第三幕:特定危険古生物・コードネーム〝チャレンジャー〟

16/21

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
 NInGen社の社長、マリオン・ユーレイは、社長室でのんびりと紅茶を飲みながら、ハルツキ達がヒョウ型とセンザンコウ型を仕留めることに成功したという報告を受けとっていた。 「ふむ、これで脱走したチャレンジャー五頭のうち四頭までが仕留められたわけか。これなら残る一頭も時間の問題かな」    ユーレイは名目上NInGen社のトップではあるが、社の方針決定を前社長でもあるハンナ・カウフマン研究統括部長に一任しているお飾りの身分である。したがって報告を受け取ったところで、特にすることもない。報告を送ってきた側も、ユーレイにはべつに何も期待していないだろう。  だからやることといったらせいぜい、てんてこ舞いになっている部下達の手を煩わせないよう自分で紅茶を入れることと、今回の件の裏側について想像を巡らせることくらいだった。  この一件、脱走したチャレンジャーを全て仕留めただけで全部おしまい、めでたしめでたし――というわけにはいかないだろう。  そもそも、今回チャレンジャーが逃亡に至った経緯には不可解な点が多い。  表向きは猛虎班が輸送車を襲撃し、そのせいでチャレンジャーが脱走したということになっている。  しかし猛虎班の襲撃だけなら護衛の第ゼロ班だけでも十分に対処できたはずで、こんな事態に陥ったのは、その第ゼロ班の背後をなぜか拘束が解かれていたチャレンジャー達が襲ったからだ。だが、A+級の危険度が設定されているチャレンジャーに対し、自然に解けるような雑な拘束をしていたはずもない。その上、拘束が解けたタイミングが襲撃と同じだったとなれば、これはもう何者かの作為でない方が不自然だ。  では、猛虎班の構成員が何らかのかたちでシステムに侵入し、チャレンジャーの拘束を解除したのか? それはそれで、不可解な点が出てくる。  もし拘束を解除したのが猛虎班側の人間なら、彼らは襲撃時に輸送車からチャレンジャーが飛び出してくることを予想できたはずである。しかし実際のところ、猛虎班側は対人武装しか準備しておらず、脱走したチャレンジャーによって一方的に蹂躙された。結局、彼らのうち現場から逃げ出せたのは一人だけだ。  現場で確保された猛虎班構成員の中にはかろうじて話が聞ける状態の者もおり、その人物に対しては事情聴取が行われたが、やはり彼らはチャレンジャーの拘束が解かれているとは全く思っていなかったという。  更に言えば、彼らが自力でシステムに侵入できたとは考えづらいし、それ以前に自力でチャレンジャーの存在や運搬スケジュールを知り得たとも思えない。   となれば、内部の人間の仕業と考えるのが妥当だ。  内部情報を知る何者かが、チャレンジャーについての情報を意図的に猛虎班に流し、輸送車の襲撃を計画させた。それと同時に、チャレンジャーの拘束が解かれるようシステムに細工もした。  内部の人間であれば、少なくとも猛虎班よりはよほど、そのあたりの細工もやりやすい。  では、いったい何のためにそんなことをしたのか。  決まっている。チャレンジャーを確実に逃がすためだ。  猛虎班に襲撃させたところで、彼らが戦闘で第ゼロ班に勝てるとは思えない。仮に勝てたところで、その場合チャレンジャーは彼らの手に渡るだけであり、解き放たれるというわけではない。  また、単にチャレンジャーの拘束を解いても、その場合は見張っていた第ゼロ班にすかさず対処されるだけだ。いくら第ゼロ班とは言っても、接近戦であれと戦えば何人かは犠牲者が出るかも知れない。しかしたとえそうだとしても、他に気を取られていなければ、むざむざ逃がしてしまう可能性は低い。  だが、その二つが時を同じくして起これば――襲撃者の方へと注意が向き、チャレンジャーから注意が逸れたタイミングで解放されたそれらからの襲撃を受ければ、さしもの第ゼロ班も対処できないかもしれない。というか、実際にできなかった。  問題は、十中八九内部にいるであろうこの件の黒幕の真の狙いが何か、だ。  チャレンジャーを解き放つことそれ自体は、あくまでも手段だろう。  あれらが脱走に成功した場合――どうなる? 無制限に増殖したあれらが、いずれはこの島の、更には下手をすればこの世界の支配者となる?  いいや、そうはならない。そうなる前に、間違いなく輪読会の臆病な老人達があれを発動させることだろう。 「なるほど、それが狙いか」    ユーレイはひとりごちる。  ハンナ・カウフマンが進めてきたプランAを、まるまる消し去る。それが、今回の件で黒幕が目指すところというわけだ。 「まあ、誰の仕業かはだいたい見当がつくよねぇ」    恐らくは、第ゼロ班班長アルベルト・ベルンシュタインあたりだろう。一番腕利きの部下をなぜか輸送車の護衛から外していたし、当人は護衛に参加していたにも関わらず一人だけ軽傷で済んでいる。  彼一人では難しい面もあるから、裏では輪読会内の反プランA派あたりが糸を引いているに違いない。  もっとも、脱走したチャレンジャー五頭のうち四頭が既に仕留められている。このままいけば、彼らの計画は失敗に終わりそうだ。第ゼロ班を欠いた危険古生物対策課と警備部門だけでこれほど速やかに対処されるとは、彼らも予想していなかったのだろう。  そして事態が終息した後、ハンナ・カウフマンはこの件の裏に彼らがいるという証拠をどんな手を使ってでも掴むはずだ。そうなれば、反プランA派も今後は彼女の邪魔をしづらくなる。  このまま順当にいけば、この一件は彼女の勝ちに終わるだろう。 「もっとも、もし〝普賢〟が歴史の復元力を島から排除しきれていなかったとすれば……その時は、話は変わってくるけどね」  まあ、どうあれ自分は成り行きを見守らせてもらうだけだ。    そのような傍観者気分でいたためか、ユーレイには油断があった。だから、突然頭の上に何かが落ちてきた時、とっさにそこへ手を伸ばしてしまったのである。    その指先に、痛みがはしった。慌てて手を引っ込める。それと同時に、頭の上に乗っていた何かが飛び退いた。  指先には歯形がつき、そこから血が滲み出ている。  ユーレイは表情の消えた顔を、自らの指を咬んだそれに向けた。  机の天板に降り立ったそれは、異様な姿をしていた。体長は四十センチメートル程度で、無毛かつやや平べったい形態をしており、尾は無い。そしてユーレイの見ている前で、その体色は天井の色から、机と同じ色へと変化した。  ユーレイはこの生物に見覚えが無かったが、平素の彼であればその正体に検討をつけることができただろう。  そして、こう名づけたはずだ。  A+級特定危険古生物・コードネーム〝チャレンジャー〟擬態特化型。    あるいは、体色を変化させる特性や天井に張りつく能力から考えて、カエル型とも呼んだかもしれない。  だがこの時のユーレイは、これはなんだろうというくらいにしか考えられなかった。そしてさほど間を置かず、その疑問すらも頭から消える。  このカエル型には、外見からは分からないもう一つの特性があった。  毒だ。  その牙から注入される毒には自白剤にも似た作用があり、咬まれた者の意識を朦朧とさせ、正常な思考能力を奪う。  カエル型は、他のタイプと比べて著しく小さいサイズと体色変化能力を駆使して、サイトBでは管理者達の目を逃れ続けてきた。そして今回、センザンコウ型の体に張り付いて密かに輸送車に便乗し共に脱走した後、単独でここまでたどり着いたのである。  社長室の扉が開き、一つの人影が入ってくる。その侵入者は、表情が消え目の焦点も合っていないユーレイの顔をしげしげと眺めると、一言声を発した。 「立ちなさい、マリオン・ユーレイ」  ユーレイが言うとおりに立ち上がると、今度は別の命令を発する。 「その場で床に這いつくばりなさい」    侵入者はその後も幾度か単純な命令を出し、その全てにユーレイが従うのを確認すると、満足げに頷いた。 「良かった、ちゃんと効いてるみたいだね。天下のNInGen社社長が今やすっかりただの操り人形。なんとも無様じゃない?」  侵入者はくすりと笑うと、同意を求めるようにカエル型の方へと顔を向けた。カエル型はそれに対して、ケケッ、と甲高い声で応える。  このカエル型こそが今回の計画の要であり、他の五頭は全て囮だった。  いくらカエル型が周囲の環境に溶け込む能力を持っているとはいっても、動き回れば見つかる可能性は高くなる。ナナフシやヒラメのような擬態を生存戦略とする生物があまり動かないのも、そのためだ。  故に、脱走地点からこの社長室までカエル型が見つかることなくたどり着ける確率を上げるため、できるだけ人の目を減らす必要があった。囮となった五頭の役割は、NInGen社の目を引きつけると同時に一般市民を周辺から退避させ、そうした状況を作り出すことにあったのだ。  本来であれば群れで狩りをする生物でありながら五頭がばらばらに逃げたのも、その方が追う側としては多くの人員を割かなくてはならなくなるからである。 「ああ、でもこの人は元からハンナ・カウフマンの操り人形なんだっけ? まっ、こっちとしちゃそんなことはどうだって良いんだけどね。実権があろうと無かろうと、の管理権限を持つのがNInGen社のトップであるこの人ってところは何も変わらないんだし」    侵入者はユーレイに向けて、不敵な笑みを浮かべる。 「じゃあ、さっそく案内してもらおっか。NInGen社が誇るスーパーコンピューター〝普賢〟――」    侵入者はそこまで言って少し考え、言葉を選び直した。 「――いえ、の遺産、〝アフリカのモノリス〟のもとへ」
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加