第五幕:その古生物に、未来はあるか

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「がはっ、ごほっ」    岸へと引き上げられたミキは掌をぬかるんだ地面について身を起こすと、やっとの思いで水を吐き出した。  傍には、ミキを海から引き上げた兄の姿がある。その兄の体がふいにぐらりと傾いたかと思うと、そのまま横向きに倒れた。   「お兄ちゃん、しっかりして!」    狼狽えるミキに、兄は場違いに思えるほど落ち着いた様子で声をかけた。   「ミキ、お別れだ。ここからは一人でいきなさい」    一人できなさいなのか。それとも、一人できなさいなのか。いずれにせよ、ミキにとって受け入れられる言葉ではなかった。   「なんで!? そんな……そんなの、嫌だよ……。いっしょに逃げようよ!」    兄は静かに首を左右に振った。   「今の私では、ミキを守れないよ。それどころか、逃げる力すらもう残っていない。それに、私の体にはタグが埋め込まれている。ミキ一人なら逃げ切れるかもしれないが、私がいっしょだとすぐに見つかってしまう」   「私……私、今までずっと一人で、十年も頑張ってきたんだよ……? それで、今日やっとみんなとまた会えたのに、それなのにまた一人になれって言うの? そんなの、あんまりだよ……」    ミキは必死で訴えかける。  だが頭では、兄の言っていることが正しいと分かっていた。    体にタグが埋め込まれていないミキは敵にとって見つけにくい存在だし、たとえ見つけられたとしてもフトゥロス掃討作戦に参加している人間の大半はミキの顔を知らない。何も知らない無関係なネアンデルターレンシスの子供のふりをして誤魔化すことだってできるだろう。    しかしタグが埋め込まれたヒョウ型である兄と行動をともにしていては、そうはいかない。   「一人からでも、やり直せるさ。私達は、そういう生き物として生まれたのだから」    静かに涙を零すミキの頭を、兄は優しく撫でた。   「大丈夫だよ、ミキ。きっと、大丈夫」     「大丈夫……。私はきっと、大丈夫……」    ミキは自分自身に言い聞かせるように小さく呟きながら、ふらふらと歩いていた。  水を吸って肌に貼り付く衣服が重く、気持ち悪い。一歩進むごとに、髪や服からぽたぽたと水が滴り落ちた。夢中で泳いでいる時にどこかで切ったのか、水滴にはうっすらと血も混ざっていたが、その程度の怪我など今はどうでも良かった。    今来た方角から、遠い銃声が聞こえてきた。   「お兄ちゃん……」    これで、本当に一人になってしまった。    ミキは涙を拭う。    兄の死を無駄にしないためにも、私は逃げ切らなくては駄目だ。    血混じりの水を滴らせながら歩く。  一瞬、血の跡をたどってこられる可能性を考えたが、海に落ちてずぶ濡れになっているのが幸いして、海水で薄まった血は地面に染み込むとほとんど見えない。これなら心配する必要は無いだろう。    本当なら走り出したいところだったが、海面で強く体を打ち、その後岸まで泳いできたこともあって、もうそんな体力は残っていない。  それでも、とにかく足を進ませる。
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