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誘拐されたのは資産家の老婦人。夕暮れ時に、いつもの公園を散歩中に犯人に拉致された。
夜になって、犯人からの電話がかかって来て、老婦人の一人息子の嫁が出た。彼女の夫は10年前に亡くなり、一人息子も不慮の事故で、昨年亡くなっていた。
この屋敷には嫁と古株のメードと若いメード、そして老女のお抱え運転手が住んでいた。
「おたくのバアさんを預っている。1億円、用意しておけ!」と、ボイスチェンジャーを使った声が受話器から聞こえてきた。
「お義母は無事なんですか? 声を聞かせてください!!」と嫁が受話器にすがるようにして言う。
「今度、聞かせてやるよ。早く金を用意しな! 警察に連絡すると、ババアは殺すぞ!!」と言うと、犯人は電話を切った。
だが、屋敷の中では“若奥様”とメードたちに呼ばれている嫁には、警察に連絡するより他に術がなかった。
宅配便の業者や来客を装って、刑事たちが屋敷に集まり、電話に録音装置を取り付け、捜査本部と情報をやり取りするためのパソコンをセットした。
「奥さん、今度、犯人から電話が掛かってきたら、できるだけ話を引き伸ばして下さい。そして、これが一番重要なことですが、お義母様の声を聞かせてくれないと、金は払えないと言って下さい」
「そんな、犯人を刺激するようなことを言えません!」と嫁が刑事に強い口調で言う。
「大丈夫です。犯人の目的はあくまでも金です。余程のことが無い限り、人質に手は出しません。それにあなたとして、お義母様の安否は一番気になることでしょう?」と刑事に言われて、嫁は黙ったまま、頷いた。
朝になって、銀行から1億円の入ったアタッシェケースが届いた。それを待っていたかのように、電話が鳴る。犯人からだった。
「おはよう。金は用意できたかな?」と、受話器から例のボイスチェンジャーの声が聞こえてきた。
「はい、出来ています。それより、お願いです! お義母様の声を聞かせてください! お義母様の無事が確認できないのなら、お金はお渡しできません!」
「ああ、約束は守るよ。ほら、嫁が声が聞きたいとさ・・・」
「(ともえさん? 私よ!! お金は用意したんでしょうね? 絶対に犯人さんの言うとおりにしてちょうだい! 分かってるの?)」
「……」
「(まったくあなたはトロいから・・・必要なら私の部屋にある宝石類も全部売っていいからね。足りなければ、あなたが持っている分もね! ちょっと! 聞いてるの?)」
「……」
嫁の反応がないので、刑事たちが顔を見合わせて首を傾げる。
1人の刑事がメモ用紙に『返事をして下さい』と書いて、嫁に見せると、
「どうして約束を守ってくれないんですか! 早く、お義母様の声を聞かせてください! それとも、もう殺してしまったんですか・・・」と言って、嫁が泣き出した。
呆気にとられる刑事たち。受話器の向こうでは、犯人がキレて、
「なにふざけてやがんだよ!! どうせ警察から時間延ばしをしてくれって頼まれたんだろう? ならもうここで終わりだ!」
バン! バン! バン! と、受話器から3発の銃声がして電話が切れた。
数時間後――郊外を流れる大きな川で、射殺された老婦人の遺体が発見された。金は無事だったが、人質の死亡という最悪の結末となった。
嫁はショックのあまり、寝込んでしまい、屋敷を後にする刑事たちは、古株のメードが見送った。
ふと、1人の刑事が、そのメードに何気なく聞いた。
「あの金と、この屋敷や資産は、あのお嫁さんのものになるんだよね?」
「はい、そのように聞いております」
嫁については、内々に調査が行われ、犯人の一味ではないことが分かっている。
「だけど不思議だよね、姑の声だけ聞こえないなんて。専門家に聞いたら、突発性の難聴の類(たぐい)だろうってことだけど……。ところでさ、あの嫁さんとお姑さん、うまく行ってたの?」
すると、メードは余所を向いて、吐き捨てるように言った。
「そんなの、聞くまでもないでしょう!」
(終)
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