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「弟がバレンタインの日に貰ってきたブラウニー、石みたいにガチガチでさ。なんか気の毒になったから、昨日購買のブラウニー買って帰って、弟にあげたの。そしたら、ああホンモノだわ、って呟いてた」  美術室の中で笑い声が響いた。顧問の石井先生は放任主義で、ほとんど美術部の活動に顔を出さない。歩美と真由と千夏は絵筆を置いたまま、チョコがしみこんだスナック菓子とストローを刺した紙パックの紅茶を傍らに、もう小一時間も話し込んでいた。  彼女たちは高校二年生。三年生たちはもう引退しているので美術室には滅多に来ない。その日の活動に参加していた一年生は二人。美術室の奥にキャンバスを立てて、四月の新入生歓迎会で披露するための作品を作り始めていた。  その二人の横で、黙々と満月の絵を描いていたのが光村楓。彼女もまた二年生だが、美術室にいる間おしゃべりに加わることはほとんどなかった。  楓と歩美たちとの仲は決して悪くない。ただ、部活の時間中は絵を描くことに集中したいのだというオーラがみなぎっていたので、歩美たちも彼女を無理に会話に加えることはしなかった。かと言って、楓に遠慮しておしゃべりをやめるということもせず、思い思いの放課後を過ごしている、といったところだった。  ミルクティーのストローを齧りながら真由が、 「でも歩美の弟くん、その失敗ブラウニーもらったの、ちゃんと嬉しかったんじゃないかなあと思うよ」 と言うと、千夏もうんうん、と頷く。 「不器用ながらも、俺のためにがんばってくれたんだ、みたいなね」 そうそう、と真由が応じた。歩美はえー、と低く声を漏らした。 「どうせなら美味しいものもらいたいけどなー私だったら」 「味じゃないんだよ、誰がくれたかが重要!」 「たしかに!あたし、イケメンがくれるものだったら…納豆巻でも嬉しい!」  また大きな笑い声が起こる。一年生の二人も、クスクスと笑っているようだった。  それでも光村楓だけは、絵の中の満月にじっと目を凝らしていた。
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