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円満な結婚
いち はじめ
一人の女性が小さな興信所を訪れていた。
ショートカットの髪型で三十歳後半、モノセックスな服装の女性であった。夫が浮気をしているのではないか、との疑念から興信所に夫の身辺を調べてほしいと依頼をしに来たのであった。
「結婚した時から、少しおかしいなとは思っていたんです。同性の友達は少なく、女性の友達がやたらと多くて……」
「でもそれだけでは浮気とは言えないでしょう。込み入ったことを聞きますが、夫婦仲はどうですか。おいやでしたら無理にお答えにならなくても結構ですが」
「夫婦仲は悪くないです。家事も率先してやり、料理などは私より上手なくらいで、また子供の面倒、――娘が一人いるのですが――、本当に良く面倒を見ます。ですので、私は主人をとても尊敬しています。ただ……」
「ただ?」
「性交渉は結婚当初から、あまりありません。何というか、お互いに求めていないというか」
「そうですか。ならばなぜ浮気を疑っておられるのですか」
「ええ……、この前、主人の出張用の鞄に女性ものの下着があって……」
「なるほど、それで浮気を疑われたと。しかし普通、浮気をしている男性はそんなものを家に持ち帰ることはしません。浮気相手が、相手の奥さんに自分の存在を誇示するために、わざと入れるということはありますが……。何か他に気が付いたことはありませんか。知らない女性から電話が掛かってきたとか、見知らぬ女性が家の前にいたとか」
「いえ、思い当たる節は……」
「可能性として、ご主人に女装趣味がおありになるのかもしれませんね」
「まさか」
「ご主人が、女性のファッションにやたらと詳しいということはありませんか」
「……そういえばとても詳しいです。結婚前からいろいろアドバイスをもらいましたけど、それは私に対する好意だと思っていました」
「そういう点も含めて調査してみましょう。最後に確認させてください。どのような調査結果が出ても受け入れる覚悟はおありですか」
「はい。お願いします」
彼女は深々と頭を下げて、事務所を出て行った。
その数日後、今度は一人の男が興信所のドアをたたいた。
「妻の素行がおかしくて、ちょっと調べてもらえないか」
「どうおかしいのですか」
「このところ、服装に気を使わなくなった。元々おしゃれな方ではなかったのだが、近頃男女兼用のものばかり着ている」
「派手になったのなら心配でしょうが、それなら問題ないのでは?」
「それはそうなのだが、相手の趣味に合わせているのかもしれない。何かを隠しているような気がして、一度調べてほしい」
「分かりました、お受けします。こちらに必要事項をご記入ください」
男は書類を整えると、前金を渡して出て行った。
その書類を基に、依頼内容をパソコンに入力していた女性事務員は、タイピングしている手を止めて、所長を呼んだ。
「今日来た男性って、先週、浮気調査を依頼してきた女性の旦那さんではないですか?」
どれどれと、キャビネットから取り出した女性のファイルを、男の書類と見比べていた所長は、本当だと声を上げた。
「こんなことは珍しいな。夫婦でお互いを疑っているのか……。何か訳ありだな。まあ仕事としては依頼通り、きちんとやるだけだなんだが」
その後の興信所の調査では、二人が不貞を働いている証拠は見つからなかった。しかし調査結果は、その夫婦の別の問題を示していた。思案した所長は、思い切ってこの調査結果を、二人同時に伝えることにした。
その日奥さんは予定時間の三十分前に現れ、そして予定時間通りに夫が現れた。このことを知らされていなかった二人は、興信所の応接室で顔を合わせると、不信感を隠さず言い合いを始めた。そこへ所長が、まあまあ落ち着いてと言いながら、二人の向かいの席に着いた。
「これはどういう事なんですか」
「そうですよ。守秘義務違反でしょう」
「申し訳ございません。これは私の一存でしたことです」と、所長はテーブルに頭を打ち付けようかという勢いで謝罪した。
「納得いく説明が欲しいですね」
「妻が言う通りですよ」
二人は先ほどの諍いがなかったかのように、既に共闘態勢に入っている。
所長は頭を上げると、二人の前に調査報告書を滑らせた。
「結論を申しますと、お二人のご依頼に対して、真摯に調査しましたところ、お二人がお疑いになるような事実は認められませんでした」
「何だ、そうなんだ」
二人は同時に胸をなでおろし、ばつが悪そうな表情で見合った。
「なら一人一人に報告すればよさそうなものなのに、何故我々を同席させたのですか」
奥さんが、まだ鉾は収めていないぞという勢いで所長を問い詰めた。
「まあこれは、依頼の内容から逸脱しているのですが、実は調査の過程で、お二人が疑念を持った理由が分かりました。それはお二人同時にご説明した方が良いと判断いたしまして」
所長はポリポリ頭を掻きながら、姿勢を正した。
「ご主人は浮気をされているのでもなく、女装趣味があるのでもありません。また奥さんも不貞相手の趣味に合わせている訳でもありません」
二人はいまや息をのんで所長の説明を聞いている。
「ただお二人は、互いに重要なことを隠していらっしゃいます」
「えっ、何ですかそれは」
二人は複雑な表情で、所長のつぎの言葉を待っている。
「あなた方お二人は、ご自分が性同一性障害であることを隠して結婚されていたのです」
沈黙に覆われた応接室を、二人の歓喜の声が満たしていく。
「このウソつき」
(了)
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