第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 人語を喋るヒョウ型はカイセイが動かなくなったのを確認した後、倒れている三頭の仲間達を順に見て回った。しかしその様子を見るに、どうやら三頭全てが既に息絶えていたらしい。 「残り少ない仲間をこんなかたちで三人も失ってしまうとは、さすがに予想外でしたね……」  嘆息してそう呟くヒョウ型の姿はどこか疲れたようにも見えて、そこには奇妙なほどの人間らしさがあった。 「しかし、さすがにもう邪魔立てする者は現れないでしょう。今度こそ、私達は行かせてもらいますよ」  そう言ってもう一頭を促すと、橋へと向かう。 「待て、娘を解放する約束だぞ」  ベルンシュタインのその言葉に、ヒョウ型は振り返って答えた。 「その約束なら、もう果たしましたよ」  いつの間にか姿を現していたミキが「お父さん!」と泣きながらベルンシュタインにすがりつく。 「大丈夫だ、ミキ。もう大丈夫。よく頑張ったな」  ベルンシュタインは駆け寄ってきた娘の頭を優しく撫でた。  これを見る者は、感動的な親子の再会シーンだと思うに違いない。この少女の正体を知らなければ、の話だが。 「では、私達はこれで。あなたも、ここが沈む前にさっさと御自分のポッドに避難するなりなんなりした方が良いですよ」  ヒョウ型はそう告げると、くるりと背を向け、立ち去ろうとする。  だがベルンシュタインは、そんなヒョウ型を再度呼び止めた。 「待て」   「まだ何か?」  振り向きざまにそう問いかけたヒョウ型に向け、ベルンシュタインは一瞬で銃を構えた。その動きには一切の無駄が無く、さすが第ゼロ班班長と思わせるものだった。表情もまた、冷徹なる第ゼロ班班長のものへと様変わりしている。つい先ほど見せた娘の無事を喜ぶ父親の面影は、もはやどこにも見当たらない。   「当初の予定とはだいぶ違ってしまったが、このままサピエンスどもが島ごと沈めば私の目的は達成される。たとえ私自身は輪読会に処刑されようとも、サピエンスに滅ぼされる怖れの無い未来へと子供達を送り出すことができるのだから。……だが、その未来にお前達の居場所は無い」 「私達は約束した通りにその子を解放したというのに、あなたは約束を破るのですか?」  ヒョウ型の声音には、どこか残念そうな響きが含まれているように聞こえた。 「約束とは、人間同士の間で果たすべきものだ。害獣との間ではなく、な。ましてや、獣の分際で私の娘に手を出した貴様らを許すわけには――ぐっ!?」  今まさに引き金を引こうとしていたベルンシュタインの口から、血が溢れ出た。ベルンシュタインは銃を取り落とし、がくりと膝をつく。服の腹の部分が真っ赤に染まり、布地が吸収しきれなかった血がぼたぼたと地面に滴り落ちて血溜まりをつくった。    そして、ミキが手に持ったナイフからもまた、ぽたりぽたりと血が滴り落ちていた。  小柄な少女には似つかわしくない、大ぶりのナイフ。俺はそれに見覚えがあった。地下空間で、ミキがイエナオさんから受け取ったものだ。 「ミ、ミキ……?」  何が起こったのか理解できない様子で、ベルンシュタインは娘に問いかける。そんな父親を見下ろす少女の表情は、陰になってここからでは窺い知ることができなかった。 「お父さん……言わなきゃいけないことがあるって私が言ったの、覚えてる? その言わなきゃいけないことっていうのはね、私が本当は、お父さんが害獣って呼んでるあっちの人達の仲間だってこと。十年前のあの日、お父さんが私の本当のお母さんを殺した日から、ずっとあなた達の同族のふりをしてきたんだよ。でも、それも今日でおしまい。私達は今日、未来を手に入れる。だから、お父さんはもう用済みなの」  ベルンシュタインは膝をついた姿勢のまま、呆然とその言葉を聞いている。そんな風になってしまうのも無理は無い。ミキと出会うのが二回目の俺ですら、にわかには信じられなかったのだ。娘として長年にわたり育ててきたとあっては、尚更だろう。   ベルンシュタインは何か言おうとするかのように口を開きかけたが、そのまま言葉を発することなく地に倒れ伏した。ミキはそんな養父を一瞥すると、先で待つ二頭のヒョウ型のもとへと向かう。 「じゃあ行こうか、。足は大丈夫?」  少し先で待っていたヒョウ型に追いつくと、ミキは人語を喋る方の個体にそう声をかける。 「歩くくらいなら問題無いさ。それより、ミキの方こそ大丈夫かい?」 「大丈夫って、何が? 私はただ、要らなくなった道具を処分しただけだよ?」  ミキはそう答えると、兄と呼んだヒョウ型を待たず、もう一頭のヒョウ型とともに橋を渡り始めた。  人語を喋るヒョウ型も、それに続こうとする。しかし去り際に立ち止まると、血溜まりの中に倒れ伏したベルンシュタインの方を振り返った。 「『害獣』に『道具』……私達はお互いに、相手を人とは見ていなかった。しかし妹をここまで育ててくれたことについては、私は本心から感謝しています」    もはや聞こえているのかどうかも定かではないベルンシュタインに向けてそれだけを告げると、ヒョウ型は妹達の後を追って去って行った。
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