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三十分後、俺と班長を含めた第一班の面々は、島の北東、旧六甲島区へ向けて出発した。そこにある森林公園が、今回の事件の現場なのである。
ヒトウドンコ病が猛威を振るった時代よりも更に昔、この島は港島と六甲島という二つの人工島だった。それらが互いに拡張を続けて融合した結果できたのが現在の新六甲島なのだが、旧六甲島区というのは、その名が示す通り元来の六甲島があった区画だ。NInGenの本社があるのは旧港島区なので、ちょうど反対側ということになる。もっとも、島自体がそれほど大きくないので、反対側とはいっても車でなら移動に大した時間はかからない。
ちなみに車は軍用の輸送車両をベースにした特注のもので、壁も窓も防弾仕様となっている。ショートフェイスベアの腕の一振りにだって耐え得るのだ。万が一の時には、籠城することもできる。
もっとも、調査と捕獲を任務とし、銃火器も支給され、特殊訓練を受けている俺達が車内に引き籠ってただ籠城するようなシチュエーションなど普通は無いのだが。
遅刻してきた俺は出発前に資料を読み込む時間が無かったため、結局今車内で読んでいる。
「ハルツキ、お前、よく車でそんな風に読んでられるな」
第一班では最年長の三十歳である柳山イエナオさんが、見ているだけでも気持ち悪いと言わんばかりの表情をこちらに向けてきた。イエナオさんは、車酔いしやすいたちなのだ。
しかし資料を読んでいるとはいっても、眼鏡型情報端末に表示させてのことだから、傍から見れば単に目の動きがちょっと不自然なくらいのはずだ。それを横から見るだけで気持ち悪いというのは神経質過ぎやしないだろうか。
「そんな俺の顔が気持ち悪くて堪らないみたいな目で見ないでくださいよ」
副班長である俺の方が今となっては立場が上なのだが、一応は先輩なのでこちらは敬語を使う。
「べつにそんな目で見てねーよ。被害妄想もたいがいにしとけ。卑屈な男はモテねーぞ」
「俺が卑屈なのには、ちゃんと理由があるんですよ。ここの面接を受けた時、なんと班長は俺の顔を見た途端に真っ青になって出て行ってしまったのです。なんでもその後すぐトイレでリバースしてたそうで、そんな話を聞いた日には、俺の顔は見ただけでゲロを吐くほどなのかとトラウマにもなりますよ。繊細なハートがズタズタボロボロです」
「……あの時は、単に体調が悪かっただけだと言っただろう。お前、根に持ちすぎだぞ」
助手席の班長がこちらを振り返って睨みつけてくる。
「根に持ってるのは班長の方でしょう。班長がいつも俺に対してあたりがきついのは、あの時に他の面接官の前で恥をかかされたと俺を逆恨みしているからじゃないんですか?」
「お前にきつくあたるのは、お前が毎日遅刻するからだ!」
班長の怒鳴り声に驚いたのか、一番後ろの席に載せているパックが二度続けて鳴いた。その声を聞いた途端、班長の顔が強張る。班長はパックが苦手で、助手席に座っているのもできるだけパックと離れたいというのが理由だ。
パックというのは、俺が相棒にしている狼である。狼といってもハイイロオオカミのような現生種ではなく、これまたRRE法で復活させられた古生物・ダイアウルフだ。
かつて俺達がダイアウルフ、ショートフェイスベアと三つ巴の戦いを繰り広げた時に捕獲したうちの一頭で、仔狼の頃から俺が育て、危険古生物探索のための訓練をさせてきた。
今でこそなくてはならない相棒だが、引き取った当時はこれほど役に立ってくれるとはまったく期待していなかった。それでも引き取ることにしたのは、親を熊に殺されてしまったこいつを自分と重ねて見てしまったのかもしれない。
これは俺だけでなくツツジやイエナオさんも同じだが、実の親の顔を覚えていない。
それも当然で、ヒトウドンコ病に感染した人間のうち、無症状病原体保有者となり得るのは一歳未満の乳幼児だけなのだ。それ以上の年齢の人間が感染すると、まず間違いなく助からない。そして乳幼児が感染するような状況であれば、十中八九その親も感染している。
詳しい話は聞いていないが、俺の実の両親もまたヒトウドンコ病で命を落としたのだという。
育ての親は、穏やかで優しい人だった。なにしろ物心ついた時には俺はもうあの人のところにいたので、俺にとって彼女は実の親みたいなものだったし、彼女自身も『私にとってあなたは本当の子供だから、あなたも私のことを本当の親だと思って』と少ししつこいくらい繰り返し言い聞かせてきた。
しかしそれでも、成長するにつれて彼女とまったく似ていない黒髪と褐色の肌を持つ自分の容姿を意識せざるを得なくなり、色々と複雑な思いが湧き上がってくるようになってしまった。
島民が全員俺のような肌の色をしているわけではなく、たとえばツツジなどは色白である。もし俺もそうだったなら、あの人に対してもっと素直な気持ちで向き合えたのだろうか、と時々思う。
今になってそんなことを考えても、もうどうにもならないのだけど。
そういえば、今向かっている森林公園には子供の頃、あの人にキャンプに連れて行ってもらったことがあった。ヤギを食い殺すような危険古生物はさすがにいなかったが、ティラノサウルスの子供やヴェロキラプトルなどは見た記憶がある。
今ではお手頃価格で販売されているそれらの古生物だが、当時はまだまだ庶民に手が出るようなものではなかった。おおかた、どこかの金持ちが物珍しさから手を出したものの飼いきれなくなり、『せめて自然の多いところで』などと勝手なことを考えて森林公園まで捨てにきたのだろう。
危険古生物対策課の職員になった今でこそ、野生化した古生物に餌をやって増やすようなことをしてはいけないと理解している俺だが、当時はまだ何も知らない子供である。普段ならNInGen本社に併設されている古生物専門の動物園『新六甲島古生物パーク』以外では滅多に見ることがない――これも当時は、の話だが――古生物が外をうろうろしているという物珍しさから、ティラノサウルスの子供に餌を与えたりしてしまっていた。
もっとも、本来肉食であるティラノサウルスに、自分の食事の残りである納豆ご飯などを与えたりしてしまっていたので、あの時のティラノサウルスは、かえって腹を壊してしまったかもしれない。
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