第五幕:その古生物に、未来はあるか

13/31
前へ
/97ページ
次へ
 俺は片手に拳銃、もう片方の手にトウガラシスプレーを握ると、車体の陰から立ち上がった。そしてすぐに、トウガラシスプレーを放り投げる。  スプレー缶は放物線を描いて飛び、ティラノサウルスの足もとより少し手前に落ちた。その際のカン、という音が聞こえるか聞こえないかのうちに、俺は拳銃を構えた。そして、連続して引き金を引く。    狙ったのはヒョウ型ではないし、もちろんティラノサウルスでもない。彼らの足もとに落ちたスプレー缶だ。素早く不規則に動きまわるヒョウ型と違い、自発的に動かないスプレー缶くらいなら俺にだって狙い撃てる。  金属音をたて、銃弾はスプレー缶に二、三の孔を穿った。  スプレー缶の内部には、トウガラシの成分であるカプサイシンとともに高圧の気体が詰まっている。そこに孔が空けばどうなるか。  内部に詰められた気体は猛烈な勢いで噴き出し、あたりにカプサイシンを撒き散らす。    実際、少し離れたところにいる俺ですら目が少し痛くなってきた。撒き散らされたカプサイシンが痛覚受容体を刺激しているのだ。  離れている俺ですらそうなのだ。至近距離で浴びせられたヒョウ型達は、ひとたまりもない。苦悶の声をあげ、ある個体は目を抑えながら、別の個体は顔面をかきむしりながら、のたうち回っている。  カプサイシンが眼球や鼻、気道などの粘膜、それに皮膚にも付着し、激しい苦痛を呼び起こしているのだ。  ヒョウ型に向けて直接噴射されたわけではないとはいえ、本来であれば何回にも分けて使うものであるスプレー缶の中身をいっぺんに噴出させたのだ。彼らの味わっている苦痛は並大抵のものではないだろう。  だが、ティラノサウルスはこの苦痛を感じない。なぜなら、カプサイシンは哺乳類の痛覚受容体を刺激する一方で、鳥類や恐竜の痛覚受容体には作用しないからだ。その証拠に、苦痛にあえぐヒョウ型達をよそに、ティラノサウルスは平然としている。  そして、先ほどまで己を翻弄していた敵に突如生まれた隙を、ティラノサウルスは見逃さなかった。執拗に脚の傷口を抉られた怒りもあってか、のたうち回るヒョウ型の一頭を踏み砕き、別の一頭をくわえ上げるとそのまま一呑みにした。残りのヒョウ型達も次々と丸呑みにされていく。  ここまではうまくいったが、問題はここからだ。  今の行動で、俺の居場所がフトゥロス達にバレた。俺が再度トウガラシスプレーを投げ込んでくるのを防ぐため、次はティラノサウルスだけでなく俺の方にも戦力を振り分けてくるだろう。    しかし意外なことに、少し離れた所で様子をうかがっていた残りのフトゥロス達はなかなか動こうとしなかった。ミキを中心にして、何やら話し合っている様子だ。  いくらミキがこちらの社会に潜入していたといっても、カプサイシンが哺乳類には効いて恐竜には無効なんて話は知らないだろう。フトゥロスにしてみれば自分達の仲間にだけ効果を発揮した謎の攻撃の有効範囲が分からないため、下手に突っ込むと既にやられた仲間達の二の舞になるのではないかという懸念があり、そのため動くに動けないのかもしれない。    トウガラシスプレーを浴びせられたヒョウ型を全て喰らい尽くしたところで、ティラノサウルスは残りのフトゥロス達にも目を向けた。こうなると、フトゥロス側も何らかの動きを見せないわけにはいかないだろう。ここからが第二ラウンドだ。  俺の予想では、フトゥロスはティラノサウルスに対しては先ほどと同様にヒョウ型のみで挑み、残りのクマ型二頭とセンザンコウ型三頭をこちらにぶつけてくる。少なくとも、俺が相手の立場ならそうする。  一対五はかなり厳しい。特にセンザンコウ型は、装甲の無い部分に当てない限り拳銃では傷一つつけられないだろう。  ところが、フトゥロス達は予想外の行動をとった。  ヒョウ型の一頭がミキをくわえ上げて線路内侵入防止壁の上に飛び上がると、そのまま壁の向こう側へと消えたのだ。ヒョウ型の残り五頭も、次々とその後に続く。  残されたクマ型二頭とセンザンコウ型三頭は、線路を逆走して逃げ始めた。その背をティラノサウルスが追う。クマ型の速度はティラノサウルスを上回っているようだが、体が重く足が遅いセンザンコウ型は、俺の見ている前で追いつかれては背後からくわえ上げられていった。  どうやら、クマ型とセンザンコウ型を切り捨ててでも、確実に逃げられるヒョウ型だけは逃がすことにしたらしい。  それにしても不可解だった。フトゥロス達にとって、戦況はまだそこまで悪くなかったはずだ。  残るフトゥロスは、戦力になりそうにないミキを除けば十一頭。当初の半分以下にまで減ったとはいえ、俺とティラノサウルス一頭を相手にするだけなら、まだ十分に勝算はあったはずだ。少なくとも、クマ型とセンザンコウ型を切り捨てなければならないほど追い詰められてはいなかった。  しかしその疑問については、それほど考える必要は無かった。さほど間をおかずして、答えの方からやってきたのだ。  ティラノサウルスがクマ型達を追いかけていったのとは逆方向、俺達が乗ってきたライナーの向かっていた先には、線路左側の壁が壊されている部分がある。恐らく、ティラノサウルスが線路内に侵入する際に破壊したのだろう。  そこから、次々と警備部門の車両が線路内に乗り込んできたのだ。  先頭の一台が、横たわるライナーの車体の手前で急停止する。運転席から飛び出してきた馴染みのあるシルエットが、声を張り上げた。 「ハルツキ、無事か!?」  普賢コントロールルームの上で別れてからそう大して時間は経っていないはずなのに、その声はどこか懐かしく感じられた。
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加