毒見役

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 ひとつの林檎。  これを食べることが、今日の私に与えられた役目だ。 「始めて」  若いながらも、王女さまの声には、既に威厳の色が見え隠れする。 「はい。かしこまりました」  青い模様の描かれた食器。銀色にぴかぴかと輝くナイフとフォーク。それらを白い絹で丁寧に、丁寧に拭う。 「では、失礼します」  絹の手袋を脱ぎ、素手で林檎を掴む。  銀のナイフを突き立て、まずは半分に――  それをさらに半分に、そしてさらに半分に。  八等分した林檎の中央、種の集まったところを切り取り、それらを慎重に八つ並べる。円い皿の上に広げられた花弁のような八つの林檎。それを、王女さまの前に置かれたテーブルに置く。配置が乱れないよう、そっと。林檎の皮は真っ赤で、果樹園の中から飛び切り見た目がよく、赤々としたものを選りすぐっただけはある。  王女さまは何百回もこれを繰り返しているのだ。うんざりとした目つきで、八つのうち一切れを差し出した。 「これ」  私は失礼して、銀のフォークを手に、王女さまが差し出した一切れに差し込む。 「失礼します」  それを食べる。  王族御用達の果樹園で、丹精込めて作られた林檎。王国中の技術と経験、そして知恵の結集したそれは、今まで私が食べていたどんな食べ物よりもおいしかった。緊張で、味なんてわかったものではないけれど、私はゆっくりとそれを味わい、飲み込んだ。  王女さまは私の食事を、しげしげと眺めていた。私が一切れを食べ終え、それからしばらくはじっと座っていた。私は王女さまのきれいで小さな顔を、出来るだけ直視しないように、素知らぬ顔ですましていた。やがて、ふん、と王女さまは溜息をついた。 「では、あなたが食べさせてください。あなたが使ったその食器で」 「はい」  私はフォークで林檎を一切れ串刺し、王女さまの口元に運んだ。 「失礼します」  王女さまは小さな口を開いて、私の差し出した林檎をもぎ取った。  しゃりしゃりしゃりしゃり。  みずみずしい果実のかみ砕かれる音がする。  王女さまは、おいしい、とか、まずい、とか、そう言うことを一言もいわない。 「もうひと口、ちょうだい」 「はい、では――――」  突然、私の胃袋が焼けるように痛み、喉にほこりが付いたような違和感。こほんと軽く咳き込んだつもりが、どぼっと大量の血が口からこぼれた。 「ご、ふ……」 「食べさせて」 「は、はい……」 「はやく。あなたの手で食べさせて」  指先がぶるぶると震える。  それでもフォークを王女さまの口元へ運んだ。王女さまは林檎を口にくわえ、フォークから抜き取ったが、そこで私の腕からがくんと力が抜けた。フォークは王女さまの唇を切り裂いて、赤い血がぽつぽつと垂れおちた。 「も……ぼうしばけ(申しわけ)ふぁりません(ありません)……」  からんとフォークが落ちる。私の口の中から、血と、そうではない何かどろどろした液体がたくさんこぼれ出てきて、言葉もままならないほどだ。  王女さまはその林檎を加えたままで、私の首をぐいと引き寄せた。そして、口の中の果実を私の口に移す。血と吐瀉物の匂いのなかに、一切れの甘い香りがする。それは林檎の香りと、それから王女さまの髪の毛の匂い……  果実は半分の辺りでぼきっと折れて、私たちは互いにそれを食べ合った。 「これで、私たちずっと一緒よ」 「はい……ありがとうございます、王女さま」 「もう、最後くらい、名前で呼んで……?」  ごぼっと王女の口からも血がこぼれていた。  食事用のナプキンが血で汚れ、服が真っ赤に染まる。私たちは互いに唇を寄せ、お互いの血と毒を交換し合った。 「呼んで……」  そう言いながら、王女さまは私の口をふさぐ。 「呼んで、名前で呼んで。あなたに名前で呼んでほしい……」 「ふぁ、ふぁ」  だけど、私の意識は遠のいていく。  それと、王女さまの意識が薄れていくのは、ほとんど同時だった。私の方が体が大きく、毒に耐性があるので、先に私が食べ、あとから王女さまが食べる。こうすることで、私たちはふたり同時に逝くことができる。  口を精いっぱい動かした。  だけど、血が肺に流れ込んで、言葉が出なかった。それに、意識がもうろうとしていて、ちゃんと言葉を発せられたかは分からなかった。  だけど、王女さまは笑っていらっしゃった。  だからきっと私はちゃんと呼べたのだろう。  これでようやく、お役目を果たすことができたと思うと、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
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