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「すみませーん、遅くなりましたー」
いつものように謝罪の言葉を口にしながら、危険古生物対策課に駆け込む。
その途端、我らが危険古生物対策課第一班の班長、ミナ・カウフマンのぎょろりとした目と視線がかち合ってしまった。
NInGen社・危険古生物対策課の中でも、第一班はB級以上の危険古生物への対応を一番に任せられる精鋭班という扱いなのだが、そのわりに、うちのミナ班長はずいぶんと若い。女性に年齢を聞くのは失礼らしいので正確なところは知らないが、恐らくは俺とそう変わらないはずで、せいぜい二十代前半から半ばといったところだろう。
もっとも、その若さで班長の座についているのが純粋に実力によるものかというと、そこにはいささかの疑問符がつく。
その班長は、さっきまで作業をしていた自分のデスクを回り込んでツカツカと俺の前までやってきた。班長は女性としても小柄な方なので、傍に寄られると自然と見下ろす形になる。そのためか、俺としてはべつに威圧したつもりは無かったのだが、班長は一瞬、俺の視線を受けてたじろいだ。
しかしすぐに、元の険しい顔に戻る。
そんな風に眉間に皺を寄せてばかりいると、そのうち皺が固定されてしまいますよ、という感想は、心の内に留めおいた。
「ハルツキ、お前という奴は、いったいどれだけ遅れたら気が済むんだ⁉ お前に副班長としての自覚は無いのか!」
時計を見ると、始業時間を七分過ぎたところだった。走ってきた甲斐あって、極端に遅れたりはせずに済んでいたようだが、班長としては見逃してくれるつもりはないらしい。
「どれだけって、たった七分ですよ。そのくらいの遅刻でいちいち怒っていたら、班長の胃は荒れ、眉間の皺は固定され、せっかくのきれいな金髪も再び円形脱毛症に――といった感じで、体のあちこちが悲壮な運命をたどるに違いありません。もう少し寛大な心を持ってください。贅沢は言いません。猫の額よりは広い心と、雀の涙が溢れない程度には大きい器さえあれば良いのです。そのくらいあれば、わずか七分の遅刻くらい笑って水に流せるはずです」
あ、しまった。心に留めおくつもりだったこと+αで色々と余計なことを言ってしまったぞ。
班長の眉が、ぴくぴくと動くのが分かった。
「『どれだけ』と言ったのは、何分遅刻したのかではなく、何回遅刻したのかという意味だ!」
「いや、だとしてもですよ? それも今月に入ってからまだ七回目です」
「今月に入ってからのお前の勤務日も、今日が七日目だけどな!」
「すごい、コンプリートだ」
横で聞いていた同期の麒麟島ツツジが、くすくす笑いながら呟く。班長がそちらをぎろりと睨むと、ツツジは慌てて目の前の資料に集中しているふりをしだした。「なんと、こんな危険な生物が逃げ出しているとは。これは早急に対処しなくてはいけませんねー」などと取って付けたように口にしているのが、実に白々しい。
「いやいや、待ってください、班長。今日に限って言えば、俺にもちゃんとやむを得ない事情があったのです」
「言ってみろ」
「通勤途中で、ティラノサウルスに襲われまして」
「見え透いた嘘をつくな!」
怒鳴られた。バーンと音をたてて、手近にあったデスクを蹴るというおまけつきである。まったく、足癖が悪い。短足のくせに。
まあでも確かに、今回の嘘は我ながら出来が悪かった。
「こっちから刺激したわけでもないのに、ティラノサウルスが自分から人を襲うわけないだろうが!」
まったくもってその通りである。ティラノサウルスは噛む力が強いので、そんなほいほい人を襲うようなら、危険度C級では済まないだろう。我ら危険古生物対策課としても、もっと真剣に捕獲に勤しまなくてはならなくなるに違いない。
「すみません、襲われたというのは嘘です。いきなり出くわしちゃったんで、驚いただけです」
「……じゃあ、いたのは本当なのか」
班長はうんざりした顔で溜め息をついた。そして、額に上げていた眼鏡型情報端末を目のところまで下ろし、端末付属のアシスタントAI〝メガネウラ〟に指示を出す。
「メガネウラ、現在地からもっとも近いティラノサウルスのタグ位置を表示。ただし、登録済み飼育区画にいるものは除外だ。……六キロ先?」
俺には聞こえないが、メガネウラは端末のイヤホンを通じてそういう答えを返したのだろう。
「そんなに遠くじゃありませんよ。俺が見た奴がいたのは、もっとすぐそこです」
「タグ検索に引っかからないとなると、うちの社で直接作ったやつじゃなさそうだな……。また密養殖ものか? まったく、次から次へと!」
古生物を蘇らせる技術であるリバース&リ・エボリューション法、いわゆるRRE法を扱えるのは、我らがNInGen社だけのはずである。そして購入した古生物を勝手に繁殖させるのは、ライセンス違反だ。NInGen社が販売している餌には各古生物に合わせたホルモン調節剤が含まれているため、それを与えている限りにおいては意図せずうっかり繁殖させてしまうこともない。
とはいえ、先ほどの野良ティラノサウルスがゴミを漁って生活していたように、復活した古生物達の餌はなにもうちが販売している正規品でなくてはいけないというわけではない。したがって、手に入れた古生物の密養殖はやろうと思えば十分に可能だし、なんなら野生化した古生物が勝手に繁殖することだってあり得る。
「前々から思っていたことだが、C級とはいえ、危険古生物をペットとして販売するなんて決定を下した奴はどうかしてるぞ、まったく」
「まあ会社としては、お金は必要ですからねぇ」
この新六甲島に限って言えば、NInGen社は通常の企業とは比較にならない責務を背負っている。
ヒトウドンコ病の蔓延により荒れ果てたこの島を復興させ、無症状病原体保有者となった俺達島民に然るべき居場所を与える――普通に考えれば、それらは日本政府の役割となるだろう。しかしその役割を、政府は一企業であるNInGen社に丸投げしたのだ。
もちろんNInGen社とて、ただでその役割を引き受けたわけではない。新六甲島全体を特区に指定し、古生物の復活や飼育、研究をほとんど規制無しにやって良いという条件と引き換えだ。
とはいえ、今のところ背負った義務に見合うだけの利益を古生物復活事業が生み出しているようには見えない。社の上層部は表向き、『新六甲島の復興は営利目的ではなく慈善事業だからべつに良いのだ』と強がりのようなことを言っているが、内心ではなんとか収益を上げたいと焦っているのではないだろうか。
まあ、このあたりは全部ただの俺の推測なのだけれど。
「売るなら危険指定されてない一般古生物だけにしとけって話だ」
「やっぱり、ティラノサウルスは人気がありますからね。島内だと野良を見ることも珍しくなくなっちゃったせいでそこまででもないですが、外だとまだまだ売れ筋だそうですし」
ところで、先ほどからティラノサウルスをC級などと呼んで大したことがないもののように扱っているが、全長十二メートル、体重六トンにもなる巨大肉食恐竜をそんな風に軽視して良いものだろうか。
良いのである。
これには、ちゃんとした理由がある。ここにいる俺達は、実は身長五十メートルの巨人族なのだ。そんな俺達からしてみれば、ティラノサウルスなんてものは小動物にすぎない。叙述トリックに引っかかったな。いつから俺達がただのホモ・サピエンスだと錯覚していた?
――というのは、嘘である。
実際は俺達が巨大なのではなく、単にティラノサウルスが――より正確には、RRE法によって復活させられたティラノサウルスが――小さいのだ。
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