第四幕:Welcome to Paleontologic World!

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 ややあって、俺は口を開いた。 「ここまでの話だと、少なくともネアンデルタール人にとっては絶滅を回避できて、しかもモノリスとかいうチートアイテムで文明も発展させられてめでたしめでたしという感じですが……当然、そうじゃないんですよね?」  脳裏をよぎるのは、俺を育ててくれたあの人の寂しげな笑みだ。そして、あの何かを諦めてしまったかのような顔で、彼女が漏らした言葉。 『私達はね、最初から間違ってたんだよ』 『だからね、こうなるのはきっと、当然のことなんだ』 『せめて間違いを重ねなければ良かったのに』 『もっと早く諦めて受け入れていれば、間違いを重ねずに済んだのに』  最初から間違っていたという言葉が、彼女を含むネアンデルタール人達が本来の歴史と違い生き延びたことを指すのであれば、まだその先に何かがあったのだ。受け入れるためには諦めを必要とするような、容易には受け入れられない何かが。  ユーレイ社長は、芝居がかったポーズで広げていた両腕を降ろした。 「そう、めでたしめでたしとはならなかった。時代が進み、文明が発展して人口も増加するにつれ、ネアンデルタール人社会は不自然なほどに頻発する自然災害や疫病の蔓延に悩まされるようになったんだよ。一つ一つの災厄は、確率は低くとも起こり得ないわけではないものだった。しかしそれぞれ低確率でしか発生しないはずの災厄が、あまりにも連続して起こった。しかも毎度毎度、不運にして多くの犠牲が出る場所やタイミングでね。輪読会の構成員達も、次第に何かおかしいと感じるようになった。なにせ文明化により順調に増えていたはずの人口が、頭打ちどころか急激な減少に転じるくらいだったからね。輪読会はいつものごとく、その答えもモノリスに求めた。それまでのように個別の災厄への対処について尋ねるのではなく、それらを不自然なほどに頻発させる要因なんてものがあり得るのかと、それを聞いたんだよ。たぶん聞いた時点では彼らも、そんなものが実際にあると本気で考えていたわけではなかったのだと思う。なにしろ、個々の災害は一見して何の関連性も無さそうなものだったからね。それらを引き起こすたった一つの要因があるなんて考える方が荒唐無稽ってものさ。……だけどモノリスは、そんな荒唐無稽なものの存在をも知っていた。それが、〝歴史の復元力〟だ」 「歴史の復元力……ようやくその言葉が出てくるわけですか」 「そう、そしてここからがむしろ本題と言っていい。さっき時間の流れをコイルに喩えたけど、ちょっと想像してみて欲しい。コイルを縦に置く。で、その一番上の一周分に横から力を加えて他の周からずらそうとする。そうするとどうなる?」 「それは、元に戻ろうとするでしょう」 「その通り。そして、歴史もまた然りなのさ。さっき、モノリスを持ち込んだホモ・サピエンスは歴史を改変しようとしていたのではないかという話をしただろう? どうやらそのモノリス本来の持ち主は、歴史を改変した場合、どのようなことが起こるのかを事前にシミュレートしていたらしい。それによれば、小さなズレであれば無視されるが、歴史の流れ自体が大きくズレるような類(たぐい)の改変の場合は、それを修正しようとする復元力が働くのだという。それは神の意志とかそういうものではなく、引っ張られたバネやゴムがまた縮もうとするような現象、あるいはこの宇宙の法則のようなものらしい」  タイムトラベルもののフィクションでは、過去を改変しても色々な偶然が働いて結局は最初と変わらない結末になってしまう、というのはよくあるオチだ。しかしそれが現実にも起こると言われると、なんとも奇妙な気分になる。  ユーレイ社長の話は続く。 「それじゃあ、今の歴史のいったいどこが間違っていて、こんなにも多くの人が死んでいくのか? 輪読会はそれについて調査を進めた。間違っている点を見つけて修正しさえすれば、災厄の頻発を止められると期待してね。そうした中、以前にある学者が唱えていた学説が彼らの目にとまった。発表された当時は、荒唐無稽な話として一笑に付されていたものだ。その学説とは、今の人類はモノリスにホモ・サピエンスとして載っている種ではなく、ホモ・ネアンデルターレンシス、つまりネアンデルタール人の方ではないかというものだった」 「ん……? いや、ちょっと待ってください」  今の部分が少し引っ掛かったため、俺はユーレイ社長の話を途中で遮った。 「じゃあ、その時まで誰もそのことに気づいていなかったんですか? モノリスとかいうやつにそんな何でもかんでも載っているんなら、そこからサピエンスとネアンデルタール人それぞれの骨格に関する情報を引き出して今の人類の骨格と比べてみれば、今の人類がどっちなのかは一目瞭然でしょう」 「そうだね。実際、件の学者はそういう風にして自分達がネアンデルタール人だということに気づいた。ではなぜそれまで他の人間はそのことに気づかなかったのかといえば、その理由は二つある」  ご丁寧なことに(?)、ユーレイ社長は『理由は二つある』のところで指を二本立てて見せた。 「一つは、本来の歴史ではサピエンスよりごつい体格をしていたネアンデルタール人が、今回の歴史では速やかな文明化の結果としてサピエンスと大差ないくらい華奢になっていたから。そのせいで、君が考えるほど一目瞭然ではなくなっていたのさ。とはいってもやっぱりサピエンスの骨格と今の人類の骨格はいくらか異なる特徴があったわけだけど、人々はそれに目を瞑ったんだよ。さっき二つ理由があると言ったうちの、もう一つの方のせいでね」 「そのもう一つというのは?」 「なに、簡単な話だよ。今の人類はずっとモノリスから知識を得てきたんだ。そしてそのモノリスによれば、最終的に生き残ったホモ属はサピエンス一種のみで、ネアンデルタール人の方は絶滅したのだという。となれば、実際に生き残っている自分達こそがそのホモ・サピエンスだと考えてしまうのも無理の無い話だろう? そういったわけで現生人類がネアンデルタール人だという説は当初まともに相手にされなかったんだけど、その説を唱えた学者はそれでも諦めず、自分の学説を実証するために研究を続け、そしてついにアフリカで掘り当てたんだ。今回の歴史では絶滅してしまった、本物のホモ・サピエンスの化石をね」 「それまでは見つかってなかったんですか?」  ユーレイ社長は首肯した。 「なにせ今回の歴史では、ホモ・サピエンスは出アフリカを果たすことなくまだ少人数がアフリカに住んでいただけの段階で絶滅していたからね。化石の数自体も少なかったんだろうさ。もっとも、化石が見つかるのが遅れた一番の理由はそこじゃないだろうけどね」  その一番の理由とやらには、なんとなく検討がついた。 「一番の理由は、、ですか」  人は絶滅した古生物のことが知りたくて化石を探す。だが、モノリスとやらに聞きさえすれば簡単かつ確実に古生物の知識が手に入るとすれば、どうだろうか。その場合も、化石の発掘なんていう泥臭い作業をわざわざ自分でやったりするだろうか。  俺には、そうは思えない。 「誰も、というのは言い過ぎかもしれないけど、だいたいそんなところだよ。何でも教えてくれる便利なモノリス――それに頼り続けた結果、すっかりそんな風になってしまっていたんだね。モノリスに頼り切りにならず、もっと自分達の頭でちゃんと物事を考える習慣を身につけていたなら、もう少し早く気づけたのかもしれない。自分達が本来の歴史においては絶滅した古生物だということに。でも、モノリスよりも自分達の頭をあてにしようなどと考えるには、モノリスは先を行き過ぎていたんだ」  何でも教えてくれる便利なモノリス、それによってネアンデルタール人は急速に文明を発展させ、繁栄を手に入れたという。  そうやって歪なかたちで手に入れた繁栄を、俺は一概に悪いことだとは言えない。文明が速く発展した分、助かった命だって数多くあるのだろうから。  しかしその代償として、人々は知らず知らずのうちにモノリスの知識の枠から出られなくなっていたのだ。 「結局、化石が見つかってもなお、人々は今の人類がホモ・サピエンスではないという説を受け入れようとはしなかった。きちんと観察すれば、今の人類ではなくその化石こそがモノリスが示すホモ・サピエンスの骨格と同じ特徴を持つと分かったはずなのにね。けれど歴史の復元力による災厄に直面し、今回の歴史のどこが間違っているのかが調査される段階になって、ようやくその学説にも光が当たったんだ。そして最終的に輪読会の面々は、絶望的な結論にたどり着かざるをえなかった。つまり、だという結論に。あるべき正しい歴史では、ネアンデルタール人はとっくに絶滅していなくてはいけない。だから、正しい歴史通りネアンデルタール人を絶滅させるため、様々な災厄が発生するようになったんだ。ちなみに、例のヒトウドンコ病もその一つさ。君達がヒトウドンコ病の保菌者だから島外に出ることを許されないというのは確かに嘘だけど、かつてこの島がヒトウドンコ病により壊滅したという話は事実だよ。この島どころか、日本本土でも人口の半分近くが死に、更にはそこから世界中に感染が拡大した。最終的には、死者の数は二億を超えたはずだ」 「にっ、二億!?」  さすがに驚いた。たった一つの感染症による死者としては、想像を絶する数だ。  いや、冷静に考えれば歴史が繰り返しているだのタイムマシンだのといった話の方がよほど驚くべきことなのかもしれないが、それらの話がどこか非現実感を伴っているのに対して、死者二億人というのは生々しい怖ろしさがある。 「いくら強力な病原体だからって、こんな小さな島からそんなに広まるものなんですか? 感染拡大を食い止めるチャンスは何度もあったはずでは」 「もちろん、食い止めるチャンス自体は本当に何度もあった。しかしその度に、そうした試みは不幸な偶然により失敗に終わったんだ。ヒトウドンコ病以外の災厄についても同じさ。それらが起こるタイミングや場所に関して不運が重なるのと同じように、被害を抑えようとした試みもまた、起こり得ないわけではないけれど起こる確率が低い不運によって失敗続きとなった。モノリスを活用して対処しなければ、今の人類はとっくに絶滅してしまっていただろうね。でも、いくら個別の災厄に対処しても、歴史の復元力自体をどうにかしないことにはジリ貧だ」 「でもさっきの話だと、歴史の復元力っていうのは一種の法則みたいなものなんですよね? これが神の意志とかそういうものなら、まだその神を説得するなり倒すなりすれば――そんなことが人間にできるのかはさておき――まだなんとかなる可能性がありますが、相手が法則ではどうにもならないんじゃ…………いや、そうとも限らないのか」    言っている途中で、俺は気づいた。  恐らく、歴史の復元力をどうにかする手段は存在するのだ。
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