第一幕:野良ティラノサウルスに餌を与えないでください

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「おさまった……のか?」  凹みはするもののなかなかぶち破れない天井に業を煮やし、他の獲物を探すことにしたのだろうか。  俺は立ち上がろうとするが、それには上に乗ったままの班長が邪魔だった。 「班長……ものすごく重いので、早くどいてください」 「もっ、ものすごく重いってことはないだろ!」 「ああ、重い、すごく重い。圧死しそう。あっ、死ぬ死ぬ。班長のせいでもう死んじゃう」 「分かった、分かったから、軽々しく死ぬとか言うなよ、お前」  周囲を見ると、他の皆もそれぞれ立ち上がろうとしているところだった。  イエナオさんは頭を打ってしまったらしく、顔をしかめて後頭部に手を当てている。逆にツツジは持ち前のバランス感覚でうまいこと受け身を取ったのか、平然とした……というよりは、いつも通りのぼけっとした顔だ。  それにしても、今回ばかりは相手が正体不明すぎる。ここはいったん撤退し、作戦を練り直した方が良いのではないだろうか。あれくらい大きくて、なおかつ開けた道を通るとなれば、どんな生物なのか上空から確認できそうだ。新六甲島では人間が乗れる航空機の使用は大きく制限されているが、小型ドローンなら使えないこともない。  まずは空から撮影し、正体が確認できたところで、それに合わせた装備と作戦を決める。それがベストだろう。  そんなことを考えていると、予想外な方向から声をかけられた。 「ねー、私、あの目とか肌の感じとか、ちょっと見覚えある気がするんだよねー」  ツツジだった。  班長とイエナオさんが、揃って疑いの目を向ける。それもそのはずで、ツツジは第一班のメンバーの中で一番、危険古生物の種類を把握していない。しかし時折、他の追随を許さない勘の良さを発揮することがあるのもまた事実だ。 「あれが何か分かったのか?」 「うーん、もしかしてなんだけど、あれって――」  俺達は、その言葉を最後まで聞くことはできなかった。  それよりも早く、先ほどのものを上回る大きな衝撃が車を襲ったのだ。一度は立ち上がっていた俺達だったが、再びバランスを崩して床に転がることになった。そしてそのまま、壁まで転がっていく。  ギィィィー、と車体が軋む音がする。そして次の瞬間、轟音をたてて車は横倒しになった。 「今度は何が……」  無意識のうちにそう口に出していたが、何が起こったかなんて聞くまでもない。さっき襲撃してきた奴は、諦めて去ったわけではなかったのだ。  今や床になってしまった右壁に手をつき、再度立ち上がろうとする。そこで何気なく上を見上げた瞬間、俺は固まった。  車体が右壁を下にして倒れているため、上方には左壁がある。  そして、その左壁についた窓から、そいつがこちらを見下ろしていた。窓の間近にいた最初の襲撃時とは違い、今度は少し距離がある。だから、そいつの頭部の全体像が見えた。 「嘘だろ……」  馬鹿な。そんなはずがない。  呆然としているうちに、そいつの巨大な頭部が勢いよく窓に向かって振り下ろされた。 再び、轟音ともに車体に衝撃が走る。誰かが悲鳴をあげた。  直撃を受けた窓ガラスに無数の細かいヒビが入ったかと思うと、窓枠ごと落ちてきた。見れば、窓が外れるにとどまらず、上方の壁全体が凹んでいる。それも、先ほど天井が攻撃された時以上だ。窓がいくつかついている分、全体としての強度が天井よりも低いのだろう。  一度持ち上げられたそいつの頭部が、再度振り下ろされる。上方の壁は更に凹んだ。  まずい。このままだと、すぐに壁は壊されてしまうんじゃないか……?  俺は焦って、武器を探した。車内がしっちゃかめっちゃかになってしまっているせいで、元々身につけていたいくつかの護身用武器以外は、何がどこにいってしまったのか分からない。  何度目かの衝撃が車を襲った時、ついに耐えきれなくなったのか、キャウン、キャウンと悲鳴をあげて、パックが車体後方に向かって駆け出していった。見ると、横倒しになった時の衝撃によるものか、後部ドアが半分開いている。 「待て、パック!」  慌てて呼び止めるが、よほど怯えているのか、そのまま逃げ出してしまった。  窓越しに見える巨大な頭部が、車体の後部方向を向くのが分かった。やはり肉食動物、動くものには目を奪われるのだ。 「くそっ」  手近に転がっていたライフルをとっさに掴む。見ると、ツツジの銃だった。俺が元々持っていたやつは、車体が倒れた時にどこかへ行ってしまったらしい。  確か、これに装填されていたのは電撃で相手の動きを止めるスタンバレットだったはず。しかし、電気を流すためには、弾丸の先についている電極が相手の体に刺さる必要がある。あの硬そうな鱗に覆われた外皮に、果たしてこれが刺さるのか?  いや、考えている暇は無い。  駆け出そうとすると、後ろから腕を捕まれた。 「よせ、ハルツキ!」 「離してください、班長!」 「落ち着いて考えろ。そんな武器で何ができる!?」  効果が無いかもしれないことは百も承知だ。だが、こんなぐちゃぐちゃになった車内から、使えそうなものを探し出しているような余裕は無いのだ。  力づくで班長の手を振りほどき、車外に飛び出す。  くそっ、余計な時間を取られた。パックは無事だろうか。  前方に目をやると、もう遙か先へと行ってしまったパックの後ろ姿が目に入った。その後ろを、奴が追っている。巨体にはそぐわないスピードだが、幸いにしてパックの方が速いようだ。それを目にして、俺はようやく落ち着きを取り戻した。  改めて、遠ざかっていく奴の後ろ姿に目をやる。  窓越しに頭部を見ただけでは、まだ信じられなかった。だが、こうして全体像を見ると、もはや現実逃避もできない。  そこにいたのは、ティラノサウルスだった。  今まで見てきたような、全長二メートル程度のミニチュアではない。十メートルを超える、本物のティラノサウルスだ。  いや、厳密に言えば、あれが本当に本物を再現できているのかまでは分からない。しかし少なくとも大きさにおいては、本物に匹敵すると言って良い。  だが、なぜだ。NInGen社の研究者達がことごとく再現に失敗した巨大肉食恐竜が、なぜこんなところにいるのだ。何度ゲノム配列の推定をやり直しても、あの二メートルのミニチュアにしかたどり着けなかったはずなのに。  パックが、道から外れて森の中へと入っていった。ティラノサウルスもそれを追う。  あんなものを作るのにもし成功していたら、うちの社は嬉々として公表するはずだ。二メートルのティラノサウルスしか作れていないことは、RRE法の限界を示す例となっているため、社にとっては頭の痛い問題だったのだから。 「ぐぇっ⁉」  いきなり、背後から襟首を引っ張られる。振り向くと、そこには班長の顔があった。  あ、これは本気で怒ってる。いつも怒らせている俺だからこそ分かる、いつもとはレベルの違う怒りっぷりだ。 「ハルツキ……おまっ、お前っ……」  班長は絶句してしまった。普段はすらすらと罵倒が出てくるのに、本気で怒った時は逆に言葉が出てこなくなるらしい。  そして結局、ぼそりと一言だけいった。 「…………死んだら、どうするんだよ」 「すみません」  意外そうな顔をされた。 「今回は素直に謝るんだな」 「さすがに今度ばかりは、怒られても仕方ないと自分でも思ったので」 「いつもの遅刻は怒られても仕方ないと思っていないのか」  班長は呆れたように呟いたが、その表情から察するに、もう怒りは収まったようだった。 「良い雰囲気のところ悪いがな、あの狼が敵を引きつけてくれている間に次の手を考えねーとまずいぞ?」  イエナオさんが半分開いたドアから顔を出して、こちらに声をかけてきた。    確かに、だらだらと話していられるような状況ではなかった。またいつあいつが戻ってくるか分かったものではないのだ。 「べつに良い雰囲気とかでは……」などとぶつぶつ言っている班長を連れて、車内へと戻る。 「次の手を考えるよりも先に、むしろさっさとここを離れた方が良くないか? あのティラノサウルス、今はあの狼を追いかけているが、そのうちこっちに狙いをつけ直すぞ、きっと」 「やっぱあれ、ティラノサウルスなのか。マジかよ……」  班長の言葉を聞いて、イエナオさんは信じられないという顔をしている。  その気持ちは俺にもよく分かるが、しかし実際に見てしまったものは否定できない。 「そういえばさー、パックは無事に逃げ切れそうだったー?」 「開けた道でもあいつの方が速かったし、おまけにさっき森に入っていったからまず大丈夫だと思う。ティラノサウルスはあの巨体だと、木が密集している森では更に速度が鈍るはずだから」 「で、獲物を見失ったらあのうすらでかい奴は、その後でこっちに戻ってくるのか、やっぱり」 「まあ、そう考えるのが自然でしょうね」 「えー、なんでそんなこと分かるのー? っていうか、何で私達のこと襲ってきたんだろ。全員車の中にいたから、あっちからは車しか見えてなかったはずだよね? 車なんて食べられそうには見えないのに」 「それは……お前のせいだろうが」  一人だけ分かっていなさそうなツツジを、全員が睨む。 「え、なんでなんで?」 「お前が肉の容器の蓋を開けたせいで、臭いがすごい籠もってただろ? ティラノサウルスは鼻が良い。車内から漏れ出る臭いを嗅ぎつけてやってきたんだよ」 「じゃあ早くこの車から離れた方が良いんじゃないの?」  ツツジの良いところは、こういう切羽詰まった状況下で『ごめん皆、私が全部悪いんだ。私のせいで……』といった風に凹みだして余計な時間をとらせたりはせず、常に未来志向で考えるところである。ちなみに悪いところは、状況が落ち着き、反省点を考えるべき時になっても、いっこうに凹まないところである。 「それが、そうとも言い切れないんだ」  俺は溜め息をついて頭を振る。 「自分ではもうよく分からないけど、俺達の体にも既に肉の臭いが染みついてしまっているはずだ。となると、ここを離れてもティラノサウルスは臭いをたどって追ってくると見た方が良い。で、そうなった場合、パックと違って人間の足じゃ逃げ切るのは難しい。どのみちティラノサウルスと戦わないといけないのなら、ある程度は車の壁が守ってくれて装備一式もあるここで戦った方がまだ勝算があるかもしれない」 「肉の臭いが問題なのかー。あっ、それだったら、ティラノサウルスが戻ってくる前に肉を外に捨ててきたら良いんじゃないかな。そしたらティラノサウルスは臭いが強いそっちへ先に行こうとするだろうし、最初の計画通り睡眠薬入りの肉を食べさせられたら、そのまま捕まえられるよ」  ツツジ以外の全員が、顔を見合わせた。 「それは……」 「確かにそうか」  言われてみれば、実に簡単な話である。なぜ今まで誰もそれを思いつかなかったのか。やはり予期せぬ巨大ティラノサウルスの出現で、みんな混乱していたのだろうか。
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