第四幕:Welcome to Paleontologic World!

12/18

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
「プランBがどういうものかって? そうだね……プランA、つまり君達ホモ・サピエンスを生み出した方が『歴史を欺く計画』なら、プランBはさしずめ『真正面から歴史に挑み、戦う計画』といったところかな」   「歴史に挑み、戦う……?」   「ハルツキ君、さっき私は、歴史の復元力というのは引っ張られたバネやゴムが元に戻ろうとする力のようなものだという話をしたよね?」   「え、ああ、はい」    確かに、そんなことも言っていた。   「もしも、元に戻ろうとする力とは逆向きに更に強い力で引っ張り続けたら、バネやゴムはどうなると思う?」   「それは……バネだったら伸びきってただの針金になるし、ゴムだったらそのうち千切れてしまうのでは――」  思わず息を呑んだ。ユーレイ社長が何を言わんとしているのかが理解できたからだ。  伸びきった針金や千切れたゴムは、もう元に戻ろうとはしない。というより、元には戻れない。   「じゃあ、つまり真正面から歴史に挑み、戦うっていうのは……」   「お察しの通り、プランAの真逆――つまり本来の正しい歴史に近づけようとするのではなく、むしろというものだよ。それこそ、歴史がもはや復元不能な域に達するまでね」   「そうは言っても、具体的にどうやってそんなことをするんです?」   「そもそも今回の歴史は、中途半端に本来の正しい歴史と似ている。それというのも、今の現生人類(ホモ・ネアンデルターレンシス)がモノリスを介してホモ・サピエンス文明を取り込み、それに合わせた生き方――つまりはホモ・サピエンスと同じような生き方をし、その結果としてホモ・サピエンスと同じような影響を世界に対して与えてきたからさ。そして、ホモ・サピエンスや今の人類が世界や歴史の流れに対して大きな影響を与えるのは、だからだ。逆に人間以外の生物というのは通常、環境に合わせて自らの体の方を変化させる。それは知っているかい?」   「寒い地方の動物は熱を逃がさないために体が大きくなり、逆に耳のような表面積が大きい部分は小さくなるとか、暑い地方ならその逆のパターンになるとか、そういう話ですか」   「そうそう、そういう話さ。もちろん、そうなるためには何世代もかけた進化が必要なわけだけど、ともかく通常の生物はそうやって自分達の体の方を変えることで生存率を上げている。しかし本来の歴史におけるホモ・サピエンスは、自らの体はそのままに、森を切り開き、田畑や町を作り、更には冷暖房で温度まで制御して、そうやって周囲の環境の方を変えることで生存率を上げてきた。そんな風にして彼らが世界に多大な影響を与えてきたのが本来の正しい歴史なんだ」 「ホモ・サピエンスが地球環境を破壊してきたのが本来の正しい歴史ですか。なんとも皮肉な話ですね……」   「人間の価値観では、ホッキョクグマが数を減らしてネッタイシマカやマラリア原虫がその分繁栄するのは『悪いこと』なんだろうけど、歴史そのものはそういった選り好みをしないからね。なんなら、生物と無生物の間にすら価値の優劣をつけないくらいだ。だから、極論すれば地球が生物の全く存在しない死の星になろうがどうなろうが、これまでの周の歴史でそうなっていたのなら歴史そのものにとってはそれが『正しい歴史』なのさ」    俺の言葉に対し、ユーレイ社長はそう言って肩をすくめてみせた。   「さて、話を戻そうか。今の人類がそういったホモ・サピエンス的な有り様を取り入れているが故に、今回の歴史は中途半端に本来の歴史に似ている。逆に言えば、今の人類がホモ・サピエンス的な有り様を完全に放棄すれば、歴史は大きく変わる。それこそ、歴史の復元力も働かなくなるほどにね」   「つまり近代文明を捨てれば……いや、それだけじゃ足りませんね、きっと。原始的な農業だって自分の周囲の環境を自分に合わせて変化させる営みなわけですし。だったら、それこそ石器時代みたいな狩猟採集生活に戻るとかですか?」    ユーレイ社長は、愉快そうな表情のまま首を頭(かぶり)を振った。   「いやいや、それでもまだ全然足りないよ。石器時代の人間だって火をおこして洞窟内を暖め、狭い範囲とはいえ自分に都合の良いように環境を変えたりしていたんだから。それにいったんそんな生活に戻ったところで、ネアンデルタール人の体が自分自身を変化させるよりも周囲の環境を変化させる生存戦略に適していることに変わりはないからね。いずれはまた自分達の生存率を上げるために農業を始め、やがては文明を築くようになる。もっと根本的に、生物としての有り様を変えなきゃあ駄目なんだよ。ホモ・サピエンスが周囲の環境を変えるのに適した性質を持つのとは完全に真逆、自分達自身の体を変化させる方に特化した生物になる必要があるんだ」    自分達自身の体を変化させることに特化した生物……?  待て。  まさにそういう生物の存在を、今日聞いたばかりじゃないか。  その生物は単一の種でありながら、体格も能力もまったく違う、それぞれが異なる状況に適した個体を生み出せる。  つまり、プランBを進めた先にあるものは――   「チャレンジャー……ホモ・フトゥロス?」   〝チャレンジャー〟すなわち挑戦者というコードネームを最初に聞いた時、いったい何に挑み、何と戦うのかと俺は疑問に思った。そしてその答えが今、ようやく分かった。あれは、歴史に挑み、歴史と戦わんとする意志をもって生み出された存在だったのだ。   「なるほど、チャレンジャーの学名も既に知っていたみたいだね。まあ自分達のことを知っていたくらいなんだから、意外でもなんでもないか。そう、今の人類が生物としての有り様を――、それがあのホモ・フトゥロスだ。正確に言えば、たどり着く先の一つ、かな。生物としての有り様がホモ・サピエンスとは真逆な進化先自体はいくつもあるんだけど、その中で生き残れる可能性が最も高いものとして普賢が提示したのがあれなのさ」  文明を持たず、道具も使わず、周囲の環境を自分に合わせて変化させるのではなく、自分達の体の方を周囲の環境に合わせて変化させる――その方向へと進化し続けた場合に誕生する〝未来のヒト〟。  それが、ホモ・フトゥロスの正体か。  通常の動物は、周囲の環境に合わせて自分達の体を変化させるといっても、それは何世代もかけた進化の末のことだ。だが、あのホモ・フトゥロスは一世代で大きく異なる体を持つ個体を生み出せる。  確かに、ホモ・サピエンスとは真逆の方向を極めた人類と言っても過言ではない。   「だけど、このプランBには、プランAには無い重要な問題点がある。ハルツキ君、君には分かるよね?」   「プランAの場合は、生まれてくる自分達の子供のうちの一部をホモ・サピエンスに作り変えて、それを社会に取り込んでいく。逆に言えば、今の人類もある程度の数はそのまま残すことができる。でもプランBの場合、人間に合わせて周囲の環境を変えてしまう文明社会は完全に放棄しなくてはいけないから、文明を築く可能性がある今の人類は残せない。つまり、。そういうことですね?」    俺が答えると同時に、ぱちぱちぱち、と空虚な拍手が室内に響いた。   「その通りだよ。しかも、文明を完全に放棄した状態で生き抜くのに適した姿なんだから当然だけど、ホモ・フトゥロスはもう見るからに人間ではなく獣だ。自分達の子供を一人残らずあの姿へと作り変えるのに前向きな人間は、さすがの輪読会にもいなかった。少なくとも、実際に作られたホモ・フトゥロスを見てしまった後ではね」    プランBがどういうものを生み出すかなんて始める前から分かりそうなものだが、そこは百聞は一見にしかずというやつなのだろう。ティラノサウルスだのデイノスクスだのと相対してきた俺としては、想像図を見るだけと実物を目の当たりにするのでは受ける印象がまったく違うというのはうなずける。   「輪読会にはプランAに消極的な人間も少なからずいるんだけど、そんな人達も今ではプランBを強く推すようなことはしていない。それでも輪読会の一部は、プランBの研究も継続するよう求めた。ハンナ君を始めとするプランA急進派に対して、いざとなれば他の選択肢に乗り換えることもできるんだぞと牽制するためだけにね。だけど本気でプランBに乗り換える気なんて無いことはハンナ君達にもバレバレだから、実際には牽制としての効果なんてほとんど無かった。そんなわけでプランBは近々完全に破棄される予定だったんだけど、その矢先に今回の脱走事件が起こったというわけだよ」
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加