第三幕:特定危険古生物・コードネーム〝チャレンジャー〟

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 地下空間への出入り口がある旧理科学研究所の施設に到着すると、建物の外でミナ班長とツツジが話し込んでいた。  どうやらツツジは、ヒョウ型を見つけられなかったため、いったん捜索を打ち切って戻ってきたらしい。タグによる探索が無効化される地下空間内とあっては、それも無理の無い話だ。  しかし仮に見つけることができたとして、俺は今でもあれを躊躇無く撃つことができるのだろうか。あれらが、俺達ホモ・サピエンスとは別種とはいえ、ヒトの一種だと分かった今でも?  チャレンジャー最後の一頭――それとも、一人というべきか?――についての対処をどうするにせよ、この点についてはきちんと話し合っておく必要があった。  だが、それより更に前に一つ確認しておかなければならないことがある。  それは、班長は果たしてチャレンジャーの正体を以前から知っていたのか、という点についてだ。  社内での地位という点で言えば、危険古生物対策課第一班の副班長である俺とミナ班長との間にそこまで大きな差があるわけではない。ミナ班長は歳も未だ若いし、直属の部下はイエナオさんが抜ける前でもたかだか三人という立場だ。  しかし班長は同時に、現研究統括部長にして前社長であるハンナ・カウフマンの実の娘でもある。身内に漏らすかどうかはさておくとしても、少なくともカウフマン研究統括部長がチャレンジャーの正体を知らなかったということはさすがに無いだろう。  そして、もう一つ。  班長は、本国人だ。  NInGen社が島民をこの島から出さないようにしているのは人体実験に使うためだという説をイエナオさんが語った時、俺はただの陰謀論だろうと思い、本気にしなかった。  だが、現に実験体として存在するチャレンジャーがヒトということになれば、それもあながちただの妄想とは言えなくなってくる。ならば新六甲島にいる本国人はその立場に関わらず、皆このあたりの真実を知っているのではないか。  考えるだけで気の滅入る話だった。  班長は気が短くて器も大きいとは言えないし、無能ではないにしろ特別有能なわけでもない。意識的にコネを利用したかは別として、恐らくはコネで今の地位を得ているような人だ。  しかしそれでも、俺は班長のことが嫌いではなかった。  危険古生物に指定されたものの中でも特に危険度が高いB級以上を相手にする第一班の班長でありながら、できるだけ殺さずに済ませようとする甘い姿勢に口先では呆れてみせることもあったが、内心ではそんな彼女のことを好ましく思っていたのだ。  そんな班長が、ヒトの実験体を作り出す研究に関わっている?  いや、もし知っていたとしても、関わっているというのは言い過ぎかもしれない。研究部門ではない班長が直接関わるということはないだろう。だが、少なくとも黙認はしていたということになる。もちろんそれは、班長がこの件について以前から知っていたという仮定が正しければの話だが。  そんな俺の憂鬱な思いは、そのまま表情に出てしまっていたらしい。しかし班長は、それについて勘違いをしたようだった。 「イエナオのことは、ショックだったと思う。私がもし、あいつともっと良い関係を築けていたら、あいつが猛虎班なんかに入ってこんな死に方をすることも――」 「いや、それはなかったと思いますよ。あの人は、班長個人がどうとかでなく、本国人全体を嫌っていて、班長を嫌っていたのはそのついでみたいなものでしたから」 「そうかもしれん。だが、あいつと直に接する機会が一番多い本国人だった私がもしあいつともっとうまくやれていたら、あいつの中の本国人のイメージを変えることもできたんじゃないか?」  その可能性が無いとは言わない。しかし、そこまでの義務や責任がこの人にあるとも思えなかった。こんな風に、持たなくて良い責任感まで持ってしまうような人なのだ。俺達同様、何も知らされていなかったのだと信じたい。 「班長、俺なら大丈夫です。それよりも早く地下に逃げ込んだあいつをどうするか作戦を立てないといけません」 「あ、ああ、まあそれもそうだな」 「相手が地下に潜ったというのは、タグ追跡ができないという点では厄介ですが、それならそれで手の打ちようもあるでしょう。気化麻酔薬を流し込むというのはどうでしょう。空気より重い気体なら地上に漏れ出てくる量は僅(わず)かですから、上にいる人間に影響を与えること無く地下のフトゥロスだけを無力化させられます」 「いや、その作戦はちょっと問題が多くないか?」 「どのような問題が? フトゥロスは麻酔薬が効かないような体質なんですか?」 「あいつらにそんな特性は無いが、問題はこの地下空間の広さだ。全体に充満させるにはかなりの量の麻酔薬が必要になるし、拡散するのにも時間がかかる。それに仮に眠らせることに成功したとしても、結局は相手が本当に眠っているのか分からない状態で地下空間中を探し回らないといけない。もう一つ言っておくと、先に潜入した第二班や警備部門の人間がまだ戻って来ていないから、そいつらも麻酔薬を吸ってしまうことになる。いくら致死性のものじゃないとはいえ――」 「あのですねー、ちょーっと質問があるんですけどー」  ツツジが手を挙げた。 「何だ?」 「二人がさっきから言ってるフトゥロス? ってなに? 文脈的にチャレンジャーの別名とか?」 「なっ……!?」  班長の表情が固まる。それを見て、俺も現実を受け入れざるを得なくなった。  確かにこの人は、あれの正体を前々から知っていたのだ。 「わ、私はそんなことを言ったか……?」 「あれ? 言ってたのはハルツキ君だけだったかな?」  俺は迷いを振り切って口を開く。もはやここまで来たら、後戻りはできない。 「班長、やっぱりあなたは、全部知っていたんですね」 「なっ、何のことだ? 私は何も……」  こんな時だというのに、俺は少し笑ってしまった。  本当に、嘘の下手な人だ。こんな簡単なトラップに引っ掛かってしまうことといい、まったくもって悪事にも陰謀にも向いていない。それなのに、どうしてこんなことに関わりを持ってしまったんだ。この人自身にも、どうしようもなかったのだろうか。 「ちょっとちょっとちょーっと! 何なのー、これ? いったいどういう状況? まるで分からないんですけどー。私だけ置いてきぼり? 仲間はずれ? ちょっと酷くない?」 「悪い。できればツツジにも事前に話しておきたかったんだが、その時間が無かった。さっきの質問に答えるなら、フトゥロスというのはお前の予想通り、〝チャレンジャー〟と俺達が呼んできた生物のことだ。カウフマン研究統括部長はあいつらには学名が無いって言ってたけど、本当はホモ・フトゥロスという学名がちゃんとつけられてたんだ。そしてこんな学名がつけられている以上、チャレンジャーはホモ属の生物――ヒトの一種ということになる。俺達が今日やってきた、そしてこれからやろうとしていることは、ヒト殺しってわけさ」    最後の方は、意図せずしてどこか自嘲的になってしまった。 「ヒト殺し……」  俺がこのことを最初に知った時と比べると、ツツジのショックはそれほどでもないように見えた。しかし普段から危険古生物を前にしても焦りを顔に出さないことを考えると、単に表情に出ていないだけかもしれない。 「うーん、でもさー、いくらよね? 見た目も行動もまるっきり動物だしさー。だったら、分類として人間に近いってだけの動物を他の動物と区別して扱う必要なんてあるかなー?」  ツツジの言うことにも、一理はある。ホモ・フトゥロスは分類上ヒトの一種だが、どこからどこまでをヒトとして分類するかを決めているのも所詮は人間だ。ゴリラやチンパンジー、オランウータンだって、ホモ属ではないがヒト科には入る。しかしあれらの類人猿をヒトと見做す人間は少ないだろう。    ある生物が人間にどれくらい近いかなんて、結局は相対的なものなのだ。ホモ・フトゥロスはゴリラやチンパンジーと比較して人間に近い生物だが、ゴリラやチンパンジーだって狼と比べれば人間に近い。そしてその狼も、ティラノサウルスと比べればやはり人間に近い生物ということになる。ホモ属とそれ以外の生物の間に明確な境界線なんて無いし、そこを基準にして扱いを変える必要も無い。  そういう考え方も、できることはできる。  だがこの場合、ホモ・フトゥロス自体をあくまでも分類上で人間に近いだけのただの動物と見做すとしても、やはり問題は残るのだ。 「確かに実質的にはただの動物と考えることもできるかもしれないけどな、そう簡単に割り切れる話でもないんだ。あのチャレンジャー――ホモ・フトゥロスは、RRE法によって作られたものだ。じゃあ、そのRRE法ではどうやって古生物を再現するか、それを覚えてるか?」 「えーと、確か現代の生物のゲノム配列からその祖先のゲノム配列を推測して、で、そこからまた、その祖先から進化した別の生物のゲノム配列をまた推測する……で良かったっけ?」  俺は頷く。 「まあ、だいたいそれであってる。ただ、単にゲノム配列を推測しただけだと、それはあくまでもデータ上の存在だろ? そこから実際に、その推測したゲノム配列を持つ生物を作るプロセスも必要だ。で、そこをどうするのかと言えば、現代の生物のゲノムを編集して推測したゲノム配列と同じものに変えるわけだけど、改変元となる生物は改変先の生物に最も近いものが選ばれる。近い生物であればあるほど、改変しないといけない部分が少なくて済むんだから、当然そうなるよな。そして、あのチャレンジャーはホモ属。だったら、改変元に使われた『最も近い生物』が何なのかは考えるまでもない。ホモ属の生物なら現在でも一種類は生き残ってるし、逆に言えばその一種類――現生人類ホモ・サピエンスしか生き残っていないんだから。つまり、あのチャレンジャーは、俺達と同じということになる」
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