第五幕:その古生物に、未来はあるか

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 ヒョウ型とミキの姿が視界から完全に消えるとすぐに、俺は端末に向かって呼びかけた。それができるくらいには、麻酔ガスの効果から回復していたのだ。 「班長……聞こえますか……?」  すぐに応答がある。 「ハルツキ? お前、無事なのか!? ベルンシュタインの奴はどうした?」 「ベルンシュタインのことは……」  どこまで説明したものかと考え、結局「それに関してはもう心配いりません」とだけ口にした。   「それよりも、すぐに応援を、こっちに……早くしないと、フトゥロスが本土に行ってしまいます……!」  まだうまく舌がまわらないながらも、なんとかそれを伝える。 「分かった。すぐ行くから待ってろ!」  班長はこちらを勇気づけようとするかのように力強くそう応えると、通話を切った。  だが、ベルンシュタインの脅迫に従ったのだとすれば、班長達は本社ビルまで退却してしまっているはずだ。そこからこちらに戻ってくるまでの間に、フトゥロス達は本土へと脱出してしまうかもしれない。  そうなったら、新六甲島は全部沈没だ。なんとかフトゥロス達の足を止めなくてはいけない。  俺はぎりぎり動く手足に力を込め、立ち上がろうとする。  腕を地面につき、かろうじて身を起こすことができた……と思ったのも束の間、すぐに腕が体重を支えきれなくなり、再び地面に腹這いの状態へと逆戻りしてしまう。  残るフトゥロスのうち、戦闘能力があるのはヒョウ型二頭のみ。しかも、その片方は手負いだ。油断しているところを背後から狙い撃ちにできればあるいは勝機もあるかもしれない――と思っていたのだが、後を追って狙撃するどころか立ち上がることすらままならない状態だった。  しかしそれでも、先ほどまでよりは少しはマシになっている。もう一度挑戦すれば、今度は立ち上がるところまではいけるかもしれない。 「はは、ベルンシュタインの奴……ざまあないね。結局……自分だって良いように利用されてただけじゃないか」  聞き覚えのある声が、唐突に投げかけられた。視線をそちらに向けると、カイセイが地に体を横たえたままの体勢で、顔をこちらに向けている。 「君もさぁ……何のためにそんな頑張ってるの? 馬鹿みたいに見えるよ?」  カイセイの喋り方は相変わらず皮肉っぽかったが、その声はか細く弱々しい。 「何のために? そんなの、フトゥロスを止めて……それで、この島を沈没から守るために決まってるだろ」 「あー、それ知ってるってことは、君が輪読会の連中が言ってた奴か。でも、だったら、この島が君らにとっちゃ守るべき故郷でもなんでもないただの実験場だってことも、もう知ってるよねぇ?」 「この島が俺達にとって実験場だってことは否定しないよ」  そう答えながら、もう一度腕に力を込める。心なしか舌も先ほどまでより滑らかに動くようになっている気がするし、麻酔の効果は更に弱まっているのではないかと期待した。  しかし結局、先ほどと同様に腕が途中で体重を支えきれなくなり、立ち上がることができず体は地面へと打ちつけられる。 「それでも……それでも俺がこの島で生まれて、育って、生きてきたってことに変わりはない」    母さん、ミナ班長、ツツジ、パック――この島で出会って、ともに時間を過ごしてきた皆の顔が脳裏に浮かぶ。  苦労して捕まえてきた古生物達の姿も思い起こされる。    良いことばかりだったわけじゃないけれど。  全部が全部、悪い思い出ってわけでもない。    イエナオさんは、仲間達に真実は告げられなかったと言った。  NInGen社の実験場にされてしまった新六甲島を自分達〝島民〟の手に取り戻そうと意気込む彼らにとって、自分達が実は島民ではなく実験の産物だなどという話は、あまりにも残酷だからだ。  でも、俺は島の真実を知った今でも思う。  やっぱり、俺の故郷はこの島だ。  この島には俺の過去があり、今がある。    ミキもベルンシュタインも、未来を欲していた。  でも、俺は思う。大事なのは、未来だけじゃない。過去や今だって、やっぱり大切なのだ。    輪読会は未来のために過去を捨てた。けれどその決断の重みは、過去が重いからこそなのだ。  捨てずに済ませられるものなら、彼らだってそうしたかったことだろう。そして今の俺も、そうしたい。俺は、俺自身の過去が詰まったこの島とともに、未来へと進みたい。    だから―― 「だから、俺はやっぱりこの島の〝島民〟なんだ。……あんたは、気に入らないかもしれないけど」 「……ああ、気に入らないね。なーに自分が一番この島を愛してますみたいな顔してるのさ。ボクら本物の島民の方が、百倍はここを愛してるんだよ。だから――」  カイセイは話しながら、自らの血で濡れた手を懐に入れると、そこから何かを取り出した。 「ボクは、君を利用させてもらうよ。ボクらの大事な故郷を、守るためにね」  カイセイは、握りしめていた何かをこちらに向けて放り投げた。路面に落ち、こちらに転がってきたそれに目を向ける。  シリンジだった。 「中和剤だよ。ベルンシュタインの奴が持ち出した麻酔ガスのね。万が一吸ってしまった時のために、持ってきてたのさ」  俺は手を伸ばしてそれを拾い上げると、反対側の腕の袖をまくり、迷いなく突き立てて中の薬液を注入した。この期に及んで、この男が嘘をついているとは思えなかったのだ。  俺のその読みは当たり、次第に体に力が戻ってくるのが分かった。 「恩に着るよ」    立ち上がりながら、カイセイに向かってそう告げる。 「必要無いよ。言ったろ? ボクは、ボクの故郷を守るために、君を利用させてもらうだけさ」  カイセイの声は、一段と弱々しくなっている。しかし当人は、まるで自らのそんな状態に気づいてもいないかのように、地下空間で最初に出会った時に見せたような不敵な笑みを浮かべた。 「S級なんだろ? A+級ごときに、良いようにしてやられてんなよ」  それだけ言うと、カイセイは今の会話で体力を使い果たしたとでも言うかのように深く息を吐き、そして静かに目を閉じた。 「ああ、そうだな。格の違いってやつを、見せつけてやらないと」  こちらも、せいぜい不敵に聞こえるようにそう言葉を返す。しかしカイセイは、もう何の反応も示さなかった。
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