第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 直接話さなくてはならない重要な情報があるという名目でアルベルト・ベルンシュタインがNInGen本社ビルのメインコントロールルームを訪れたのは、時系列で言えばハルツキがパックとともにミナ・カウフマンを追跡していた頃のことである。  そしてそれからものの数分で、アルベルトはその場にいた全員を制圧することに成功した。    アルベルトの戦闘における技量が並外れて高かったのは確かだ。しかしそれほどの短時間で事が済んだ最大の要因は、誰一人として彼がそのような暴挙に出るとは予想できていなかったことにあるだろう。  拘束された直後、ハンナ・カウフマンが「まさかこんな短絡的な手に打って出るとはな。お前はもう少し小賢しく立ち回るものと思っていた」と毒づいたことからも分かるように、アルベルトを快く思っていない者にとってすら、想定外の行動だったのだ。  それも当然と言えば当然だった。アルベルト自身、娘を人質に取られるまでは、このような手段を使うつもりは毛頭無かったのだから。   「馬鹿な真似をしたものだ。お前のバックに輪読会の一部がついていることくらいは知っているが、ここまで表だって動いてしまったら、連中とてお前をかばいきれないだろうに」    ハンナはそう言いながら、見るもの全てを凍てつかせそうな目で眼前の男を睨みつける。しかし睨まれている当人、アルベルト・ベルンシュタインが動じる気配は少しも無かった。    ハンナに言われるまでもなく、アルベルトとて輪読会内の協力者が自分に見切りをつけるであろうことくらい百も承知だ。このメインコントロールルームを占拠し、サイトBも含めた危険古生物飼育区画を開放するなどという暴挙に出た時点で、自分は彼らの計画を狂わせているのだから。    この島やプランAがどうなるかに関わらず、アルベルトの身の破滅は既に決まったも同然だった。それでもアルベルトは、娘の命を守るため、この道を選ばざるを得なかったのだ。    しかしそんな自らの苦境を、ずっと対立してきたハンナになど話したくはない。だからアルベルトは、代わりにこう言った。   「今さら我が身など惜しみはしないさ。人類を危機にさらす貴様の計画をここで止められるのならばな」    その言葉もまた、アルベルトにとって嘘ではなかった。   「違うな。私達のプランAこそが、現生人類を救うのだ。現生人類を危機にさらそうとしているのは、それを止めようとしているお前達の方だ」    拘束された身でありながら、ハンナは一歩も引かずに反駁する。その不遜な態度は、アルベルトを苛立たせた。   「よくそんなことが言えたものだ。貴様は、自分達にサピエンスが制御できると本気で考えているのか? あれは我々の手には負えない危険な生物だ。十年前と今回、二度にわたり惨劇を招いておきながら、まだ学ばないのか、貴様は」   「十年前も今回も、惨劇を起こしたのはフトゥロスの方だ。私は、あれを作る計画には元から反対していた」   「直接的に犠牲を出したのはフトゥロスでも、引き金を引いたのはサピエンスだろう。十年前も今回も、サピエンスによってフトゥロスが町に放たれた結果、あのような悲劇が起こったのだから」   「引き金を引いたのがサピエンス?」    ハンナは鼻で笑った。   「何がおかしい?」   「そういうお前は、自分で言っていておかしいとは思わないのか? 十年前も今回も、引き金を引いたのはお前達だろう。お前達がサピエンスを煽動し、わざと事件を起こさせたんじゃないか。プランAを潰すためにな」    アルベルトはぎくりとした。    確かに今回の件では、自分が猛虎班に武器やデマを流し彼らを過激化させた挙げ句、フトゥロスの輸送に関する情報まで与えて暴発を促している。この女は、それを既に知っているのか。  いや、適当な憶測でものを言って、かまをかけているだけに違いない。実際には、何も情報は掴んでいないのだ。十年前の件まで、こちらのせいにしようとしているのがその証拠だ。    内心の焦りを誤魔化すように、アルベルトはハンナを嘲った。   「そうやって他人のせいにしていれば現実逃避できて気が楽になるのだろうが、見ているこちらとしては見苦しいだけだぞ? まあ、そうしたくなる気持ちも理解できないではないがな。特に十年前の件では、事件を起こしたのがわざわざ貴様自身が育てていたサピエンスだったからな」    それにしても、いくら自身が進めている計画のためとはいえ、実の娘にあてがうために危険な古生物を娘とともに育てていたこの女の感性は理解不能だ。自分であれば、ミキをそのように道具の如く扱うことなど、とてもではないが考えられない。この女には、親心が――いや、人の心が無いのだろうか。    そんなことを考えているアルベルトの顔を、ハンナはどこか怪訝そうな顔でじっと見つめていた。そして、ややあって口を開いた時、そこから出てきたのはこんな言葉だった。   「お前、もしかして知らされていないのか?」    今度は、アルベルトの方が怪訝な顔をする番である。   「何の話だ?」   「十年前の事件、裏で糸を引いていたのは今お前のバックにいる連中だということをだ」   「なにを馬鹿な」    アルベルトは一蹴する。  だがその言葉の裏では、もし本当にそうだったとしたら? という不安が湧き起こるのを抑えきることができなかった。    十年前のあの惨劇が、アルベルトの転機だった。  両親をフトゥロスに殺され、そして自らもまさに殺されそうになっている赤ん坊を見つけたあの日に、アルベルトは実感したのだ。フトゥロスと、そしてサピエンスの危険性を。    そして、そのサピエンスを増やして人間社会に解き放つというハンナ達の計画、すなわちプランAは絶対に止めなくてはならないと心に誓った。  やがて輪読会内に志を同じくする者達がいることを知り、彼らと協力関係を築きあげ、ついには今回の計画を実行するに至ったのだ。    今のアルベルトをかたちづくったと言っても良いあの事件の真の黒幕が、よりにもよってアルベルト自身の協力者? そんなことは、あってはならない。    だがハンナは、そんなアルベルトの思いを知ってか知らずか、容赦無く言葉を続けた。   「これまで、おかしいと思ったことはなかったのか? は、フトゥロスを逃がしたらどんな事態になるかを想像することもできず、ただあれらが本来であれば人間として生まれるはずだったものというだけで逃がそうとするような、考えの浅い子供だった。そんな子供が、今ほど警備が厳しくなかったとはいえ、なぜサイトBに侵入しフトゥロスを逃がせた? いや、それ以前に、どうやってフトゥロスの存在を知り得た?」   「見苦しいと言ったはずだ。いい加減黙れ」   「なにより、お前だって気づいているはずだ。十年前と今回、構図が全く同じだということに。おおかた、十年前の一件でひとまず私をNInGenのトップから引きずり下ろせたのに味をしめ、同じ手でいくことにしたのだろうよ。多くの人間をサピエンスの手で直接的に殺させるよりも、フトゥロスを使って間接的に犠牲を出す方が現状では簡単だからな」   「黙れと言っているだろう!」    アルベルトが声を荒げて銃口を向けると、さすがにハンナも黙った。しかし相手の主張を論理的に否定できず、そのような手段に訴えざるを得なかった時点で、アルベルトはある意味で既に負けていたと言っていい。    アルベルトの怒声を最後にメインコントロールルームには沈黙が訪れたが、さほど間を置かずしてそれは破られた。  音をたてているのは、アルベルトがハンナから取り上げた眼鏡型情報端末である。どうやら、どこかから通話要請が入ったようだ。    メインコントロールルームの固定端末宛てに連絡が来た際にはアルベルト自身が対応して嘘の情報を流したが、さすがにハンナの個人端末にアルベルトが出るのはおかしい。  ひとまず無視しておこうと判断したアルベルトがそのまま放置していると、しばらくして端末は鳴り止んだ。しかしまたすぐに鳴り始める。  あまり無視し続けると、かえって怪しまれる可能性もある。今はまだ、メインコントロールルームで何かあったと感づかれたくはない。    アルベルトはそう思い直した。  スピーカーモードでなら、こちらに聞こえないよう秘密の相談をされることもないだろう。  アルベルトは拘束されているハンナの頭に、手ずから端末を装着させた。   「出ろ。ただし、相手の声もこちらに聞こえるよう、スピーカーモードでだ。新たに脱走した二十五頭のフトゥロスについて聞かれたら、システムの誤作動で本当は脱走などしていないと言え。分かっているとは思うが、この場で頭を吹き飛ばされたくなかったら余計なことを言うなよ?」  ハンナは冷たい目でアルベルトの方を一瞥した。アルベルトは一瞬、この女に外部との連絡をとらせたが最後、自らの命など惜しまず現況を全て話してしまうのではないかと不安になる。  しかしハンナは、こう答えた。   「分かっているさ。私とて、こんな道半ばで倒れるわけにはいかない」  お前の道などとうに途絶えている、とアルベルトは言いたかったが、それを呑み込んだ。    理由はどうあれ、この女が己の命を惜しんでいるのなら、それはこちらにとって好都合だ。
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