第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 スコープを覗き、センザンコウ型に狙いをつける。センザンコウ型の背に乗ったヒョウ型は、ひとまず後回しで良いだろう。軽量のヒョウ型はどのみち、車を線路からどかす作業には不向きだ。    対物ライフルを構える掌に、汗が滲んだ。    うまくいけば、人質の子供に当てることなくセンザンコウ型だけを仕留められる。  失敗して人質ごと撃ってしまったとしても、犠牲はたかだか一人だ。フトゥロスを本土に脱走させてしまい、島が沈んだ場合に出る犠牲の数を考えればなんてことはない。    ……。  …………いや、駄目だ。    俺は引き金から指を外した。    これは一見合理的な選択のようで、長期的に見れば合理的とは言えない。  サピエンスである俺がネアンデルタール人の子供を巻き添えや見殺しにした場合、たとえ今回の新六甲島沈没は回避できたとしても、ネアンデルタール人の中にはサピエンスに対する不信感が残る。    やはりサピエンスは冷酷で危険な生物だ。我々と同じネアンデルタール人の、それもいたいけな子供を平気で犠牲にできたのがその証拠だ――そんな風に危険視され、それがきっと後々の禍根となる。  つまり、あの子供を救出に行くのがこの場における合理的選択ということになる。   「ああ、もう! 無茶をするつもりはないって班長に言ったのに!」    俺は伏射の姿勢から体を起こすと、周囲を見まわした。  目当てのものは、すぐに見つかった。建物の外側に取り付けられた避難階段へと続く扉だ。こういう扉はたいていの場合、内側からなら鍵を開けられるようになっている。    避難階段に向けて走り出す前に、先ほどまで使っていた対物ライフルをどうしようかと考える。  一瞬迷ったが、そのまま残しておくことに決めた。対物ライフルは威力が高い分、反動も強い。立って手に持った状態でまともに使えるようなものではないが、こちらから攻め込むとなれば、銃を固定したり伏射の姿勢をとったりする余裕を向こうは与えてはくれないだろう。  代わりに、背中にくくり付けていたアサルトライフルを外して手に持った。   「悪いな、パック。お前にも無茶をさせる」    そう声をかけると、意味が分かっているのかいないのか、パックは元気良く一声鳴いて返事した。    ビルの屋上から避難階段を駆け下り、線路内に入るべく踏切を目指して走る。  こうして走ってみると、思いのほか遠い。それとも、焦りがそう感じさせているだけか。    ようやく踏切から線路内に入ると、あろうことか線路上に停めた車は既にどかされており、一仕事終えたフトゥロス達が先頭車両に乗り込んでいるところだった。どうやら、こちらが撃ってこないのを悟って、総出で車をどかしたらしい。    先ほどの子供を人質にとっていた個体の姿は、既に車両の外には見当たらなかった。    これは、まずいな。    焦りが増す。  障害物となっていた車をどかされてしまった以上、連中はすぐにでもライナーを発車させるだろう。    一番近い最後尾車両の後部ドアを目指して走る。目指す車両内には案の定、フトゥロスの姿があった。そこへアサルトライフルを乱射する。  銃弾がライナーの窓ガラスを砕き、車体に穴を穿った。後部ドア付近にいたフトゥロス達が慌てて車両の前方へと逃れるのが見えた。    目の前で、ライナーの後部ドアが閉まり始める。舌打ちして、銃身を前へと突き出した。閉じかけたドアが銃身を挟み、それを検知して再度開く。  ドアの開閉が妨げられた際に自動で流れるようになっているのであろう「駆け込み乗車はおやめください」という電子音声が流れたが、当然のように無視して再び開いたドアから車両内へと飛び込んだ。  すぐにパックが後へと続き、その直後、ドアは今度こそ完全に閉じた。    俺達が飛び込んだ車両内にいたのは、クマ型、センザンコウ型がそれぞれ一頭ずつと、ヒョウ型が二頭のようだった。そのうちクマ型は、俺にとっては幸運なことに先ほどアサルトライフルを乱射した際の弾が偶然にも急所に当たったらしく、車両後部に倒れていた。  車両前方へと無事に逃れていた残り三頭のうち、ヒョウ型二頭がこちらに向かって突進してくる。    直後、既に動き始めていたライナーが、いっきに加速した。一頭がそれに対応できず、バランスを崩して倒れる。そこをすかさず仕留めた。しかしその隙に、もう一頭に距離を縮められてしまう。    ヒョウ型は既にすぐそこまで迫っていたが、そこへパックが飛びかかった。  クマ型やセンザンコウ型ならともかく、ヒョウ型相手ならパックの方が体格は上だ。しかしその分身軽さで勝るヒョウ型は、ジャンプでなんなくパックの攻撃を避けた。  ところが、ヒョウ型はそのままの勢いで天井に激突してしまった。その隙を突いて、銃弾を叩き込む。    急加速する車両、低い天井――そうした人為的環境での戦いに、どうやらこいつらは慣れていないらしい。  俺はサイトBとやらを実際に見たことはないが、こいつらが文明を完全に捨てた世界での生き残りを目的として作り出された以上、その飼育環境もまた文明無き自然の世界を模したものだったのだろう。それが、今回は俺達に有利に働いた。    ヒョウ型二頭が倒れた時には、最後に残ったセンザンコウ型もこちらへと向かってきていた。  対物ライフルを置いてきてしまった今、俺の手元にはセンザンコウ型の装甲を貫けるような武器は無い。だがこの距離なら、必ずしも装甲を貫かなくとも良いのだ。    俺はセンザンコウ型の顔面に狙いを定め、銃弾を放った。  装甲を持つ動物でも、たいていはどこかに弱点がある。フトゥロスのセンザンコウ型においては、顔面がその一つだった。ヒトの一種であり、なおかつ群れで行動する生物でもある以上、表情でコミュニケーションをとる必要があるためだろう。    脳天に穴を穿たれたセンザンコウ型の巨体が床に倒れ、車両を揺らす。  これで、元からこの車両内にいたフトゥロスは全て倒した。だがすぐに、異変を察知して前方車両から残りの奴らがやって来るだろう。  そう思った時には、もう来ていた。  現われたのはヒョウ型だ。だが今度は、闇雲に撃つわけにはいかなかった。なぜなら後脚で立ち上がったそのヒョウ型は、片方の手でネアンデルタール人の子供を掲げていたからだ。  しかも驚いたことに、俺は怯えて涙を流すその子供の顔に見覚えがあった。地下空間でケツァルコアトルスと戦った時に出会った、第ゼロ班班長の娘だ。確か、ミキとかいう名前だったか。    肉の盾に使われているのが短い時間とはいえ言葉を交わした相手となると、なおさら撃てない。だが何度も同じ手が通用すると思っているのなら、このヒョウ型は俺達を舐めすぎている。  俺は、アサルトライフルを構えてヒョウ型の注意をこちらに向けつつ、パックに指示を出した。   「パック、そいつを仕留めろ!」    パックが猛然と突進する。  ヒョウ型はスピード特化のため体を軽量化しているが、その分、子供とはいえ人間を抱えているとその重量の影響が大きい。通常ならパックより素早く動けるが、人質を確保したままではそれも不可能だ。    ヒョウ型が肉の盾を構えたままなら、パックがそれを避けてヒョウ型を直接攻撃する。  ヒョウ型がパックの攻撃を避けるために肉の盾を手放したら、そこをすかさず俺が撃つ。これで、ひとまずは人質を救出できる。    問題は、その後どうするかだ。残りのフトゥロス全てに一人で対処するのも、高速で走るライナーから人質を連れて脱出するのも、不可能に思える。せっかく人質を救出しても、結局は人質もろとも自分も殺されて終わるだけかもしれない。  しかしそれでも今は、ひとまず目の前の子供の救出に専念することにした。    ヒョウ型が人質を手放したらすぐ撃てるよう、俺は狙いをつけ続ける。  ヒョウ型の目前にまで迫ったパックが飛びかかる。その刹那、ヒョウ型は予想外の行動をとった。空いている方の手を自らの口の中に突っ込むと、そこから取り出した何かを投げつけてきたのだ。  その形状に、俺は見覚えがあった。    そんな、馬鹿な。  閃光手榴弾だと……?    慌てて目を瞑り、更に腕で光を遮る。しかしカンマ数秒の差で間に合わず、眩い光で視界が真っ白になった。  何も見えない中、パックが悲鳴をあげるのが聞こえた。直後、空気の動きで何ものかの接近を感じる。    軽量のヒョウ型なら、人間の腕力でも殴ればそれ相応のダメージを与えられるはずだ。  咄嗟にそう考え、銃身で殴りかかる。だがその打撃は、硬いなにかに阻まれて止まってしまった。    ざわっと全身の毛が逆立つような感覚が生じ、慌てて後ろへと跳び退く。  その直後、前方から襲ってきた強い衝撃によって俺は後ろに跳ね飛ばされた。その勢いのまま背中から壁に叩きつけられ、肺から空気が押し出される。  直前に後方へと跳んでいたおかげで衝撃の一部を逃がせたが、まともに食らっていたら今頃死んでいたかもしれない。    痛みを堪えて立ち上がろうとした時、何かがその重量で床を震わせて目の前に立つ気配を感じた。
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