第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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 冷静になって考えてみると、イエナオさんの話には確たる証拠が何も無い。渡されたレポートだって、その気になれば誰にでもでっちあげられるようなものだ。  俺達を古代病原体用のモルモットとして使う計画にミナ班長やあの人が関わっている可能性と、イエナオさんが根も葉もない陰謀論を吹き込まれている可能性。どちらの方がありそうかと問われたら、後者だというのが正直な心証だ。  そんなことを考えていると、俺達が話している間床で寝そべっていたパックが唐突に立ち上がった。毛が逆立ち、警戒心を顕わにしている。これは何か嗅ぎつけたか。 「パックの様子が変です。近くに何かいるのかも」  イエナオさんにも注意を促した直後、耳が微かな音を捉えた。  カツッ、カツッ、コツーン、コツーンという、硬質でリズミカルな音だ。まだ距離はあるようだが、前方から徐々に近づいてきているように思える。 「なんだこの音?」  イエナオさんが眼前の分かれ道へと一歩足を進める。  不用意に近づくと危ない、と俺が注意を促そうとしたまさにその時、分かれ道の右側から何かが勢いよく飛び出してきた。そしてそのまま、イエナオさんに激突する。    飛び出してきた影はイエナオさんにぶつかった反動で後ろにひっくり返ったが、すぐに立ち上がって逃げ出そうとした。そこを、イエナオさんが猫の子でも持つみたいにして掴みあげる。 「ってーな。なんだ、ガキじゃねーか」  いかにも本国人といった感じの、色白で金髪を二つ結びにした少女だった。年の頃は十代前半といったところか。 「報告にあった、地下に取り残された方の子供でしょうね。外見の特徴が一致します。いやー良かった、無事だったんですね」  見つけたのが肉食古生物に食い荒らされた子供の死体だったりしたら、しばらく食事が喉を通らなかったかもしれない。 「はっ、放して!」  少女はじたばたと暴れるが、成人男性としてもかなり体格が良い方のイエナオさんはびくともしない。 「このガキがたててた音だったのか?」 「……いえ、それは違うみたいですよ」  カツッ、カツッ、コツーン、コツーンという音は、まだ聞こえてきている。それに、嗅ぎつけたのがただの人間の子供の臭いなら、パックがここまで警戒するはずはない。 「放してってば! あいつが来ちゃう!」  少女が声に焦りを滲ませて喚く。 「あいつ?」  カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。  音はどんどん近づいてくる。もうかなり近い。地下に降りる前に一度確認しているが、念のためにもう一度装備を確かめる。    麻酔弾入りのライフルと、サブの銃としてスタンバレット入りの拳銃。接近戦をせざるを得なくなった場合のためのサバイバルナイフ。他に閃光手榴弾とトウガラシスプレーもある。  狭いトンネル内での取り回しや持ち運びを考慮し、大型の銃は持ち込まなかった。  万が一この前のティラノサウルスのように並みの銃では外皮で弾き返されるような相手が出た場合、この装備では手も足も出ず退散するしかない。しかし図面を見る限り、この地下空間へと続く階段やスロープに、ああいった大型古生物が通れるほどの広さを持つものは無かった。  グリプトドンのように比較的小型ながらも外皮は頑強な生物もいるが、そういうのは大抵狩られる側であるが故に防御力が高いタイプだ。それならそれであまり心配する必要は無い。  とはいえ、あちこちに曲がり角がある地下通路というのは、遠距離から狙撃できるという銃のアドバンテージを半減させる。旧理科学研究所の設備とはいえヒトウドンコ病エピデミック以来放置されている自家発電装置からの給電だけではそれが精一杯なのか、非常灯がぼんやりと灯っているだけの薄暗さも厄介だ。  カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。  音が、すぐそこまで来た。  ライフルを構える手に汗が滲む。  そいつが巨大な頭部をT字路の右側から覗かせた時、俺は一瞬、気づくのが遅れた。  その頭が、予想外に高い位置にあったからだ。    非鳥類型恐竜の復活例が少ない現状では、復活済み大型古生物の大半は四足歩行だ。さすがにマンモスくらいになると話は別だが、ショートフェイスベア程度なら体重はあっても普段の歩行時における体高はそこまででもない。  ところがそいつの頭は、二メートル強ある天井すれすれの位置に現れたのだ。  俺の反応が遅れている僅かな間にそいつは歩を進め、その全身がT字路の交差部に現れていた。  巨大な頭部と長い首、それらに対して胴体は異様なほどに貧弱だ。四肢はこれまた胴体に対して不釣り合いなほど長く、それらの間には膜が張っている。体全体が柔らかそうな短い毛で覆われ、背面は黒褐色、腹側は白色という配色をしていた。  カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。  巨大な頭部の大半を占める長く鋭い嘴を打ち鳴らし、そいつは音をたてる。  蛇神ケツァルコアトルの名を冠する巨大翼竜、ケツァルコアトルス・ノルトロピ。  天高く飛ぶ翼竜と地の底で相見えるという予想外の展開に一瞬呆気にとられた俺だったが、すぐに我に返り、麻酔弾を撃ち込んだ。銃声とともに、ケツァルコアトルスの頭がのけぞる。この薄暗い中では不安だったが、どうやら命中してくれたようだ――と思ったのも束の間、ケツァルコアトルスは来たのとは反対側の道へと脱兎の如く駆け込んだ。 「おいおい、逃げられちまったじゃねーか」 「大丈夫ですよ。ケツァルコアトルスが逃げ込んだ方の道はすぐ行き止まりになってます。当たってはいるはずなので、麻酔が効くまでしばらく待ちましょう」 「にしても、あんなでかぶつがどうやってここまで入ってきた?」  ケツァルコアトルスは成長すると頭頂部までの高さが四~五メートル、翼を開いた端から端までの長さは十メートル以上にもなる。そのサイズだと、ここの天井の高さでは立つことすら難しい。しかし、今の個体はそこまで大きくはなかった。恐らくは亜成体だろう。頭頂部までの高さで言えば、おおよそ二メートル半といったところか。  一方、この地下空間へと通じる非常階段の出入り口は高く見積もってもせいぜい二メートルといったところである。  もっとも、ケツァルコアトルスの体高はその大半を長い首が占めるため、屈めば人間用の出入り口をくぐれるくらいには収まるかもしれない。しかしそれでも今度は幅が問題になってくる。ケツァルコアトルスの翼は地上を歩くために折り畳んだ状態でも少し左右に広がっているため、幅の狭い空間を通り抜けるのには難があるのだ。  やはりこの大きさでこんなところへ入り込んできたと考えるのは不自然だろう。  それに、不自然な点は他にも二つある。 「どっかにでかい入り口でもあんのか、ここ?」 「いえ、それよりは、まだ小さいうちにここに入り込んで、そのままここで成長してしまったせいで出られなくなったという可能性の方が高いでしょう」 「それは、マップでそんなでかい入り口は見当たらなかったってことか?」 「まあそれについてもそうなんですが」  厳密に言えば、機器搬入用の大型エレベーターがあることはある。しかしながら、ヒトウドンコ病エピデミックの混乱期に壊れてしまったらしく、NInGen社がここを調査して地図を作成した際にはもう動かなくなっていたらしい。 「理由はそれだけじゃありません。まずですね、このへんはこの前ティラノサウルスを捕まえた旧六甲島区と違って、普通に人がたくさん住んでます。こんなでかいやつが地上をうろうろしていたら、とっくに見つかっているはずです。つまり、こいつはこの大きさになってからはずっと地下にいた可能性が高い。それからもう一つ。この年頃のケツァルコアトルスが、こんな飛び立てない場所を好き好んで住処に選ぶはずがありません」 「年頃がなんか関係あんのか?」 「この年頃のうちに、飛び回ってつがいになる相手を探すんですよ。もう少し成長したら、飛べなくなりますからね」 「こいつ、翼竜だろ? 飛べなくなるって、羽がもげでもするのか?」  イエナオさんは納得いかない様子で眉間に皺を寄せている。ツツジほどではないが、この人も古生物についてあまり勉強熱心ではない。まあ、だからこそ後輩にあたる俺の方が副班長になれたという面もあるが。 「完全に大人になったケツァルコアトルスの体重は二百五十キロほどになりますが、航空力学上飛べるのはせいぜい四十一キロまでなんですよ。で、飛べる限界ぎりぎりの体重を成体のだいたい六分の一と考えると、体積も六分の一。六の三乗根は約一.八ですから、幅と長さ、それに高さはそれぞれ成体の一.八分の一。成体の体高を四.五メートルとして計算するとその一.八分の一は二.五。ちょうど今のやつくらいの高さですね」 「お、おう。いや、お前……今の全部暗算で計算したのか?」 「いやいや、まさか。六の三乗根を暗算で出すとか俺にできるわけないじゃないですか。八の三乗根が二で、一の三乗根が一だから、六の三乗根はその間で尚且つ二に近い方だろうなとあたりをつけて、一.九の三乗を計算したら六.八五九、一.八の三乗を計算したら五.八三二だったから六の三乗根はだいたい一.八ちょいだろうと判断しただけです」 「お前、いつもツツジのことを凡人を理解できない天才みたいに言ってるけどよ、お前もたいがいだよな……」 「なに言ってるんですか、全然違いますよ。俺は今、その気になればイエナオさんにも計算できるようちゃんとやり方を説明したじゃないですか。俺が前、ツツジにどうやったらそんなに命中させられるのか聞いた時、あいつ何て言ったと思います? 『普通に狙って、それから普通に撃ったら当たるでしょ?』ですよ」 「今の説明で俺が計算できるようになると思ってる時点で……いや、もういい。それより、いい加減麻酔も効いてきた頃だろ。ハルツキ、こいつが逃げないようちゃんと見張ってろ」  そう言ってイエナオさんは、上着の襟首を掴みっぱなしにしていた少女をこちらにぽん、と突き飛ばしてきた。 「わわっ」  よろけてこけそうになった少女を慌てて抱き止める。 「もうちょっと優しくしてあげてくださいよ。だいたい、ケツァルコアトルスがまた襲ってでもこない限り、この子に逃げる理由なんてないでしょうに」  この少女も本国人だから気に入らないのかもしれないが、いくらなんでもこんな子供相手に大人げない。    イエナオさんは俺の言葉を無視して、ライフルを前に構えながら慎重にT字路の交差部へと進み出ようとする。  その瞬間、巨大な嘴が突き出されてきた。まだ体の前に突き出したライフルの銃身だけしか交差部へと進み出ていなかったため、イエナオさんはかろうじて串刺しにならずに済んだ。しかし嘴の直撃を受けたライフルはイエナオさんの手元を離れ、すごい勢いで吹っ飛んでいってしまった。  イエナオさんは慌てて後退してくる。腕を押さえているところを見ると、手にしていたライフルを弾き飛ばされた時に傷めてしまったのかもしれない。  ケツァルコアトルス側もこちらに姿を晒すリスクは避けたいのか、追撃はしてこなかった。 「くそっ、なんだあいつ、全然麻酔効いてないじゃねーか! ハルツキ、お前やっぱり外しただろ」 「そんなはずありませんよ。イエナオさんだって見てたでしょうに」  とはいえ、動きが鈍っている気配すらまったくないのは確かに妙だ。 「確かにあのでかい頭がいかにも衝撃受けたって感じでのけぞるところは見たけどよ、でもよく考えてみると、あいつ悲鳴一つあげてなかったぞ」 「悲鳴も何も、ケツァルコアトルスはそもそも鳴きませんし……ん? 頭?」  言われて気がついた。確かにあの時、ケツァルコアトルスは頭をのけぞらせていた。そしてケツァルコアトルスの頭部は、巨大な嘴がその大半を占めている。 「もしかして、あのばかでかい嘴に当たったせいで、麻酔剤が注入されなかったのかも」 「じゃあ、このまま待っててもあいつが動かなくなることはないってことかよ」  イエナオさんはため息をつく。  確かに厄介な事態になった。今俺達がいるのは、T字路の縦棒にあたる位置。一方、ケツァルコアトルスが籠城しているのは、横棒の左側にあたる位置だ。ここからでは、死角になっていて撃つことはできない。撃とうと思えば、いったんT字路の交差部まで出なくてはならないが、そんなことをすれば先ほどのイエナオさんのように嘴の一撃を受けてしまう。  ケツァルコアトルスの嘴の一撃は馬鹿にできない。なにせ、あの胴体に不釣り合いなほど巨大な嘴は、成体になると飛んで逃げられなくなるケツァルコアトルスが肉食恐竜と戦うための武器として発達したものなのだ。  もちろん、ティラノサウルスのような大型肉食恐竜が相手ではさすがに分が悪いが、成体でも体重二百五十キログラムしかないケツァルコアトルスは仕留めたところで得られる肉が少ない。たとえ肉が少なくとも、何のリスクもなく仕留められる相手なら、肉食恐竜は襲ってくるだろう。しかし、巨大な嘴で怪我をさせられる危険を冒してまで二百五十キログラムの肉を狙うのはコスパが悪い。なにせ、これといった武器を持たないハドロサウルス類を倒せば三トンほどの肉が手に入るのだ。  相手が大型肉食恐竜であってもそのような理由から襲撃を思い止まらせられる程度には、ケツァルコアトルスの嘴は強力な武器なのである。 「ハルツキ、お前ほら、あれできないか? 弾を壁にあてて、跳弾で死角にいる相手を撃つやつ」 「ツツジじゃあるまいし、できませんよ、そんなの」 「なんだよ、情けねえ」 「じゃあイエナオさんはできるんですか?」 「できたら聞いてねーよ」  だったら他人に偉そうなこと言わないで欲しい。  さて、どうしたものか。子供は無事保護したわけだし、ケツァルコアトルスが籠城しているのは袋小路で、そこから更にどこかへ逃げられてしまう心配は無い。というか、逃げられないからこそケツァルコアトルスは籠城せざるを得ないのだろう。  状況的には、こちらに急がなくてはならない要因はもう無いわけで、それこそ地下空間の反対側を調べ終えたツツジ達がこちらに合流するのを待ち、ケツァルコアトルスを仕留めるのはツツジにやってもらうという手もある。もし待っている間にケツァルコアトルスの方が痺れを切らし籠城している死角から逃げ出そうとこちらに姿を現した場合は、その時に撃てば良い。 ――とまあ、そういう受け身の戦術も取れないではないのだが、さすがにそれはなんというか、それこそ情けない気がする。仮に最終的にはツツジに頼むはめになるにしても、こちらでもできるだけのことは試しておきたい。  今現在、俺達とケツァルコアトルスは互いが互いの死角にいるわけで、そのために膠着状態に陥っている。では条件が対等かというと、実はそうでもない。  こちらがT字路の交差部まで進み出ると、ケツァルコアトルスがこちらの射程範囲内に入る代わりに、こちらも向こうの攻撃範囲内に入ってしまう。だが逆にケツァルコアトルスの方が交差部に進み出た場合、向こうはこちらの射程範囲内に入るが、こちらは向こうの攻撃範囲内に入らない。飛び道具が使えるこちらは、その分、交差部から距離をとれるからだ。 「つまり、どうにかしてあいつを交差部まで誘き出せれば良いわけですよ」  俺の説明を聞き終えたイエナオさんが最初にやったのは、斜め後ろに立つパックの方を振り返ることだった。 「お前のその狼を囮に使うのはどうよ? 人間なら無理でも、狼なら相手の攻撃をぱっと避けられそうじゃねーか」 「と、イエナオさんは言ってるわけだけど、どうだ、パック? 行けるか?」  そんな風に言葉で言ってみたところで当然伝わりはしないので、俺は交差部の方を指し示して『行け』という仕草をしてみる。パックはそれを見るやいなや、ころんと床に倒れ死んだふりをした。 「うん、まあそうだろうと思ったよ」  さすがに俺も、本気で相棒を突貫させるつもりはない。 「なんだよこいつ、死んだふりって。狸じゃねーんだぞ。狼がそれで良いのかよ」 「ダイアウルフが生きてた時代の北米には、スミロドンとかアメリカライオンとかショートフェイスベアとか、そういうもっと大きい肉食獣がうようよいましたからねぇ。自分より明らかに大きい相手との戦いを避けようとする習性があってもおかしくはないです」 「そうかよ。で、こいつが囮に使えないなら、じゃあどうやって誘き出すんだ?」 「うーん、ずっとこの地下で生きてきたのだとすると、餌は何度か見かけたケラトガウルスあたりでしょう。一匹捕まえて鳴き声を聞かせるとかすれば、つられて出てこないでしょうか」 「どうやって捕まえるんだよ。ああいうちっさいやつを捕まえるための罠とか今回何も持ってきてねーぞ」 「まあ、そうですよね」  深く考えずに言ってみただけの思いつきなので、あっさり否定されてしまうのもやむを得ない。 「それに仮に捕まえられたとしても、今のあいつはたぶんそんなに腹減ってないでしょうし」 「なんでそんなことが分かるんだ?」  イエナオさんは怪訝そうな顔をする。 「あいつ、嘴でカツカツ音をたてながら歩いてきたじゃないですか。腹が減って獲物を捕まえようとしてる時だったら、あんな風に音をたてませんよ。獲物が逃げちゃいますからね」 「でもあいつ、最初に私達を追いかけてきた時もあの音たててたけど? で、その後、私のペットを捕まえて食べてた」  横からそう口を挟んだのは、先ほどイエナオさんが捕まえた少女だった。 「そうなると、まったく腹が減っていないわけではない?」  それにも関わらずああやって音をたてているということは、餌の確保よりも優先順位が高い目的のためにそうしているということか。確か、ケツァルコアトルスが嘴で音をたてる理由は……。  ああ、そうか。    幼少時に地下空間へ迷い込んで出られなくなり、長きにわたり一頭だけで生きてきたケツァルコアトルス。  そして年齢的には、本来であればつがいの相手を探す時期。  となれば、答えは見えている。
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