第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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「あいつ、同族に会いたがってるのかもしれません」 「話の繋がりが見えねーんだが?」 「ケツァルコアトルスが嘴を鳴らして音をたてるあの行動、あれはクラッタリングといって、仲間とコミュニケーションをとるためのものです。鳴き声の代わりですね。現生動物だと、コウノトリなんかが同じ方式でコミュニケーションをとります」 「でもこんなところにあいつの仲間なんていねーだろ?」 「だからこそああやって、始終嘴を打ち鳴らしてどこかから返答がこないか試してるんですよ。人間だって、誰もいないところで『おーい、誰かいないのかー』とか呼びかけたりするでしょう? そんな感じです。しかもあいつは、つがいの相手を探すお年頃だ。同族に出会いたいという欲はなおさら強いでしょうよ」  イエナオさんにそこまで説明してから、俺は少女の方へと顔を向けた。 「そこの君――」 「キミじゃなくて、ミキだけど」  一瞬、何を言われたのかと思ったが、少し遅れて名前のことを言っているのだと思い至った。 「ミキちゃん達に向かってあいつが嘴を打ち鳴らしたのも、仲間の可能性を考えたんだろう。薄暗いから、ある程度以上の大きさがある相手にはひとまず試してみているのかもしれないし、ここに迷い込む前に人間に飼われていたのだとしたら、そもそも人間を自分の仲間だと認識している可能性もある」 「そっか。仲間に会えなくて、寂しかったんだ……」  ミキが、どこかしんみりとした声で呟く。多感な年頃の少女には、なにか思うところがあったのかもしれない。  一方、すれた大人である俺は、とっくにこの推測を打算に結びつけていた。 「餌の確保よりも優先するほどに仲間に飢えているのだとすれば、それを利用してこちらに誘き寄せましょう」 「おいおい、まさか上の古生物パークからあいつの仲間をもう一匹連れて来るってんじゃないだろうな?」 「さすがにそこまではしませんよ。向こうは音で呼びかけ続けていたのだから、こちらも音で呼びかければ良いんです」  作戦はシンプルだ。俺かイエナオさんのどちらか片方が何か硬いもので壁を叩くなどして音をたて、ケツァルコアトルスを誘き寄せる。そしてケツァルコアトルスが死角から姿を現したところで、予めライフルを構えていたもう一人が麻酔弾を撃ち込むという寸法だ。  俺達はいったん、T字路の交差部から後退した。あまり交差部の間近で撃つと、外した場合にもう一発撃つ暇も無くまた死角に逃げ込まれてしまうかもしれないからだ。  翼竜には地上での素早い移動が苦手な種も多いが、ケツァルコアトルスをはじめとするアズダルコ類は歩行にも適した体型をしている。最初の遭遇時の動きから見ても、それなりに素早く歩けると見て間違いないだろう。となれば、交差部からある程度距離のある地点まで、十分に引きつけてから撃つ必要がある。  このくらい距離をとれば十分だろう、という地点まで下がったところで、イエナオさんに向けて頷いて見せる。イエナオさんは自分のライフルを先ほど弾き飛ばされてしまっている上に、その際に腕を痛めてもいたので、自然と俺が撃つ方の担当になった。    カツン、カツン、カツン、カツン。    イエナオさんが壁を打つ音が地下通路に反響する。  俺は交差部の方をじっと睨みながら、ケツァルコアトルスが姿を見せるのを待った。    カツン、カツン、カツン、カツン。    掌にじっとりと汗が滲んでくる。    ケツァルコアトルスは出てこない。    カツン、カツン、カツン、カツン。    やはり現れない。  もしや既にケツァルコアトルスはこの近くにはいないのでは、と不安になってくる。  地図上では、逃げ込んだあの先は確かに袋小路になっていたはずだ。だが、果たして本当にそうか。俺は自分の目であの左側の道の先を確かめたわけではないのだ。地図を作成した人間が途中で調査を切り上げたため、本来はその先にも続いていたはずの道を書き込まなかったという可能性はないか。  カツン、カツン、カツン、カツン。    壁を打つ音だけが、虚しく響く。 「……なんかさぁ」    後方で壁にもたれかかり、腕を組んで事の成り行きを見守っていたミキが、おもむろに口を開いた。 「違う気がする」 「音で誘き寄せられるはずっていう俺の推測が間違ってるってこと?」    俺は振り返ってそう問いかける。イエナオさんもいったん壁を打つのをやめ、眉根を寄せてミキの方を見た。 「じゃなくて。音が……っていうか、いや、音そのものもそうなんだけど、リズムが違う」 「リズム……」  俺は音楽的感性がまるで無いので、そういうのはどうも苦手である。  しかし音でコミュニケーションをとっている以上、リズムが重要という可能性はかなり高い。もちろん、壁とケツァルコアトルスの嘴では素材もまったく違うわけで、それによる音自体の差もあるわけだが、そちらが原因だった場合はもうどうしようもない。  これが情報端末をネットワークに繋げられる地上なら、クラッタリングの音声データをダウンロードして流すこともできるのだが。 「お兄さんさぁ」 「ん? 俺のこと?」 「オジサンって呼んだ方が良かった?」 「まあ君みたいな子供から見れば二十代でもオジサンになってしまう可能性はあるなと一応覚悟してはいたけど、もし本当にオジサンって呼ばれたらやっぱりショックだと思う」 「じゃあお兄さんってことにしといてあげるよ。そんなことより、あいつ、捕まったらどうなるの?」 「あいつっていうのは、あのケツァルコアトルスのこと? そうだね、まあ古生物パークの翼竜ドームで飼われることになるだろうね」 「あー、あそこかぁ。前にお父さんが連れてってくれたっけ。……あそこ、あいつの仲間もいたよね、確か」 「いるね」 「そっか」  ミキはもたれかかっていた壁から背を離すと、てくてくとイエナオさんのところまで歩いていって手を差し出した。 「それ、貸して」 「あ?」  イエナオさんはミキの言う〝それ〟が先ほどまで壁を打つのに使っていたナイフだということ自体は理解したようだったが、それを手渡すのには躊躇した。 「ガキにこんな危ないもの持たせられるかよ」 「べつに人を刺すのに使うわけじゃないし。ああ、もうじれったい」  ミキは了承も得ずにイエナオさんの手からナイフを取り上げると、先ほどまでイエナオさんがそうしていたようにその柄を壁に打ちつけた。 「あの音、私はお兄さん達よりたくさん聞いたと思うけど、確かこんな感じだった」    カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。    三度目から打ち方を変えている。言われてみれば、こんな感じだったような気もするが……。 「ちゃんと前見て」  慌てて前方へと視線を戻す。そして、思わず声をあげそうになった。まさにそのタイミングで、ケツァルコアトルスが頭をひょいと覗かせたのだ。  半信半疑だったが、ミキのこの打ち方で当たりだったのか。  ミキの方もそれに気づき、同じテンポで壁を打ち続ける。    カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。    ケツァルコアトルスが通路にその全身を現わした。まだ少し警戒している様子で足取りは慎重ながらも、仲間がたてていると思しき音の誘惑には逆らえないのか、こちらに向けて歩を進めてくる。 「おいハルツキ、もう撃っちまえよ」    イエナオさんが小声で催促してくる。その手に握られている閃光手榴弾は、麻酔弾で撃った後に万が一相手がこちらに突進してきた際、怯ませるためのものである。 「いえ、もう少し引きつけてからでないと」    ケツァルコアトルスは体表面積こそ大きいが、麻酔弾で撃つのに適した箇所は意外と少ない。嘴に当たると一度目の時みたいに弾かれてしまうだろうし、皮膜に当たった場合は麻酔薬を注入するための針が突き抜けてしまう可能性がある。狙うなら首か胴体だが、首は長さこそあるものの細いし、胴体も貧弱だ。  カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。    背後でミキが壁を打って音をたてる。    カツッ、カツッ、コツーン、コツーン。    それに応えるように、ケツァルコアトルスの方も嘴を打ち鳴らしながら歩いてくる。亜成体ということもあって、前に戦ったティラノサウルスなどと比べるとずっと小さいのだが、狭い通路内で近づいてこられると圧迫感がすごい。なにせ、頭部は天井すれすれの高さにあるのだ。その圧迫感から焦って引き金を引いてしまいそうになるが、そこをぐっと堪える。    あと少し。  もう少し、引きつけてから。    ……そろそろ、良いか?    通路内に、銃声が鳴り響く。カツッ、カツッ、と嘴を鳴らしていたその途中で、ケツァルコアトルスの体がぐらりと傾き、そのまま倒れた。  頭部から、鮮血を噴出させながら。  噴き出た血は壁を汚し、そしてケツァルコアトルスが完全に倒れた後も、その頭部からどくどくと流れ続けた。  その体は、もうぴくりとも動かない。明らかに、死んでいた。  俺はまだ、引き金を引いてすらいないのに。
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