第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 班長と話し込んでいたため、俺が橋のたもとに到着した時には、既に警備部門により防衛線は築かれていた。 「先ほど指示された通り、土嚢を積んでバリケードを五列設置しておきましたが、こんなもので本当に食い止められるのでしょうか? 人間ならまだしも、ヒョウ型のチャレンジャーなら簡単に跳び越えられるのでは?」 「跳び越えること自体は可能でしょうね。バリケードはそれ単独でヒョウ型を食い止めるためのものではなく、連中の動きを制限するためのものと考えて下さい。横列を作って一斉射撃するとはいえ、最高時速で突っ込んでくるヒョウ型に銃弾を命中させることは難しい。下手をすると、そのまま突破される危険性もあります。しかしバリケードをいちいち跳び越えなければならないとなると、ヒョウ型も最高時速で走り続けることはできません。着地の瞬間はどうしてもスピードが鈍りますからね。それに、いったん跳び上がったら着地するまでは空中で移動方向を変えることはできませんから、向こうからすると銃弾を避けづらくなるはずです」  クマ型やセンザンコウ型がいれば、それらが自らの身を犠牲にしてでもバリケードを力づくで突破し、そうして防衛線に空いた穴をヒョウ型が全速で駆け抜けるといった手も使えたかもしれない。  だがヒョウ型のみになった今、フトゥロス達にはとれる戦法も限られてくる。  土嚢を積んだのには、もう一つ意味があった。  万が一、ベルンシュタインがこちらを襲撃してきた場合、その陰に隠れて盾とするためだ。  タグで位置情報が追跡できるフトゥロスと違い、ベルンシュタインはいつどこから現れるか分からないから、不意討ちを受けた場合に最初の何人かがやられてしまうのは避けられないかもしれない。それでも、銃撃を避けるための遮蔽物があるのと無いのとでは、戦いやすさは大きく違ってくる。  ユーレイ社長の話では、この島にはバズーカ砲や機関銃のような多人数をいっぺんに殺傷できる類の兵器は置かれていないという。そうした兵器を俺達サピエンスに奪われ、自分達に向けて使用されることを輪読会が怖れたからだが、理由はどうあれ島自体に無いのであればベルンシュタインにそうしたものを使われる心配も無い。  ならば最初の不意討ちさえ凌げば、人数差で圧倒できるはずだ。    その人数差による不利を覆すためにベルンシュタインが気化麻酔剤を使ってきた場合に備え、全員にガスマスクも装着させておいた。  もっとも、これは神経質すぎる対応だったかもしれないと自分でも思う。ここは最初にヒョウ型と戦ったビルのような密閉空間とは違う。こんな吹きさらしの屋外で使ったところで、ランチャーで撃ち込めるサイズの気化麻酔弾では有効な濃度が得られないだろう。    気化麻酔剤にはランチャーで撃ち込むタイプ以外に大容量の設置式タイプもあるが、それでも十分な量が周囲に拡散するには時間がかかる。仮にベルンシュタインがそれを使ったとして、空気中の麻酔剤濃度が有効域に達するよりも、ベルンシュタインに銃弾が届く方がずっと早いだろう。俺だったら、そんなハイリスクな手は使わない。  先ほど俺がヒョウ型に対してやったようにトウガラシスプレーの中身を噴出させるというのも、有効範囲の狭さを考えると現実的とは言えない。    ベルンシュタイン側に、戦力差を覆してフトゥロスを逃がす有効な手立てがあるとは思えなかった。  だが――そうは思いつつも、どうにも不安が拭いきれない。  何かを見落としているような気がしてならないのだ。  ここにツツジがいれば、戦力的にはだいぶ頼りになったのだが、間の悪いことに、班長がメインコントロールルーム奪還のための戦力を集めに行った時には、既に再度地下廃墟に入っていってしまった後だったらしい。  なんでも、最初に地下に潜った際、ヒョウ型を取り逃がしてしまったのが相当悔しかったと言っていたとか。そのヒョウ型は既にどこかから地上に出て、後から脱走してきた仲間と合流してしまっているのだから、ツツジが地下の捜索を続けているのは全くの無意味である。こちらに呼び出したいところだが、地下に入られているのでは電波も届かない。  いない人間のことを考えても、詮無いことではあるのだけれど。 「追跡班がヒョウ型一頭の射殺に成功。しかし残り五頭は、間もなくここに到着します!」  警備部門の現場指揮官の声に、俺は我に返る。  マップの表示を見ると、確かにヒョウ型のうち五頭がもうすぐそこまで迫ってきていた。    この一連の騒動も、もうすぐ決着がつく。  俺は、ヒョウ型達が現れるであろう方向をぐっと睨みつけた。  右方向からシューッと奇妙な音が聞こえてきたのは、その時だった。  この音、まさか。    慌てて、そちらへと目を向ける。そこには、ガスマスクを装着した男がいた。その足もとに置かれた装置に、俺は見覚えがあった。それに、男の体型にも。  警備部門の制服を身に纏ってはいるが、間違いない。アルベルト・ベルンシュタインだ。  全員にガスマスクを装着させていたせいで、それぞれの顔が分かりづらくなっていたのが仇になった。いったい、いつから紛れ込んでいた? 「――動しろ」  ベルンシュタインが、ぼそぼそと何かを呟く。  なんだ? 何を言っている? いや、何を言っていようが構うものか。ベルンシュタインの足もとで音を立てているあれは、設置式の気化麻酔剤拡散装置だ。あんなものを稼働させている以上、あちらが戦うつもりでこの場に立っているのは明白だ。 「スタンバレット班、あの男を撃ってください! あいつはベルンシュタインです。残りはヒョウ型への警戒を続けて! ベルンシュタインは囮かもしれない」  こちらはスタンバレット班だけでも二十人いる。いくら第ゼロ班班長のベルンシュタインといえど、二十人がかりで撃てば全てを避けることなどできないはずだ。    だが、銃声は一発として聞こえてこなかった。それどころか、俺がかけた号令の後半は、響き渡る絶叫にかき消された。  警備部門の者達が全員、銃を取り落とし、目をこれでもかというほど見開いて声を枯らさんばかりに叫んでいるのだ。    なんだ、これは。何が起こっている?    混乱しながらも、俺の耳は絶叫に入り混じった異音を捉えていた。  ガラスをひっかいたような不快感のある、この音。これは、地下廃墟で第ゼロ班の男がコードF-Fとかいうやつを発動した時のあれだ。ただ、あの時よりは音量がだいぶ小さい。  そこで俺は、ハッと気がついた。    これは、音自体が小さいんじゃない。俺自身の情報端末からは音が発せられておらず、他の人間の端末から音漏れしている分だけが聞こえてきているせいで小さく思えるだけだ。  俺が今使っている違法端末は、第ゼロ班の専用端末と同等の権限が与えられている。少なくとも、イエナオさんはそう言っていた。それが、俺だけが無事な理由か。  大音量の異音を聞かされている者達に、音源となっている端末を外すよう言ったところで聞こえはしないだろう。  こうなったら、俺が自分でベルンシュタインを撃つしかない。俺のアサルトライフルに装填されているのは実弾だ。当たり所が悪ければ、人殺しになる。それでも、手を抜けるような相手じゃない。  第一、フトゥロスも含めれば、俺は既にさんざんヒトを殺しているじゃないか。  躊躇いを振り捨て、ベルンシュタインに向けて銃を構える。  そこで体から力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。  これは……気化麻酔剤の効果だ。  それに気づき、慌てて息を止める。これ以上吸ってしまったら、意識までもっていかれてしまう。  しかし何故だ。俺はちゃんと、ガスマスクをしているのに。  マスクに細工をされた? いや、そんなはずはない。ビルでヒョウ型と戦った時に使ってから、俺はずっと自分のマスクを携帯していた。細工する隙なんて無かったはずだし、この場にいる全員のマスクに細工するというのは非現実的だ。    そうなると、考えられる可能性は一つしかない。麻酔剤の成分自体が、俺達が使っているものとは違うのだ。    反則だろう、そんなの――一瞬そう考え、すぐに思い直す。    そうじゃない。俺が迂闊だったのだ。    ベルンシュタインは第ゼロ班の班長。そして第ゼロ班は、俺達サピエンスが反逆してきた場合に対処する部隊だ。俺達に支給されているガスマスクでは防げない種類の麻酔剤を持っていたとしてもおかしくはない。そのくらいの可能性は、検討しておくべきだった。      警備部門の者達は、見る見るうちに全員が昏倒してしまった。大音量の異音を耳元で聞かされる苦痛のせいで、気化麻酔剤を防ごうと考えることすらできなかったのだろう。  唐突に、情報端末に動画が表示される。どうやら、ライブ映像のようだ。そこには、今まさに倒れている俺達の姿が映されている。  撮影者の最も近くに倒れている一人に、銃口が突きつけられていた。 「これが見えているか、カウフマンの娘、それから警備部門の者達。見えているなら、全員おとなしく本社まで撤退しろ。おかしな動きを見せる者があれば、ここに倒れているお前達の仲間を一人ずつ殺していく」    ベルンシュタインが冷たく言い放つ声が、直と端末越しの二重奏となって聞こえてきた。
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