッとして棘のある言い方をしてしまったが、それに対するイエナオさんの返答は予想外のものだった。 「そうじゃねーよ。お前が不真面目そうに見えて、実は俺なんかよりよほど真面目に古生物のことを勉強してるってこたぁ俺だってさすがに分かってる。なんだかんだで頭も回るしな。俺が言いたいのはな、むしろ何でお前が班長じゃないんだってことだよ」 「……」 「今日だって、班の方針を当然のようにお前が決めてたろ? 今日に限った話じゃねえ。だいたいいつもそうだ。古生物の知識も頭のキレもお前の方があの本国人より上だし、あいつに任せるよりお前に方針決めさせた方がよっぽどうまくいくからな。だったら、なんでお前じゃなくあの本国人が班長やってるんだ? 答えは一つしかないよな。親のコネだ」 「いや、確かにミナ班長は前社長の娘ですけど、そのコネで班長になったとは限らないでしょう」 「おいおい、お前、本気でそう思ってる? あいつにあの若さで班長になれるほどの飛び抜けた実力があるか?」  そう言われると、首肯しづらいのも事実だ。  そうは思いつつも、口では班長をかばってしまう。 「あの若さでとは言いますが、他の班の班長だってせいぜい三十歳くらいなんですから、そこまで飛び抜けて若いというわけではないでしょう。たかだか数歳差ですよ」 「他の班の班長が全員三十歳以下なのは、俺らと同じ島民なんだから当然だろ」  新六甲島でヒトウドンコ病の感染爆発が始まったのがちょうど三十年前だ。新生児のみが無症状病原体保有者となって命を拾い得るというヒトウドンコ病の性質上、三十年前の時点で一歳を過ぎていた島民は一人残らず死んでいるのだから、今の島民が全員三十歳以下なのは確かに当然と言えば当然である。 「それに、この仕事で数年分の経験差ってのはけっこうでけーと思うがな。そのくらい、お前だって本当は分かってんじゃねーか?」 「いや、でもですよ、危険古生物対策課の班長って、コネ使ってまでなりたいような立場でしょうか? 危険は多いし、実際、ミナ班長だって何度も危ない目に遭ってますよね。イエナオさんは、班長が本国人だから優遇されてるみたいに言いますけど、それを言うなら本国人の人達はだいたい研究部門みたいな安全な部署で働いてて、うちみたいな危ない仕事をやるとこではだいたい、平班員だけじゃなくて班長も島民がやってるじゃないですか。それこそ、さっきイエナオさんが自分でも言ったみたいに」 「あの女には、うちの課で班長をやりたがる理由があるんだよ」 「理由?」 「前に本国人の奴らが話してるのを立ち聞きしたんだけどよ、あいつ、昔可愛がってた古生物が逃げ出して、それを当時の危険古生物対策課に殺されたんだとさ。で、そういうのを減らすために、うちの課で、かつ現場で指示を出せる班長の立場になりたがったって話だ。第一班なのも、危険度が高い古生物を一番よく相手にするのがこの班だからだろうよ。危険度がたけーってことは、人間の側からすりゃ殺られる前に殺る必要性がたけーってことでもあるからな。そこでストップをかけられる立場ってのは、殺される古生物を減らすにゃうってつけだろ?」 「ははあ、そんな話は初めて聞きました。いい話……なんですかね? どんな理由であれ、下駄履かされて人の上に立つっていうのはあまり褒められた話じゃないという見方もできますが」 「いい話なわけあるかよ」  イエナオさんは吐き捨てるように言う。 「さっさと殺しちまった方がこっちにとっちゃ安全なのに、あいつの偽善のせいで部下の俺らは余計な危険を背負わされてんだぞ? 体張って自分のトラウマ癒やしたいってんなら、自分一人の体だけ張ってろって話だよ」    その意見も分からないではないのだが、俺自身もできれば相手の古生物を殺さずに済ませたいと思っているだけに、班長を否定はしづらい。 「あの女もしょせんは本国人だからな。どうせ俺ら島民のことなんて、同じ人間だとは思っちゃいねーんだよ。だから自分の巻き添えで危険にさらしても心が痛まねーのさ」 「それはさすがに偏見だと思いますけど。少なくとも俺は、島民であることを理由にミナ班長に見下された覚えは一度だって無いですよ」  度重なる遅刻を理由に怒られたり呆れられたりしたことは数知れずだが、それは俺が島民であることとは無関係だろう。 「おめでたい奴だな、お前は」    イエナオさんは、チッと舌打ちをした。 「あいつら皆、いくら表じゃ綺麗事言ってても、裏じゃ俺達のことを劣等人種だとか下等人種だとか呼んで蔑んでんのさ。……俺が育った家の奴らが、そうだったよ。上の連中の機嫌とるために仕方なく、猿を飼うようなものだと思って俺を引き取ったのさ。そんなことも知らず俺は、十年もあんな奴らのことを親だと信じてたんだからな。ったく、笑えるぜ」    十年というのが生まれてからの年月なのか、それとも物心ついてからのことを指すのかは不明だが、ともかくイエナオさんは十代前半にして育ての親が自分をそのように見ていることを知ったのだろう。多感な時期だ。本国人を憎むようになるのも無理はない。    しかしだからといって―― 「だからといって、本国人皆が俺達島民のことをそんな風に思ってると考えるのは、それはそれで偏見でしょう。偏見に偏見で返すのは不毛ですよ」    自分で言っていて、これはそれこそ綺麗事すぎて心に響かない言葉だな、と思った。べつに心にも無いことを言っているわけではないのだけれど。  案の定、イエナオさんの反応は俺の言葉を鼻で笑うというものだった。そして口を開いた時に出てきた言葉はこうだった。 「ハルツキ、そういうお前を引き取った奴はどうだったんだよ。俺のとことは絶対に違うって、そう心の底から言えるか? 口先で聞こえの良いこと並べ立てる笑顔の裏に何も隠されちゃいなかったって、そう言い切れるのか?」 「俺の親は――」 『私達はね、最初から間違ってたんだよ』  かつて聞いた言葉が、頭蓋の内で響く。 『だからね、こうなるのはきっと、当然のことなんだ』 『せめて間違いを重ねなければ良かったのに』 『もっと早く諦めて受け入れていれば、間違いを重ねずに済んだのに』  そう言って無理に作った微笑み。  その裏には、何も隠されていなかったのか。  そんなわけがない。  あの人が何も隠していなかっただなんて、そんなわけないことは、俺は嫌というほどよく分かっている。あの人は隠し事が下手で、何かを隠しているのはそれこそ俺だって十代前半の頃には察していた。  何を隠しているのかは最後まで言わないまま、墓の下に持って行ってしまったけれど。  だから結局、俺はあの人が心の内で何を思っていたのか、よく分からないままだ。  けれどそれでも、言えることはある。 「俺の親は、良い人でしたよ。少なくとも俺は、自分が愛されて育ったと思っています」  そこだけは、否定させない。  我知らず言葉か表情によほど力がこもっていたのか、イエナオさんは一瞬、気圧されたように言葉に詰まった。そして結局、先ほどの俺の言葉自体は否定しなかった。 「……そうかよ。つまりお前はを引いたってわけだ。だからそんな風に、本国人の奴らを見る目が脳天気になんだな」 「いやいや、俺だって俺達島民を見る時に嫌そうな顔をしたり、避けたがったりする本国人がけっこういることは知ってますよ?」    さすがにそこに気づかないほど脳天気だと思われるのは心外だ。 「でもヒトウドンコ病のことを考えたら、それも仕方ない面はあるでしょう」    いかに高価なワクチンを打ってからここに来ているとはいえ、なにしろ乳幼児以外が感染したら致死率百パーセントの凶悪伝染病だ。向こうの立場になって考えれば、その病原体保有者との接触に不安を感じるのも無理は無い。 「ヒトウドンコ病か……」    イエナオさんはなぜかそこで言葉を切り、無言で考え込み始めた。いったいどうしたのかと思っていると、今度は突然、情報端末のAI〝メガネウラ〟に指示を出した。 「メガネウラ、この付近にいる危険古生物は?」 「ここは地下だから電波が届かないって話だったと思いますけど」 「そうみたいだな」  イエナオさんの返事から察するに、オフラインのため調べられないとかそんな感じの答えを〝メガネウラ〟は返してきたのだろう。    それにしても、今の話の流れでいったいなぜそんなことを試すのか。  俺は訝しく思った。 「だったら、ここなら盗聴されてる可能性も無いってわけだ。正直迷ってたんだが、こんな機会は滅多にねーしな。ハルツキ、ちょっと止まれ」  言われる前から、俺は立ち止まっていた。というのも、ちょうど目の前で道が左右に分かれるT字路になっていたからだ。  オフラインでも見られるよう、予め端末にダウンロードしておいた地図を確認する。この先にあるのは、旧理科学研究所の地下施設二つ目のようだった。左に進むと数メートルほどで扉に突き当たり、その先には広い部屋があるものの、今は扉自体が閉鎖されているらしい。右は地下施設を横断する廊下に通じていて、そこを通過するとまた別の地下施設とを繋ぐ地下連絡通路へと抜けられる。  いかに薄暗いといっても、数メートル程度なら見通せるし、とりあえず左側の通路を見て誰も(あるいは何も)いないようなら、右に進もう。    俺がそんなことを考えていると、「ちょっとこいつを見てくれ」と言いながらイエナオさんが何かを手渡してきた。そちらに目を向けると、数枚の書類だった。こんなものをどこに仕舞っていたのやら。    受け取って文面に目を走らせる。 「ヒトウドンコ病は、本来は植物に感染する病原体であったウドンコカビが突然変異によりヒトへの感染力を獲得したものである。動物を宿主とする病原体由来の感染爆発には対策を立てていたが、ウドンコカビがこのような変異を起こすことは完全に想定外であったため対策が後手にまわり、これが甚大な被害を出す一因となった。これほど性質を大きく変える突然変異が自然に生じる確率は非常に低く、歴史の復元力が働いた結果と考えられ……ヒトウドンコ病についてのレポートじゃないですか。わざわざ印刷したやつを持ち歩いてるんですか?」 「いつも持ち歩いてるってわけじゃねえ。地下は電波が入らなくて、しかもチームを分けるって聞いた時に閃いたんだよ。ここであの本国人の女と別行動をとれるようにしときゃ、これを見せるチャンスが手に入るってな」 「いや、ちょっと待って下さいよ。じゃあ、作戦会議中に班長に喧嘩を売ったのはわざとだったんですか」    確かに、いつも以上に大人げなくつっかかるなとは思っていたが。 「そうまでして読ませたいものなんですか、これ。歴史の復元力っていうのがなんか意味不明ですけど、それ以外、特に目新しいことは書かれてないように見えますが……」 「重要なのはその次のページだ」    言われて、俺はページをめくる。上の方にはやはりこれといって特筆すべきことは書かれていない。だが、中程まで読んだ時、俺の視線はそこで釘付けになった。 「ヒトウドンコ病感染者の致死率は百パーセントであり、感染して助かった例は現在のところ報告されていない。ワクチンの開発も目処が立たず、現状、予防・治療法ともに存在しない。全感染者の隔離ならびにその後の死亡によってヒトウドンコ病パンデミックはいったん終息したもののヒト以外の生物では不顕性感染している例があり、こうした生物からの感染が散発的に……いやいや、なんですか、これ」 「読んでの通りだよ」 「読んでの通りなわけないでしょう。ヒトウドンコ病の致死率が百パーセントで感染して助かった人がいないっていうなら、今ここにいる俺達はなんだって言うんです? ワクチンの開発が失敗したっていうなら、班長達本国人だって怖くてこんな所にいられないでしょう⁉」 「その両方に対して説明がつくシンプルな答えがあるだろ。ハルツキ、お前くらい頭が回る奴なら、すぐ思いつくはずだ」    イエナオさんの言った通り、既に俺はそれを思いついていた。  だが、まさか。そんな馬鹿な。  有り得ないとは思いつつも、恐る恐る俺はその思いつきを口にする。 「俺達は最初から、ヒトウドンコ病の感染者なんかじゃなかった?」  もしそうなら、俺達がヒトウドンコ病で死んでないのも当然だし、俺達から感染する危険性も無いから本国人達もワクチン無しで俺達に接することができる。    それに、俺を育ててくれたあの人の不可解な死に方にも説明がつく。    ずっと、心の奥底では引っ掛かっていた。ワクチンを打った上でこの島に来ていたはずのあの人は、なぜヒトウドンコ病で死んだのか。そして、感染し隔離されたあの人との接触を、無症状とはいえ既に病原体保有者である俺まで禁じられたのはなぜなのか。  担当医の話によれば、これまでのワクチンが効かない変異型の場合、既に無症状病原体保有者となった者であっても発症の危険性が否定できないからということだった。俺もいったんはその説明を受け入れたが、しかしやはり引っ掛かるのだ。    これまでのワクチンが効かない変異型なんてものがもし本当に現れたのだとしたら、もっと騒ぎになっていないとおかしくはないか? 特に、ワクチンで感染を免れているはずの本国人達はもっと動揺する方が自然だ。  だがもしも最初からヒトウドンコ病のワクチンなど最初から存在せず、感染した者は誰も助からないと最初から分かっていたのだとすれば、話は違ってくる。    俺の返答に対し、イエナオさんは無言で頷いてみせた。 「そんな馬鹿な……」    自分で思いついておきながら、俺はその考えを否定せずにはいられなかった。もしそれが真実なら、俺達のこれまでの世界観はひっくり返ってしまう。    第一、いくらこれまで信じてきた話に引っ掛かる点があるとはいっても、イエナオさんの話が真実だというなら、それはそれでおかしい点が色々と出てくる。 「ありえないですよ。ヒトウドンコ病に感染してるわけでもないなら、俺達がこの島に閉じ込められる理由だって無いじゃありませんか」    俺個人について言うなら、べつだん島の外に行きたいと強く思っているわけではない。しかし島民の中にも、外の世界に行ける日を心待ちにしている人間は少なからずいる。ツツジが良い例で、島民の島外渡航が解禁されたらここに行きたいだとかあれを見たいとか、そういう話を何度されたか分からない。それでもここを出ることを許されないのは、ワクチンが行き渡っていない外の世界に俺達が出て行ってしまったら、ヒトウドンコ病パンデミックが起き、数え切れないほどの死者が出かねないからだ。  そのはずなのだ。  少なくとも、これまではそう教えられてきた。 「理由ならあるさ。俺達が、NInGen社にとって逃がすわけにはいかない実験台だって理由がな」 「実験台……? 何のです?」 「そもそもお前、これまでおかしいとは思わなかったか? 新六甲島の復興にはとんでもない額の金と、あと労力もかかる。NInGen社は古生物復活の研究を規制無しでやって良いって条件と引き換えにそれを引き受けたって話だが、たかだが古生物を見世物にしたりペットとして売ったりしたくらいで、その負担に見合うだけの利益が手に入ると思うか?」 「島の復興は営利目的でやっていることではなく慈善事業という扱いのはずですが。確か、ヒトウドンコ病エピデミックの前にもこの島にはNInGen社の研究所があったとかで、縁のある土地に恩返しをするためとか」 「営利企業がそんなぬるい考えで動くわけないだろ。ハルツキ、お前だって本当のところはそんな建前、信じちゃいないはずだ」 「まあ、それは……。でもそれじゃあ、本当の狙いは何だったっていうんです?」 「よく聞けよ、ハルツキ。恐竜だのマンモスだの、ああいうでかくて派手な古生物は、全部ただの目くらましなんだよ。奴らが本当に復活させたかったのは、だ」 「小さい生物?」 「古代の微生物や寄生生物――そういった病原体だ。生物兵器として使うためのな」 「生物兵器⁉ ちょっと待ってください。じゃあ、さっき俺達が実験台だって言ったのは……」  イエナオさんは大きく頷く。 「こういう話を知ってるか? 動物や植物なんかは進化したやつほど強い能力を持ってる場合が多いが、病原体はむしろ進化するにつれてマイルドになっていく。あんまり強力なやつは、感染対象を殺し尽くしちまって自分達も増えられなくなっちまうからだ。ちょうどヒトウドンコ病がそうだったみたいにな。だからもし古代の病原体を復活させることができれば、そいつが現代の病原体以上に強力な生物兵器となる可能性は十分にある。まあそうはいっても、ヒトウドンコ病みたく強力すぎて使う側にも制御できないようじゃ兵器としては失敗作だけどな」 「ちょっと待ってください! じゃあイエナオさんは、ヒトウドンコ病もNInGen社が古代の病原体を復活させたせいで起こったって言うんですか?」 「そう考えるのが自然だろ? この島には、こんなことになる前にもNInGen社の研究所があった。正確に言や、旧理科学研究所にNInGen社の寄付講座があったんだが、ともかくその新六甲島でヒトウドンコ病が発生し、その復興のためという名目で島ごと奴らの管理区になった。何もかも出来過ぎだ。お前に渡したレポートを書いた奴はNInGen社の人間じゃねーから、そんな裏事情までは知らなかったんだろうけどな。……ヒトウドンコ病は生物兵器としては失敗作だったが、奴らは今も古代の微生物や寄生生物復活の研究を続けている。ハルツキ、お前は旧港島区の南側に小さな人工島がくっついてるのを知ってるか?」 「旧空港島ですよね? ヒトウドンコ病エピデミック以来、閉鎖されたままだって聞いてますけど」 「閉鎖されてるってのは上が流してる嘘だ。今そこには、〝サイトB〟とか呼ばれてるNInGen社の極秘研究施設がある。そしてそこじゃ、通常の危険古生物とはまったく違う〝特定危険古生物〟ってのが作られてるって話だ。多分それが、古代の病原体なんだろうな」 「そして俺達は、その病原体の実験台にするためにここに閉じ込められてると?」 「そうだ。状況証拠は他にもあるぜ。百歩譲って、レポートのヒトウドンコ病に罹った人間が全員死ぬって話は間違ってるかもしれねえってことにしとこうか。じゃあ、今この島にいる島民が全員三十歳以下ってことについてはどう思うよ? ヒトウドンコ病に罹って助かるのが赤ん坊だけだからってことに表向きはなってるが、そんな妙な病気が本当にあると思うか? どう考えたって、体の弱い赤ん坊の方が死にやすいだろうよ。それよりは、日本政府と裏取引して実験台にする赤ん坊を集め始めたのが三十年前だからだって考える方がよっぽど自然だ」 「なんだって日本政府がそんな取引に乗るんです?」 「さっきのレポート、ヒトウドンコ病って書いてあったのに気づいたか? エピデミックじゃなくてな。ヒトウドンコ病の感染は、実際には島の外にまで広がってたんだ。日本の財政も相当ダメージを受けただろうよ。NInGen社はそこにつけ込んだんだろうな。日本政府からしてみりゃ、NInGenから財政的に援助してもらえて、おまけに親のいないお荷物なガキの面倒を見なくて済むようになる。一石二鳥だ。ま、そもそも日本政府がそこまで追い詰められる原因になったヒトウドンコ病自体NInGen社がばら撒いたもんなら、政府もNInGen社の掌の上で良いように踊らされてるだけって話になるが」  俺は頭を振る。 「そんな陰謀論じみた話、突然言われても信じられませんよ。そもそもイエナオさんは、そんな情報をどこから仕入れてきたんです? このレポートも」 「そいつはまだちょっと言えねーな。お前が俺達の側につくと確信できてからだ」  うっかり言ってしまったのか意図的なのかは不明だが、『俺達』という言い方から判断するに、イエナオさんには仲間がいるということになる。もっとも、それすらも俺を騙すためのブラフという可能性はあるが。 「少し考えさせてください。まだ頭の整理ができていませんし、こっちはこっちで、今の話が真実だと確信できないうちはそちらにつくと決めることはできません」 「べつに俺は構わねえぜ。急にこんな話されてすぐ信じる奴を仲間にする方が不安っちゃ不安だしな。だが一つだけ約束しろ。この話は他の奴には絶対するな。特に本国人にはな。もちろん、あの女にもだ」  あの女というのは、言うまでもなくミナ班長のことだろう。仮に今のイエナオさんの話が真実だとして、俺達島民が古代病原体用のモルモットとして飼われているのだとすれば、それをやっているのは当然、NInGen社の上層部を占める本国人達ということになる。  そして、ミナ班長もその本国人の一人だ。  しかしあの班長が? どうにも信じられない。  それに、俺を育ててくれたあの人もだ。  あの人は、新六甲島にいる本国人の大半がそうであるように、NInGen社の研究員だった。そして、確かにあの人は、なにかを隠していた。  でも俺は、あの人が最後に遺した言葉を、今でもはっきりと覚えている。  ヒトウドンコ病を発症した人間の半数近くがそうであるように、あの人も安楽死を選んだ。そして別れの日、泣きじゃくる俺に彼女はこう言ったのだ。 『前を向いて進んで。私達と違って、あなたにはきっと、未来があるから』  あれは、病原体用のモルモットに遺す言葉なんかじゃなかった。
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