第四幕:Welcome to Paleontologic World!

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「確か、モノリス本来の持ち主は歴史の復元力を織り込んだシミュレーションをした上で、それでも歴史を改変すべくこの周の歴史にモノリスを持ち込んできたんですよね。ということは、何か歴史の復元力を回避する方法を彼らは見つけてたってことになる」  俺のその言葉を聞いて、ユーレイ社長はにやりと笑った。 「ご明察だよ。歴史の復元力自体への対処法を尋ねた輪読会に対し、モノリスは二つのプランを示した。このうちプランAは、〝歴史を欺く方法〟とも呼ばれている。もっとも、相手は意思を持つ存在じゃないから『欺く』というのはあくまでも比喩だけどね」 「具体的には、いったいどうするんです?」 「さっき、小さなズレであれば無視されると言っただろう? これは言ってみれば、そこにつけ込むやり方だ。つまり、のさ。そのために輪読会は裏からほうぼうに手を回し、現生人類の社会をできる限り本来の歴史におけるホモ・サピエンスの社会と同じものにした。元々、今回の歴史におけるネアンデルタール人文明は前の周の歴史におけるホモ・サピエンス文明からの借り物だらけだったわけだけど、そうは言ってもそれまでは敢えて取り入れる必要の無いものまでは取り入れていなかった。だけど、この時から合理性を無視して、芸術や文化、地名から個人の名前のつけ方に至るまで、何もかもをホモ・サピエンス文明のイミテーションにしたんだ。更には、自分達の『認識の差異』もまた歴史のズレに含まれるという判断から、プランAの関係者以外には『自分達は実はホモ・サピエンスではなくホモ・ネアンデルターレンシスだった』という真実も伏せられた。歴史の教科書も書きかえ、自分達自身の歴史ではなく本来あるべきだった歴史、つまりはホモ・サピエンス文明の歴史を教えるようにした。嘘を教えられているのは、なにも君達みたいな復活させられたサピエンスだけじゃあないのさ」    絶句させられる話だった。  自分達本来の歴史を封印し、芸術も文化も捨て、それらを全て他者のものにすげ替える。それはアイデンティティーの喪失と言っていい。いくら絶滅から逃れるためとはいえ、そこまでやったのか。 「その決断の是非については、人によって意見の分かれるところだろうね。いくら元々借り物だらけの文明だったとはいえ、特に文化や芸術については独自のものが発展してきていたわけだし、それを捨てるなんていうのは容易くできるようなことじゃあない。輪読会の決定を拒絶した結果、穏当ならざる手段で排除されてしまった人もきっといたことだろう。しかし倫理的な是非はともかく、この決断はある程度の効果をあげた。ホモ・サピエンス文明を徹底して模倣することで、人口減少のペースは明らかに落ちたんだ」   「『ペースは落ちた』という言い方からすると、完全に止まったというわけではなさそうですね」 「残念ながら、そういうことだね。少なくとも時間稼ぎにはなっているから、失敗に終わったというわけじゃあない。けれど、これだけでは歴史を完全に欺くこともまたできなかった。だから正しい歴史とのズレを更に小さくするべく、プランAを更に発展させる必要が生じた。そのためにはどうする必要があるか、君には分かるかい?」  文化や芸術、地名、更には自分達をどんな生物種だと認識しているかに至るまで何もかも可能な限り本来の歴史のホモ・サピエンス文明と同じにした後で、まだやれることなんてあるのか。それ以上、本来の歴史に近づけることなんてできるのか。    少し考えて、俺はその答えを出した。  できる。  できはするが……しかし、これは正気の沙汰じゃない。  だが、彼らは生き残るために自分達の歴史や文化まで捨て去ってきたのだ。ならば、更に次の段階まで踏み込まないとどうして言えようか。  それに今考えたことが正しければ、S級特定危険古生物である俺達がこれほど多く生み出され、しかも単なる実験動物として扱われるのではなく、文明人として育てられたことにも説明がつく。 「その様子だと、気づいたみたいだね」 「文化や習俗みたいな社会的な面、言い方を変えれば人体のをできるだけ同じにして、それでも足りなかったとしたら、もう後はを同じにするしかない。つまり、自らの遺伝子を改変して、生物学的にホモ・サピエンスと同じにする……?」  この世界において元々生き残っていた人類がネアンデルタール人だけであり、俺達今のホモ・サピエンスはRRE法で生み出された存在だというのであれば、今のホモ・サピエンスはネアンデルタール人の受精卵を遺伝子改変することによって作られたことになる。  つまり俺達の親はネアンデルタール人で、逆に言えば俺達はネアンデルタール人の子供なのだ。    遺伝子改変によってホモ・サピエンスに作り変えれば、確かに歴史の復元力による排除対象から自分達の子供を外すことはできるだろう。なにせ、ネアンデルタール人とは違い、ホモ・サピエンスは本来の歴史でも絶滅していないのだから。    だが生物種が変わるほどに遺伝子を改変された俺達は、果たして彼らにとって自分の子供と呼べる存在なのだろうか。  彼らは本当にそれで、自分達が生き残ったと言えるのか。 「もちろん、全人類をそうするというわけじゃあない。ともかくも計画の第一段階によって時間稼ぎはできたから、その間に試験的にホモ・サピエンスを生み出し、少しずつ今の社会に取り込む。また、混血を進ませることで遺伝的にも取り込む。どの程度までそれをやれば良いのかは分からないが、そうやっていけば、いずれは歴史の復元力が働かない段階に至る――そういう計画なのさ。NInGen社は、その計画を実行するために設立された」 「RRE法によってホモ・サピエンスを生み出し、自分達との混血を進める――簡単には言いますけど、そっちにしてみれば、本来であれば普通の自分達の子供になるはずだった受精卵を遺伝子改変して古生物にしてしまった上に、その古生物との間で子作りをするということですよね? その古生物の側である俺が言うのもなんですけど、いかに自分達の絶滅がかかっているとはいえ、よく受け入れられましたね、そんな計画」 「さっきも言ったけど、ヒトウドンコ病だけでも二億もの人間が死んでいるからね。君はさっきその話を聞いたばかりだからまだ実感が湧かないかもしれないけど、それを目の当たりにしてきた人間にとっては、そんな情緒的な理由で躊躇できるような段階はとっくに過ぎていたんだよ。なんなら、そこにいるミナ君にも、ホモ・サピエンスの〝許婚〟が用意されていたくらいだ。彼女の母親によってね」    俺はぎょっとして、先ほどから一言も口を挟まずただ暗い顔で俺達の会話を聞いていた班長の方に顔を向けた。 「……許婚か。その表現もまたずいぶんと情緒的だ。〝交配相手〟とでも言った方がいい」    暗い顔のまま自嘲的な表情を浮かべ、班長はそんな言葉を呟いた。  俺に向けて説明したようにも、独り言のようにも聞こえた。  班長の母親、ハンナ・カウフマン研究統括部長はNInGen社の前社長でもある。NInGen社の真の設立目的がこの計画にあるというのなら、彼女もまたこの計画を中心になって推し進めている人物の一人ということになるだろう。  しかしそれにしたって……。 「いや、交配相手って……家畜じゃないんですから。だいたい、前社長からしてみればミナ班長は実の娘なのに、そんな」    狼狽える俺に対して、班長は苦笑する。 「実の娘、というよりは、実の娘、だろうな。計画のためには、いずれは社会全体でホモ・サピエンスとの混血を進めていかなければならない。その前段階として、まずは我々とホモ・サピエンスの間で交配が可能なのかを確認しておく必要がある。そして誰かがそれを試さなければならないのなら、計画を主導している自分に近いところから――というわけだ。私個人の感情を別とすれば、そこまでおかしな考え方じゃない。自分がまだ出産可能であれば、恐らく母は躊躇無く自分自身で真っ先にホモ・サピエンスとの子供を産んだだろうさ。あの人はそういう人間だ。けっして悪人ではないし、私達の種族の絶滅を回避することに誰よりも真剣に取り組んでいる。その反面、一個人としての幸福や感情には無頓着になりがちだ。それが自分のものであれ、他人のものであれ、な」    班長の表情からは、実の母親がそういう人間であることを受け入れられているのかどうか判然としない。俺はそれについて尋ねたい衝動に駆られたが、機先を制するかのように、班長は「今は、私の個人的事情なんてどうだって良いだろう」と言って、ふいと顔をそむけてしまった。  やむなく、俺はユーレイ社長の方へと視線を戻す。 「さっき、今のは二つあるプランのうちのAの方だって言いましたよね。それはつまり、プランBもあるっていうことで良いですか?」   「その理解で合っているよ」   「それじゃあ、そのプランBとやらはいったいどういうものなんです?」  聞く前から、どうせろくでもないものなんだろうなという気がしていた。    プランA、プランBという呼び方を素直に捉えるならAの方が優先順位が高いということになるが、そのプランAの時点で既に常軌を逸している。ならばプランBにまともな内容を期待する方が無理というものだ。
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