第二幕:新六甲島に古生物はいらない

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「いやー、なんか銃声聞こえたからさー、ハルツキ君達が恐竜のごはんにならないうちにーと思って急いできてみたんだけどさー。なにこれ、どーいう状況? この人だれ?」  ツツジの疑問は当然と言えば当然だったが、俺がそれに答える時間は無かった。 「クソッ、ざけやがって! 猿が! 下等人種の猿ごときが、この俺に不意討ちかましてんじゃねええ!」  ツツジに蹴り飛ばされた男が、ふらふらと立ち上がりながら吠えたのだ。頭が痛むのか、手で押さえている。先ほどまでとは別人のように乱暴な言葉づかいになっていた。 「お? おおー! まさかのまさか。起き上がってきたよー。今のでノックアーウトしたつもりだったのに」 「……つっ、感心してる場合じゃないぞ」  かろうじて声が出せたが、その振動だけでも全身が痛む。先ほどまで飛びかけていた意識が戻ってくるのとともに、痛覚の方も復活しつつあるようだった。ある意味では喜ぶべきことなのかもしれないが、率直に言って嬉しいとは思えない。 「へーきへーき。ツツジちゃんが負けるわけないしー」 「ぶち殺してやる、このメス猿!」  男は銃口をツツジへ向けようとしたが、その時にはもう間合いを詰めていたツツジが拳銃を持つ手を蹴り上げていた。拳銃は男の手を離れて飛んでいき、少し遅れてそれが床に衝突する音が響いた。  男はそれでも闘志を失わず素手でツツジへと殴りかかっていったが、その拳はいとも簡単にかわされ、逆に足払いをかけられて再び床へと倒れ伏すこととなった。  男の動きは、先ほどパックを難なくいなした時と比べるとキレが無くなっている。恐らく、ノックアウトするつもりでツツジが最初に入れた一撃が効いているのだろう。  しかしそれを差し引いたとしてもなお、ツツジの戦闘力は圧倒的だった。  もう五度くらいは打ち倒された男が、なおも立ち上がる。  ツツジ相手では勝負になっていないが、こいつはこいつでこのタフさは驚異的だ。 「もういい加減やめた方が良いと思うけどー? モブじゃツツジちゃんに勝つのは無理だって」  さっきまで俺が手も足も出なかった相手が、今やモブ呼ばわりだ。そうなると俺はモブ以下なわけで、なかなか複雑な心境である。 「っざけやがって! 舐めやがって! 調子に乗ってんじゃねえぞ、猿がぁぁぁ! もういい、やってやる。メガネウラ、コードF-Fを発動しろ!」  なんだそれ? と疑問に思う間も無かった。男の言葉と同時に、凄まじい音が耳元で爆発したのだ。単に爆音というだけでなく、音質もまた神経を直接ぎりぎりと締め上げるような不快なもので、意識がまた飛びそうになる。  あまりの不快感にまともに思考を組み立てることができないながらも、頭の片隅で音源が情報端末のイヤホンだと気づいた俺は、半ば無意識にそれを端末ごと頭からむしり取っていた。そのくらいならできる程度には体の痺れがとれてきていたのが、不幸中の幸いだった。  イヤホンをとってなお頭ががんがんしたが、それでも周囲に意識を向ける程度の余裕はできた。  そして俺は、衝撃の光景を目にする。    うつ伏せに倒れた状態で、ツツジが床に押さえつけられていたのだ。  情報端末を頭から外しているところを見ると、俺と同様にそれが音源だと気づいて外すことまではできたものの、その隙を突かれて反撃されてしまったらしい。  これはまずい。  焦りで、心臓の鼓動が早まる。    ツツジの強さは、まるで相手の行動を未来予知できてでもいるかのように攻撃を回避し防御をかいくぐれるところにある。筋力自体が特別強いわけではないのだ。  だから、いったん自分より大柄な本国人の男に押さえ込まれ身動きをとれなくされてしまったら、そこから脱け出すのは難しいはずだ。 「さて、下等人種の分際でボクにさんざん舐めたまねしてくれた分のお礼をたっぷりしてやらないとね。まずは腕の二、三本は折らせてもらおうかな」 「いくらツツジちゃんが可愛いからって、腕は三本も無いよ、ばーか」  ツツジは押さえ込まれた状態ながらも、いつもと変わらない口調で相手を挑発した。その余裕っぷりに何か策があるのではと期待したいところだが、ツツジのことだ、たぶんそんなものは無い。何も考えずに思ったままを喋っているだけだ。 「そうかい? でも腕の骨は三本以上あるよね」  男はツツジの背を足で押さえつけたまま、その腕を掴むとねじり上げ始めた。さすがのツツジも、顔が苦痛で歪む。  なんとかしなくては。  焦る頭で考える。  体はまだかろうじて動くという程度で、あの男を倒すどころかまともに戦うことすらできそうにない。しかし俺自身にあいつを倒せなくても、ツツジがあの状態から脱け出す隙さえ作れれば、事態を打開できる。    そこまで考えた時だった。 「貴様、私の部下になにをしている!」  地下通路内に、耳に馴染んだ怒鳴り声が響いた。 「ミナ班長……」  ツツジとペアで行動していたはずだったが、銃声を聞いて急いで来たというツツジに置いて行かれたのだろう。今ようやく到着したようだった。  班長の手に握られた拳銃の銃口は、ツツジを押さえつけている男へと真っ直ぐに向けられている。しかし男の余裕は、まったくと言って良いほど崩れなかった。 「ああ? 誰かと思ったら、前・社長のとこのお嬢サマじゃないですか」  男は、〝前〟を強調するように言う。 「撃てるもんなら撃ってみれば良いんじゃないですか? どうせそれ、スタンバレットでしょ。今ボクに撃ち込んだら、大事なペットの猿にも電流が流れることになるけど、良いんですかねぇ?」  挑発された班長は、ぐっと言葉に詰まる。  俺の見立てでは、ツツジを巻き添えにするしない以前の問題として、班長には人間に向けて引き金を引く度胸なんて無い。恐らく班長は、丸腰の相手なら銃で脅せば降参してくれるとでも考えていたのだろう。 「前・社長の子供だからって、あんまり調子に乗らないでくださいよ? ボクはね、あんたもあんたの母親も大っ嫌いなんですよ。そこでおとなしく見ているならこいつは腕を折られるくらいで済ませてあげようじゃないですか。でも、あんたが余計なことをしたらうっかり殺しちゃうかもしれませんねぇ。知ってるでしょ? ボクにはね、そういう権限が――」 「いつお前個人が、そんな権限を持った?」  また新たな声が一つ加わった。今度は、まったく聞き覚えの無い声だ。 「ターゲットを放置してなにを遊んでいるのだ、カイセイ」  声が聞こえてきたのは班長達が来たのとは反対側、T字路の交差部がある方向だ。  そちらに目を向けると、一人の男がやって来るのが見えた。四十歳前後くらいで体格の良い本国人の男だ。ツツジを押さえ込んでいる長髪の男と同じく、黒ずくめの制服を身にまとっている。 「アルベルト・ベルンシュタイン! 貴様ッ」 「お父さん!」  班長の怒鳴り声に被せるように叫んだのは、ミキだった。 「お、お父さん、だと……?」  ベルンシュタインと呼ばれた男が姿を現わした途端に激高した班長だったが、そちらへと駆け寄っていくミキの姿を見て、その表情は戸惑いへと変化していた。 「心配したぞ、ミキ。どうしてこんな危ないところに入ったりしたんだ」  ベルンシュタインはすすり泣くミキを抱きとめ、その頭を撫でながら優しく声をかけると、次に班長の方に顔を向けた。 「久しいな、ハンナ・カウフマンの娘。言いたいことはいろいろとあるだろうが、ここではやめてもらおうか。大人が醜く争う姿を子供に見せたくはない。お前とてそうだろう?」  ベルンシュタインには悪いが、その点についてはもう手遅れな気がする。大の大人が殴る蹴るの暴行の果てに銃まで持ち出すという醜い争いをさんざん見せてしまった後である。長髪男と戦っている時はそちらにまで目を向ける余裕は無かったが、ミキはさぞ怯えていたことだろう。  続いてベルンシュタインは、その長髪男へと顔を向けた。 「お前もだ、カイセイ。ターゲット以外に暴力行為に及んだ上に――」  床に投げ捨てられた俺とツツジの端末に、ベルンシュタインはちらりと目をやる。 「――許可無くコードF-Fまで使用したな? どういうつもりだ」 「お言葉ですけどねぇ、班長。ボクは遊んでたわけじゃありませんし、こっちにはこうする必要があったんですよ」  カイセイという名らしい長髪男は、不満げな顔で反駁する。二人の会話を聞くに、どうやらベルンシュタインがこいつの上司、第ゼロ班とやらの班長ということらしい。 「ボクはターゲットを捕まえようとした。こいつらはそれを邪魔してきた。だからボクは、ターゲットを捕まえるためにまずこいつらを無力化しなきゃいけなかった。ほら、どう考えても必要じゃないですか」 「いずれにせよ、もう不要だ。ターゲットはこちらで既に確保した」  その言葉がまるで合図だったかのように、イエナオさんが逃げていったT字路の右側から、新たに五人の男女が姿を現わした。うち四人は、ベルンシュタインやカイセイと同じ黒ずくめの制服を来た本国人だ。最後の一人は、ぐったりした様子で黒ずくめのうちの二人に左右から拘束されている。  イエナオさんだった。 「イエナオ……⁉ そいつも私の部下だぞ! どうするつもりだ⁉」    怒声をあげる班長を、ベルンシュタインは冷ややかな目で見た。 「柳山イエナオは、過激派組織〝猛虎班〟の幹部であると調べがついている。無関係な者にまで部下が危害を加えた点については後日正式に謝罪するが、柳山の捕縛は正式な任務だ。お前にそれを止める権限は無いぞ、カウフマンの娘。我々に文句をつける前に、自らのチームに過激派が紛れ込んでいたことに気づかなかった己の不明を恥じるべきだ」 「イエナオが猛虎班の幹部だと? 馬鹿な、そんなことあるわけが――」 「班長……」  俺は痛みを堪えながら、声を絞り出す。 「残念ですが、それについてはたぶん、本当です」  猛虎班の幹部だとカイセイに指摘された時、イエナオさんはいきなり閃光手榴弾を焚いて逃げた。あの時は視界が戻った途端にイエナオさんを撃とうとするカイセイが目に入ったため深く考える余裕が無かったが、あれはどう考えても身に覚えがある者の反応だ。  それにイエナオさんが猛虎班の一員なのだとすれば、妙な資料を持っていたことや仲間の存在を匂わせていたことにも説明がつく。 「そんな……」  班長は絶句する。 「分かってもらえたかな? では、我々は引き上げるからそこを通してもらおうか」  ベルンシュタインはイエナオさんを拘束している四人を引き連れ、呆然としている班長の横を通り抜けた。 「なにをしている、カイセイ。引き上げると言ったぞ」  ベルンシュタインは通りすがりざまに、ツツジを床に押さえつけた状態のままのカイセイへちらりと目を向け、そう声をかけた。 「先に行っといてくれませんかね、班長。ボクはこの思い上がった猿に、ちょっとお礼をしてやらないといけないんで」 「カイセイ」    ベルンシュタインは立ち止まった。 「私は、引き上げると言った」  自分に向けられたわけでもないのに、その低い声が纏(まと)う威圧感に鳥肌が立った。上司が相手でも不遜な態度を崩さなかったカイセイも、さすがに怯んだように見えた。それを誤魔化そうとでもするかのように、カイセイはチッと舌打ちをする。 「はいはい、分かりましたよ。それが班長のご命令とあらば」    言葉遣いは不遜なままながらもカイセイは素直に命令に従い、ベルンシュタイン達の後に続いた。 「ベルンシュタイン、まさかお前に子供がいたとはな」    去って行くベルンシュタインの背中に、班長が悔しさを滲ませながら声をかける。 「人の親の身でありながら、よくあんな真似ができたものだ」 「人の親だからこそ、だ」  ベルンシュタインは、こちらに背を向けたままで答える。 「私は、この子達の未来を守らなくてはならない。お前の母親は、自分達の計画こそが人類を救うのだと考えているようだが、私に言わせればそれは逆だ。あの計画はいずれ破綻し、むしろ我々皆を滅ぼす引き金となる。我々は、それを防ぐためにここにいるのだ」  微かな声の反響を残し、ベルンシュタイン達の姿は薄闇へと消える。  尽きない疑問を、後に残して。    ヒトウドンコ病、サイトB、特定危険古生物……それらについてイエナオさんが語った話は、どこまでが真実なのか。  第ゼロ班とは何なのか。  そして、ハンナ・カウフマン前社長の計画とは?  ベルンシュタインの言によれば人類を救うつもりの計画ということらしいが、単なる古生物の復活がそんな大仰な話になるとは思えない。  NInGen社はいったい、この島で何をやろうとしているのだ。
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