第四幕:Welcome to Paleontologic World!

13/18
前へ
/97ページ
次へ
「あっ」    脱走事件という言葉を聞いて、思い出した。本当なら忘れてはいけないような重要事だったのに、いろいろと衝撃的な話が多すぎてすっかり頭から抜け落ちていたのだ。   「そうだ、脱走だ。ホモ・フトゥロスがもう二十五頭、脱走してるんです!」   「あれが二十五頭!?」    班長は頓狂な声をあげたが、ユーレイ社長の方は平然としたままだ。   「まーそれは確かに平時であれば大ごとだけどね。でもジーランディアシステムが発動してるこの状況じゃ、なんというか今さらどうだっていいことじゃないかな。少なくとも、君達にとっては」    そういえば、ジーランディアシステムとやらのことも忘れていた。   「なんです、そのジーランディアシステムっていうのは?」    名前だけは既に班長から聞いていたが、それを言うと班長の立場が悪くなってしまう可能性があるので、初めて聞くようなふりをしておいた。  もっとも、既にさんざん重要な秘密を喋ってしまっているユーレイ社長に、ジーランディアシステムの名前を漏らした程度のことで班長を責める資格は無いとは思うが。   「輪読会には、プランAに強く反対する一派もいてね。彼らは恐れたんだよ。ホモ・サピエンスを復活させようという自分達の動きそれ自体が歴史の復元力によるもので、ホモ・サピエンスを復活させたが最後、自分達は本来の歴史通りホモ・サピエンスによって滅ぼされてしまうんじゃないかってね」   「俺達はそんなことしませんよ――と言いたいところですが、その人達の懸念は妥当なものに思えますね。たとえネアンデルタール人が滅んだとしても、ホモ・サピエンスが滅びたままでは本来の歴史は復元できていないわけで、歴史の復元力的には片手落ちでしょうから。その点、ネアンデルタール人文明にホモ・サピエンスを復活させた上で、そのホモ・サピエンスにネアンデルタール人を滅ぼさせることができれば一石二鳥です。……で、その話とジーランディアシステムとかいうものにどういう関係があるんです?」   「作り出したホモ・サピエンス達が反乱を起こす可能性を危惧した輪読会は、それに対する備えを二つ用意しておくことにした。一つは、危険古生物対策課第ゼロ班。彼らはA+級特定危険古生物であるホモ・フトゥロスへの対応も担当しているけれど、メインの任務はむしろS級特定危険古生物であるホモ・サピエンス内の反乱分子を探し出し、他のサピエンスを煽動して大規模な反乱を起こす前に捕えることだ」    なるほど、それで危険古生物対策課なのにイエナオさんを捕まえたりしていたわけか。   「でも第ゼロ班は精鋭とはいっても人数が少ないから、この島のサピエンスの大半を巻き込むような大規模な反乱が起こった場合にはとても対処しきれない。かといって反乱対策用にこちらも大規模な軍隊を駐留させておいた場合、逆に彼らの持つ兵器が奪われて島外へ攻め込むのに使われる危険性がある。普通なら軍隊が素人集団に兵器を奪われるなんてそうそうあることじゃあないんだけど、なにせサピエンスの手によるネアンデルタール人滅亡は歴史の復元力が後押しするからね。たとえ確率が低くても、起こり得ることなら起こってもおかしくないと考えておいた方が良い。だからこの島には、最後の手段として島外への攻撃には使えない防衛システムが設置されたのさ。さっき言ったジーランディアシステムは、その最終防衛システムを指す言葉なんだよ」   「で、具体的にそれが発動すると何が起こるんです?」    丁寧と言えば丁寧なのかもしれないが、この状況下ではまわりくどいとも言えるユーレイ社長の説明に少し苛立ちながら俺は尋ねた。   「端的に言うと……新六甲島が全部沈没する」   「なっ……全部沈没ぅ!?」    驚きのあまり声が裏返った。   「全部って、島がまるごと全部、ですか?」   「そう、まるごと全部」    俺は頭を抱えた。   「なんでそんな大がかりなものが発動してるんですか! 猛虎班が輸送車を襲ったのが反乱だと思われたんですか? 島ごと沈めなきゃいけないほどの規模じゃないでしょう、あれは!」   「さすがに今日あった猛虎班の襲撃くらいの規模では発動しないさ。タイミング的にも、あれが原因ならもっと早くに発動しているはずだしね」   「だったら、いったいなんで……」   「そこのそれ――」    ユーレイ社長は、足もとに落ちている小動物の死骸を指し示した。   「その妙な動物の牙には毒があるみたいでね。噛まれてからの記憶があんまり無いんだけど、ミナ君が来る前にも誰かここにもう一人いた気がするんだよね。これは推測だけど、私の頭がぼんやりしていたのを良いことに、その誰かは普賢の管理権限を奪おうとしたんだと思う。ジーランディアシステムが発動したのは、たぶんそれが原因だよ。あれは、普賢が奪われそうになった場合も発動するものだからね。なにせ、弱まったとはいえ歴史の復元力による今の人類を滅ぼそうとする作用は今この時も働いていて、それにある程度対処できているのは普賢の演算力があってこそだ。その普賢が奪われることは、今の人類の絶滅を意味すると言っても過言ではないのさ」   「島ごと沈めたら、その普賢だって無事じゃ済まないでしょうに」   「普賢は外界から完全に隔離されているんだよ。電源も無線給電さ。で、この普賢と外界を隔ててるガラスだけど――」    ユーレイ社長は、自身と普賢とを隔てているガラスをコンコンと手の甲で叩いた。   「これは水族館の大水槽に使われているようなやつの、更に強化版でね。そこらの銃じゃ傷一つつけられず、対物ライフルの弾だって受け止められるくらいに頑丈だ。もし島が沈んで今私達がいるこの部屋に水が流れ込んだとしても、その水圧にも問題無く耐えることができる」   「じゃあ、今この島にいる本国人、いやネアンデルタール人は!? 島ごと沈んだら俺達サピエンスだけじゃなく、あんた達もみんな死ぬでしょう。自分達の仲間も巻き添えで殺すシステムなんですか?」   「サピエンスでないこの島の人間には、それぞれ一人用の救命ポッドが与えられているんだよ。まあ移動能力の無い小さな潜水艇みたいなものを想像してもらったらいいかな。ジーランディアシステムの発動を知らせるサイレンが鳴り出してから実際に発動するまでには六時間の猶予が与えられているから、その間に自分の救命ポッドに入れば助かるって寸法さ。救命ポッドには自分の座標を知らせる機能があるから、島が沈んだ後で船に回収してもらえる。もちろん、ポッドの中にいるのがサピエンスじゃないと確認できてからの話だけどね」   「それだと六時間以内に自分の救命ポッドまでたどり着けなかった人は死ぬじゃないですか」   「この小さい島なら、六時間もあれば普通はどこにいても自分の救命ポッドを保管してあるところまで戻って来られると思うけどね。まあでも万が一ということがあるから、みんな島内をあちこち移動するような仕事はやりたがらないんだよ」    確かに、この島にいるネアンデルタール人達のほとんどは、本社の研究施設を出なくてもいいような仕事をしている。危険古生物対策課も含めた、島内のあちこちを移動するような仕事は基本的に島民――いや、サピエンスの役割だ。まさかその裏にこんな事情があったとは。    俺はミナ班長の方をちらりと見た。  この人はそういう危険をも知った上で、俺達と同じ仕事に就いていたのか。   「ユーレイ社長、NInGen社トップのあなたの権限でそのジーランディアシステム、止められないんですか?」   「いったん発動してしまったら、私でも無理だね。止めるには輪読会の承認を得る必要がある」   「だったら、さっさとその輪読会に連絡してくださいよ。このまま島を沈めるつもりですか!?」    焦る俺に対し、ユーレイ社長がかけた言葉は完全に予想外のものだった。   「そんなに切羽詰まった声を出さなくてもいい。十中八九、君は助かる」   「わけの分からないことを言わないでくださいよ! 島が沈んでも助かるって、なんでそんなことが言えるんです!?」    ユーレイ社長はにやりと笑った。 「なぜなら、さっきも言った通り、君は歴史の復元力によって選ばれた存在だからさ。間違った歴史を正す役割を担う者としてね」
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加