第三幕:特定危険古生物・コードネーム〝チャレンジャー〟

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 パックを連れて指示された場所に赴くと、警備部門の現場指揮官だという男が丁重な態度で迎えてくれた。  警備部門にとってみれば俺はよそ者なわけで、お前の助言など受けるかと突っぱねられる可能性もあるのではないかと思っていたが、幸いにしてそうはならずに済んだようだ。 「対象生物は現在、あのビル内に潜んでいます。屋外からの狙撃は不可能なため、先ほど十人で突入しましたが、四人が重傷を負う事態となり、撤退いたしました」  現場指揮官は、現在の状況をそう説明する。  重傷者は病院に搬送されたとして、残り六人は恐らくまだここにいるのだろう。相手の出方を見極めるためにも、一度話を聞いておいた方が良さそうだ。 「その時の突入班だった人と話をさせてもらえますか?」  現場に残っていた面々もまったくの無傷とはいかなかったようで、案内されたのは救護用テントだった。 「常に物陰に隠れながら近づいて来ようとするんです。姿を現しても、とにかく素早いので一瞬でまた物陰に移動されてしまって。弾を当てるような隙はまるで有りませんでした」 「気がついた時には、もうすぐそこまで接近されていて、あっという間に仲間が……」  突入班だった面々は、意気消沈した顔でそう語った。 「すみません、お役に立てそうな情報が無くて」 「とにかく一瞬でやられてしまったので……」 「いや、役に立つ情報は有りましたよ」  彼らを慰めるためだけにそう言ったのではなかった。  実際、今の話には重要な情報が含まれている。  彼らは、『ヒョウ型が物陰に隠れながら』と言った。この話から判断すると、ヒョウ型の行動パターンは『まずは人間から逃げようとし、追い詰められた後に反撃に転じる』というものではない。向こうから積極的に、人間に対して攻撃を仕掛けてくるのだ。  そしてもう一つ気になるのは、ヒョウ型が常に物陰に隠れながら移動していたという点だ。屋内に逃げ込んだことといい、まるで銃というものの存在と特性を理解した上で対策をとっているように思えるのは穿ち過ぎだろうか。しかしカラスなどは銃とステッキを見分け、銃を構えられた時だけ逃げたりもするという。知能の高い生物であれば、そして過去に銃が使用されているところを見た経験があれば、銃の原理などは理解できずとも、どう対応すれば良いかは踏まえていてもおかしくはない。 「となれば、正面切って挑むのは得策ではないか……」  幸いにして、今回は社の上層部も緊急事態と認識してくれているらしく、使える武器はいつも以上にふんだんに与えられている。なにせ、これまで危険古生物対策課第一班しか使用を許可されていなかった実弾が、警備部門に支給されているくらいだ。 「対象生物と遭遇したのは何階ですか?」 「二階です」 「ふむ、まだそこにいてくれてると良いのですが」  今回逃げ出したチャレンジャーは、ここのヒョウ型も含め全てタグ付きだと聞いている。  極秘に作られた生物であるため、チャレンジャーのタグ情報はこれまで機密を知るごく一部の社員にしか閲覧権限が無かったそうだが、今回の事態を受けて俺達にも権限が与えられている。したがって、ヒョウ型がどこにいるのかは情報端末に表示させることができるのだが、残念なことにその位置情報は平面的なものである。高さのある建物のどの階にいるかまでは分からない。  まさかそこまで考慮して高いビルに逃げ込んだのでは――と考えるのは、さすがに今度こそ穿ち過ぎというものだろう。 「それで、どうするんです?」 「ランチャーを使って、窓から気化麻酔弾をぶち込みます」  気化麻酔弾は、着弾時に内部に含まれる麻酔薬を気化させて周囲に撒き散らすことで、広範囲の相手の動きを止められる武器だ。言ってみれば、殺傷能力の無い神経ガス兵器のようなものである。  問題は、それをどこに撃ち込むかだ。最後に目撃された階にまだ留まっていることを期待して、二階にしておくか?  だが麻酔薬の効果自体は理解していなくても、臭いに違和感を覚えて上下どちらかの階に逃げ出される可能性もある。麻酔薬は気化しても空気よりは重いので、下の階には拡散していくだろうが、上の階に逃げられた場合は動きを止められない。  では、最上階から順番に撃ち込んでいくのが得策だろうか。  ビルの出入り口を取り囲むかたちで狙撃班を待ち構えさせておけば、万が一ヒョウ型が下へ下へと逃げていき最終的に屋外にあぶり出されるかたちになったとしても、一斉射撃で仕留められる。  いや、やはりそれはリスクが高い。  カウフマン研究統括部長の話では、ここにいるヒョウ型はスピード特化型という別名の通り、動きの素早さが特徴だという。高速で突進してくる動物に対して、これまで人間の犯罪者だけを相手にしてきた警備部門の人員で構成された狙撃班がどれほど機敏に対応できるのかが未知数だ。悪くすると、発砲前に接近されてこちらに死傷者が出たり、あるいはヒョウ型の逃走を許したりする危険性もある。  ここはむしろ逆に、一階から順に気化麻酔弾を撃ち込んでいくべきだろう。上へ上へと追い込んでいけば、最終的には逃げ場が無くなる。十階建てだから、全階に撃ち込んでもたかだか十発だ。  念のために、出入り口や窓に向けて警備部門の面々に銃を構えさせた上で、気化麻酔弾をまずは一階に撃ち込む。  情報端末のマップ上に表示されるA+のタグの位置に変化はない。  次に二階へと撃ち込んだ時点で、動きが見られた。A+のタグが、高速で移動していく。やはり、まだ二階に留まっていたらしい。  ヒョウ型は上へ上へと逃げていくだろうという想定で立てた作戦だが、二階なら窓から飛び降りてこちらに向かってくるということも有り得る。  俺は警戒したが、建物の図面を情報端末で呼び出して見ると、ヒョウ型が向かった先である建物の東端に窓は無い。  やがて端までたどりついたところで、ヒョウ型はそこから動かなくなった。 「どうします? もう突入しますか?」  新たに編成された突入班の一人が、気化麻酔薬対応のガスマスクを早くも装着しながらそう聞いてくる。  俺は思案する。  二階に気化麻酔弾を撃ち込んだ時点で動き出したのだから、二階にいたと考えるのは妥当だ。そして、その後動かなくなったのだから、そのまま麻酔薬にやられて眠ってしまったと考えることにも無理は無い。  気化麻酔弾の節約を考えるなら、三階以上に撃ち込むのは中止してこの段階で突入し、ヒョウ型を捕獲なり射殺なりさせるのが合理的ではある。  しかし、どうにも不安を拭えなかった。  A+級――その初めて聞く危険度が、俺を不安にさせる。  これまで俺は、何度かA級の危険古生物と戦ってきた。  ショートフェイスベア、デイノスクス、ティタノボア――そのいずれも、こんなにあっさりと勝負が決まったことはない。それどころか、B級相手に苦戦することもしばしばだった。  もちろん、今回は通常よりも有利な条件下で戦っている。いつもよりも充実した装備が与えられ、警備部門の支援もあり、そして何よりタグ付きのため相手の位置もどんな生物なのかも予め分かっている。うまく行きすぎているように思えるのは単なる俺の杞憂で、実際にうまくいっているだけかもしれない。  しかしそれでも、何かが俺の警戒心を刺激した。  ただの勘だが、危険古生物を何度も相手にしてきた経験が、A+級がこの程度のはずはないと囁きかけてくるのだ。  たとえばの話、本当は二階ではなく三階や四階にいるのに、あえて二階に気化麻酔弾が撃ち込まれた時に動き出すことで、二階にいるとこちらを錯覚させようとしているということはないだろうか。  自分で考えて、俺はその妄想に失笑した。  まさか。  ヒョウ型がそのような行動をとるためには、奴らが自分の体内にタグが埋め込まれていることや、それによって自らの位置が俺達の監視下にあることまで理解していなくてはならない。いくらなんでも、それはないだろう。A+級とはいえ、相手はあくまでも動物。人間ではないのだ。  しかし今の妄想はさておくとしても、たとえば三階にいたヒョウ型が真下で響いた音に驚いて動き出し、なんらかの理由でまた立ち止まっただけ、という可能性も有り得る。やはりここは当初の予定通り、全階に気化麻酔弾を撃ち込むべきだろう。  俺は意気込む突入班の一人に向けて、首を左右に振ってみせた。 「いえ、当初の予定通り、突入は全階に撃ち込んでからにします。万が一のことがあってはいけませんからね」  しかし結局、三階以後では、気化麻酔弾を撃ち込んだ時にヒョウ型の位置に変化は見られなかった。  やはり二階に撃ち込んだ時点で既に眠っていたようだ。 「それでは突入します。全員、ガスマスクを着用してください。相手はもう動いてはいないと思いますが、だからといって油断しないようにお願いします」  各階に三人ずつ向かわせる。俺自身は、ヒョウ型がいる可能性が最も高い二階の担当に加わることにした。  外の非常階段から二階に上がり、扉に耳をつける。  中からは、何の音も聞こえてこない。  同じ階を担当するあとの二人に無言で頷いてみせ、静かに扉を引く。ヒョウ型が中から突然飛び出してきても攻撃を受けないよう、扉の陰に隠れるかたちでそろりそろりと開け、中を覗く。  動くものの気配は無い。タグの位置も変わっていないので、当然と言えば当然なのだが。 「じゃあ、行きますか」  非常階段が備え付けられていたのは建物の西端だったので、ヒョウ型がいるのはちょうど逆側だ。  だが、緊張しながらフロアを横切ってビル東端に辿り着いた時、そこには何もいなかった。 「他の階にいるんでしょうか?」  突入班の一人が、声に不安を滲ませながら尋ねてくる。  他の階にも人を向かわせているから、ちゃんと麻酔薬が効いていれば何の問題もない。そのはずだ。  だが俺は、何か自分の作戦に狂いが生じているような予感を拭えなかった。  その時、俺は気づいた。  情報端末に表示させているマップのサイズでは分かりづらいが、ヒョウ型の位置は俺達の現在地よりもほんの少しだけ更に東側なように見える。  だが、ここはもう建物の東端のはず。ここより更に東側にあるのは――――エレベーターだ。  息を呑む。  まさか、エレベーターの中に? そこに閉じ籠もることで、麻酔薬の吸入を回避した? いや、しかしエレベーターの扉の気密性はそんなに高かっただろうか?   ……分からない。  分からない以上、最悪の事態を想定する必要がある。  階数表示を見る。エレベーターが現在止まっているのは……一階。  最悪だ。  一階なら、そこに向かわせた三人を突破すれば、そのまますぐ外に逃げ出せる。 「一階担当班、気をつけろ! 対象生物はエレベーター内に潜んで麻酔薬の吸入を回避した可能性がある! 外をかためているチームは対象生物が飛び出してきた時に備えて銃撃の準備を!」  敬語を使うのも忘れ無我夢中で叫んだ、その時。  表示されているヒョウ型の現在位置が、動いた。エレベーターの扉のすぐ手前にいる俺達の現在位置と、ヒョウ型の位置が重なる。しかし、ここには何もいない。  つまり、他の階で……。    そう思った時、無線から銃声と、そして悲鳴が聞こえてきた。
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