第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 線路上の障害物をどけなくてはライナーを再発車させられないが、どけようとすれば狙撃される。その状況なら、まずは狙撃手を排除しようと考えるのが自然だ。    恐らく、こちらを見つけ出して排除するために何頭か送り込んでくるだろう。センザンコウ型の装甲でも防御できないと既に相手が知っている以上、送り込んでくるのは回避能力が高いヒョウ型といったところか。  動きが速いヒョウ型に複数のドアから同時に飛び出してこられたら、全てを撃つことはまず不可能だ。    そう簡単に狙撃ポイントを割り出されたりはしないだろうが、敵が手分けしてこちらを探そうとしてきた場合、一頭くらいはこの建物に迫ってくるということもあり得る。その場合、屋上を離れてどこかの部屋に身を潜めた方が良いだろう。    鼻先が突き出ていない平面的な顔立ちをしている点や元が人間であるという点から考えると、フトゥロスは嗅覚よりも視覚に頼る生物と見て間違いない。ならば、臭いをたどって隠れている獲物を探し出すのはそれほど得意ではないはずだ。    だが、それでも見つかってしまう可能性はゼロではない。もし見つかったら、仲間を呼ばれる前に仕留める必要がある。そこで手間取って仲間を呼ばれたりしたら、パックと俺だけではかなり厳しい戦いを強いられることになる。  いや、かなり厳しいどころか、率直に言えばたぶん死ぬ。班長が早く増援をよこしてくれることを祈るばかりだ。  ところが、次にフトゥロスがとったのは予想もしなかった行動だった。一頭のセンザンコウ型が車両内から腕を伸ばすと、先ほど俺が撃った別のセンザンコウ型の死骸を引き上げたのだ。  何をするつもりなのかと思って見ていると、そのセンザンコウ型は引き上げた仲間の死骸をこちらに向けて構えた姿勢で車両から出てきた。    対物ライフルで銃弾を撃ち込むが、仲間の死骸を盾代わりにしたセンザンコウ型の歩みは止まらない。死んだセンザンコウ型の装甲と分厚い肉を貫通する際に速度が落ちた銃弾では、その向こうにある生きたセンザンコウ型の装甲を突き破るだけの威力を出せないのだ。    これまでの狙撃で、銃弾が飛んでくるだいたいの方角が掴めているのだろう。盾代わりの死骸は、こちらの狙撃をうまいこと防ぐ向きで掲げられている。  この位置からの狙撃では無理だ。場所を変える必要がある。だが、ここ以外で屋上が施錠されていないビルとなると、一番近いものでも百メートルほど離れている。いったん下まで降りて走り、また屋上に上がっている時間の余裕は無い。    隣のビルに目を向ける。  あのビルは施錠されていて下からは入れないはずだが、屋上の高さはここより少し低いくらいだ。飛び移れないこともないかもしれない。隣のビルに飛び移った後、今いるビルから遠い方の端まで行けば、現在位置とはだいぶ違う角度から狙撃できる。    問題は、飛び移るのに失敗すれば地面に叩きつけられて一巻の終わりというところである。  仕事がら体は鍛えているのでこの程度の距離なら飛び移れるとは思うのだが、それは身軽だった場合の話だ。飛び移った先でセンザンコウ型を狙撃するためには対物ライフルも持って行く必要があるのだが、これはかなり重い。正直言って、これを持った状態でも飛び移れるという自信は無かった。    俺は隣にいるパックを見遣った。これまですることが無かったためか、だらだらと寝そべっている。   「起きろ、パック。出番だぞ!」    立ち上がったパックに、携帯していたロープの一端をくわえさせる。古生物の捕縛用に使っているもので、強度はお墨付きのはずだ。    あまりこういう曲芸みたいな真似はしたくなかったのだが、背に腹はかえられない。  パックに指示を出すと、ロープをくわえたまま軽々と隣のビルに飛び移った。人間には覚悟が必要でも、ダイアウルフにとってはなんてことのない距離なのだ。    そのままパックに隣のビルの屋上に設置された給水塔の周囲を一周させ、それからまたこちらのビルに戻って来させる。そして受け取ったロープを自分の体に結びつけた。ロープのもう一方の端は、こちらのビルの鉄柵に結びつけてある。  これなら飛び移ろうとした時に飛距離が足りなくても地面までは落ちないし、ロープをよじ登って隣のビルに上がることもできる。  命綱というわけだ。    対物ライフルを背負い、屋上の端に立つ。うっかり下を見てしまい、そのことを死ぬほど後悔した。  これで落ちて死んだら間抜けすぎるな、それならフトゥロスに突撃していって死んだ方がまだ格好がつくくらいだ――などと考えてしまうが、迷っている余裕は無い。  跳ぶ。    次の瞬間、俺の体重は固い床面に支えられていた。  飛び移れた。  これが火事場の馬鹿力というやつか。    しかし今は、感嘆している暇は無い。体に結びつけたロープをほどくと、屋上を反対側の端まで走る。  幸いにして、センザンコウ型はまだ障害物を線路上からどかせていなかった。本来は四足歩行であるにも関わらず、自分と同じくらいの重さがある盾を片腕で掲げた状態で歩くという無理をしたため、移動に時間がかかったのだろう。    端までたどり着くとその場に伏せ、狙いをつける。センザンコウ型は、盾を先ほどと同じ方角に向けていた。つまり今俺がいるこの位置からなら、盾に邪魔されず撃てるということだ。  引き金を引く。  センザンコウ型は、あっけなく倒れた。    これでフトゥロス達も、先ほどまで以上に慎重にならざるを得ないはず。そう思った矢先、またしてもセンザンコウ型が出てきた。  なんだ、こいつ。学習していないのか?  訝しく思いながらもスコープを覗いた俺は、慌てて引き金から指を離した。  センザンコウ型は、一頭だけではなかった。その背には、ヒョウ型が一頭乗っている。そしてそのヒョウ型は、こちらに見せつけようとするかのように一人の子供を掲げていた。髪や肌の色から考えて、ネアンデルタール人の子供だ。  センザンコウ型は、ライナーの進路を塞いでいる車に向かって悠々と歩を進める。  大柄なセンザンコウ型の背は、掲げられている子供と比べて圧倒的に広い。射撃の腕前に自信があれば、子供を避けてセンザンコウ型だけを狙い撃つこともできるだろう。  だが俺には、そこまでの自信は無かった。  しかもセンザンコウ型の背に乗ったヒョウ型は、掲げた子供をゆらゆらと前後左右に揺り動かしている。そのせいで、子供を避けて撃つことがなおさら難しくなっているのだ。  人間の子供には、対物ライフルの銃弾を食い止めるような頑丈さは無い。それでもこれはセンザンコウ型の死骸と同様に……いや、それ以上に厄介な肉の盾だった。  俺は自分の迂闊さを呪った。    思えば、最初に脱走した五頭のうちの一頭が捕まえた人間を人質のように使っていたという話を俺は班長から聞いていたのだ。それなら、相手がこういう手に出てきた場合のことも予め考えておくべきだった。    深呼吸をし、少しでも気を落ち着けようと試みる。    そうだ、落ち着け。  優先順位を考えろ。    もしフトゥロス達が本土に渡ってしまったら、俺達は今回の事態を収束させられなかったということになり、新六甲島はこのまま海に沈むことになる。そしてその場合に出る犠牲は、一人や二人では済まない。  となれば、子供の一人など気にかけずフトゥロスを撃ち、奴らの島外脱出を阻むのが合理的な選択と言える。    ブラフだったとはいえ、ついさっき輪読会の連中相手に、人の道を外れて突き進む覚悟が無いならその役を俺達に譲れと啖呵を切ったばかりだ。それなのに、俺自身には子供の一人を犠牲にする覚悟すら無いというのか?    俺はもう一度引き金に指をかけた。
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