第一幕:野良ティラノサウルスに餌を与えないでください

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 目的地の森林公園内に入って早々、車が急に止まった。直後、前方からドアが開けて班長が車を降りる。気になったので、俺も外に出てみることにした。万が一に備えて麻酔弾を込めたライフルを手にし、パックも連れて降りる。  班長は出てきた俺がパックを連れて出てきたのを見ると、露骨に顔をしかめた。 「その狼を私に近づけるなよ?」 「……班長、いい加減、俺の相棒にも慣れてあげてくださいよ。今までだって何度も役に立ったでしょう? ほら、パックも班長が冷たいから哀しんでいますよ」  自分の名前が呼ばれたことに反応したのか、パックがウォォーンと吠える。 「嘘つけ! 今の絶対哀しんでる声じゃないだろ。絶対、『こいつ美味そうだ』とかそんなこと考えてる!」 「まあ、仮に美味そうだと思ってるとしたら、それは班長じゃなくてあっちの方じゃないですか?」  外に出た直後から、その臭いには気がついていた。この仕事をやっていると、しばしば嗅ぐことになる臭い。そう、血の臭いだ。  その臭いの発生源は、道の先に転がっていた。先にそちらへと向かった班長の後を、俺は追う。  舗装されていない砂利道は、一歩進むごとにざっ、ざっ、と音をたてた。  転がっているものの正体は、カメの甲羅のようにも見える特徴的な丸い装甲板からすぐに察しがついた。  古生物の一種、グリプトドン・クラヴィーパス。現代のヒメアルマジロに近いと考えられている動物だが、十センチ前後しかないヒメアルマジロとは違い、三メートルほどの大きさがある。そこそこ大きいとはいえ草食性であり、なおかつ動きが遅く性質もおとなしいので危険古生物には指定されていない。したがって、危険古生物対策課である俺達にとっては管轄外の動物である。  よく見ると既にほとんど骨しか残っていなかったが、腐臭はしない。恐らく死んでからそれほど長くは経っていないのだろう。肉があまり残っていないのは腐敗によるものではなく、単に喰われたからに違いない。  死体の周囲には、薄茶色の体にシマヘビのような黒のストライプがはしる動物が五頭集まっていた。脚と口先以外の全身に羽毛が生えており、腕にも小さな翼のように羽がついたその姿は、ぱっと見では地面に降り立った大型の鳥のように見えないこともない。しかし古生物に慣れた俺には、それらが何であるかすぐに分かった。子供の頃この森林公園に来た時にも、見かけた奴らだ。    ヴェロキラプトル・モンゴリエンシス。    全長は二メートルほど。そう聞いて身長二メートルの人間と同程度のサイズを想像していると、実物を見た時には拍子抜けするほど小さく感じる。ティラノサウルスと同じく全長の半分近くを長い尾が占める上に、ティラノサウルスと比べると体格もほっそりとしているのだ。確か、体重は二十キログラムを切るはずである。  もっとも、小さく見えるというのはこれが恐竜だという先入観を持って見るからであって、この体格の鷹なり烏なりがいたとしたら、かなり大きいと感じるに違いない。  ちなみに、グリプトドンと同じくこいつらも危険古生物の指定は受けていないため、うちの課の管轄外である。 「タグの反応からだいたい予想できてたが、本当に古生物だらけだな、この森は」  班長がしっ、しっ、と追い払うと、ヴェロキラプトル達はキュロロロロ、と甲高い声で抗議しつつも、食事を中断して去って行った。 「最近のヴェロキラプトルは、野良の奴でもすっかり人間を舐めるようになったな。昔は人間の姿を見ただけで逃げ出したものなんだが。一般古生物管理課の連中の捕獲作業が滞ってるから警戒心が薄いんだろうな、まったく」  本来なら白亜紀後期の生物であることを考えると、『最近のヴェロキラプトル』という言葉はなかなか趣き深いものがある。  俺達は、肉がもうほとんど残されていないグリプトドンの死体に歩み寄った。  俺についてきたパックを目にして、班長の顔が一瞬強張る。しかし、さすがに今は言い争いをしている場合ではないと判断したのだろう。少し距離をとっただけで、文句を言ってくることはなかった。  実際、フィールドではこいつが傍にいた方が安全なのだ。耳も鼻も人間より良いので、何かが近づいてきたら真っ先に気づいてくれる。 「さっきのヴェロキラプトル達が殺った……ってことはないよな?」 「まさか」  俺は班長の言葉を即座に否定する。 「さっきの五頭が協力して襲いかかれば、グリプトドンの一頭くらい何とかなりそうな気もするが」 「あいつらにそんな狩りをする性質があれば、とっくに危険古生物に指定されてるでしょうし、今不用意に近づいた俺達だって無事じゃ済みませんでしたよ」 「まあ、そりゃそうだな」  こうは言っているが、班長とて本気でヴェロキラプトルの仕業と考えているわけではないだろう。そうでなければ、ろくに武器も構えずヴェロキラプトル達を追い払おうなどとしたりはしない。今の第一班で古生物に一番詳しいのは俺なので、単に念のため確認しただけといったところか。 「RRE法で本物のヴェロキラプトルが復活させられる前に作られた映画なんかだと、ヴェロキラプトルはたいてい狼みたいに群れで狩りをする設定だったんだがな」 「あれは、近縁種であるデイノニクスの化石が複数同時に植物食恐竜であるテノントサウルスの化石と見つかったことからついたイメージに過ぎませんからね。虎とライオンは雑種が生まれるほど近い動物ですが、虎は単独生活なのに対しライオンは群れで狩りをする動物です。デイノニクスが群れで狩りをしていたからって、ヴェロキラプトルもそうだとは限らないでしょう。そもそも、そのデイノニクスにしたって、本当に群れでテノントサウルスを襲っていたのか、それともハゲワシとか今のあいつらみたいに死体に集まってきていただけなのかも分からないですし」  RRE法によって復活したヴェロキラプトルの狩りのスタイルは、狼というよりは狐やジャッカルに近かった。基本的に単独生活で、小動物を獲物とする。 「まあそうは言っても、本当の〝本物〟のヴェロキラプトルがどうだったかは分かりませんけどね。RRE法では、現代の生物と類縁関係が遠いほど、正確な再現が難しくなりますから。ヴェロキラプトルはティラノサウルスと比べればまだ今の鳥類に近い生物ですが、それでもわりとゲノム再現の際の推測が正確である確率は低めだったはずです」 「二メートルしかないティラノサウルスと違って、一応化石通りの姿には見えるがな」 「しかしそれでも性質まできちんと再現できているとは限らな――」 「ハルツキ、ちょっとこれを見てみろ」  しゃがみ込んでグリプトドンの死体を観察していた班長は、俺の言葉を途中で遮ると、ある一点を指差した。 「甲羅の一部が噛み砕かれている」 「となると、やっぱりヴェロキラプトルじゃないですね。噛む力が相当強いやつの仕業です。にしても、こいつの甲羅を噛み砕くって並大抵のやつにできることじゃありませんよ」  これまで何度となく修羅場を潜り抜けてきた俺も、さすがに掌に汗が滲んできた。  相手の種類が分からないというのが、なおさら不安を煽る。未知は恐怖を生むのだ。どれほど強力な生物であっても、生物にはそれぞれ性質というものがある。それを把握しておけば、備えておきやすい。  たとえば噛む力が十万ニュートンを超えるデイノスクスであれば、グリプトドンの甲羅だって噛み砕けるかもしれない。しかしその一方で、水辺に近づかない限りはそれほど心配する必要もない。その巨体故に、滅多なことがない限り、浮力が体を支えてくれる水中を出たがらないのだ。だから、こんな道の真ん中で突然襲われるような危険性はほとんど無いと言って良い。  今回の場合、ヤギの死体もグリプトドンの死体も水辺から離れたところで見つかっている。それを踏まえると、あの巨大ワニの仕業とは考えづらい。  班長が、すっくと立ち上がった。 「よし、このあたりに罠を仕掛けよう」  妥当な判断だろう。危険な生物であればあるほど、銃火器で直接対峙するよりも罠を張る方が望ましい。  相手が町に突入して暴れまわっている場合などはそうも言っていられず、こちらから積極的に攻撃を仕掛けることになるが、今回はヤギの死体が見つかった時点でこのあたり一帯を封鎖している。罠にかかるまでじっくり待ち構えるだけの余裕はあるだろう。
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