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「知人の忘れ形見だよ。事故で家族が死んで他に行くところがないんだ、うちにおいてやれないかな」 妻は私の説明をあっさり受け入れ、事故の生き残りの少年に大変な同情を示した。 「今日からここがあなたの家よ、どうか遠慮せず過ごしてね。何でも頼ってちょうだい」 妻に話しかけられた少年は驚きに目を見張り、殆ど言葉を返せない。 後で私にこっそり聞いてくる。 「あの人、あなたが何してるか知ってるの」 「いや、話してない。銀行員だと思ってる」 「だまして結婚したんだ。ばらしたらどんな顔するかな」 「子供の言うことなんて信じないさ」 「やってみなきゃわかんないだろ、あんたが使ってる拳銃を見せればいやでも」 「保管場所がわかるのか」 「うっ」 「それ以前にこの私からそうやすやすと得物を取り上げられるとでも?」 「ぐっ」 素直な反応にほくそえむ。からかい甲斐があるところがますます気に入った。 彼を息子として育てるのに際し、雇用主のマフィアにはある条件を突き付けられた。私はそれを呑んだ。 妻とはすぐうちとけた息子だが、一か月、半年、一年たっても私には心を開かなかった。 仕事で家を空ける日は息子に留守を任せた。家にいる時は四六時中息子の視線を感じた。銃の隠し場所を突き止める魂胆か、隙を突いて両親の敵討ちを企てているのか。どちらにしろ気配の隠し方がまるでなってない。 先は長そうだな。 書斎で銃の手入れをしていると、扉の前を落ち着きない気配が行き来する。 油を染ませた布で銃を磨くのを中断し、明朗と声を張る。 「入っていいぞ」 扉の向こうであせる気配。数呼吸後、遠慮がちにノブが回ってドアが開く。やはり息子だ。 書棚に犇めく蔵書とセピア色の地球儀、飴色の光沢を帯びた机。初めて足を踏み入れた書斎を物珍しそうに眺め、口を開く。 「殺し屋の部屋っぽくない」 「もともと父の部屋だからな。その名残りだ」 「父親も殺し屋だったの」 「想像に任せる」 皮肉っぽく口角を吊り上げれば、それに応じて息子がむくれる。 「足音たてないように気を付けたのになんでわかるのさ」 「付きっきりで見張っても無駄だ。お前の手が届く場所に銃をほったらかすようなヘマはしない」 不満そうに立ち尽くす息子をあえて無視、リボルバー銃の点検を再開する。商売道具は常に万全の状態にしておきたい。 日頃は必要以上に近付いてこない息子が、真剣な面構えで一歩踏み込む。 「撃ち方を教えてほしい」 「駄目だ」 「どうして」 「まだ体が出来上がってない、反動で肩が外れるぞ」 「大袈裟だよ」 「銃を手にする資格があるかどうかは銃が審判する」 謎かけのような発言に瞬き、息子の顔に疑問符が浮かぶ。 私が意味不明な事を言って煙に巻こうとしていると断じ、まなじりをキッと吊り上げる。 「どーゆー意味だよ」 「銃口を覗いてみろ」 「……」 「安心しろ。弾は抜いてある」 机においたリボルバーを息子の方へ滑らす。言われたとおり片目を眇めて銃口を覗く。 「真っ暗で何も見えない」 「残念、失格。まだ早いということだ」 「意味わかんない」 「銃口の中には天使と悪魔が住んでいる。天使の祝福がもらえないうちは半人前だ」 意想外の回答に虚を突かれ、次いで猛然と怒りだす。 「子供だましだな、銃の中に天使と悪魔が住めるわけないだろ狭いのに。ていうか天使と悪魔なんかいるわけない、銃を持たせたくないからそんな馬鹿馬鹿しい嘘吐くんだろ」 天使と悪魔はお話の中にだけ出てくる架空の存在だと言い張る息子に、足を組んで問い直す。 「悪魔の証明を知ってるか?否定するものには立証責任がないとする考え方だ。神でも天使でも悪魔でも幽霊でも妖精でも、否定するヤツはただ自分が見てないことだけを根拠に挙げる。視覚は主観に依存するから否定の根拠としては弱い」 「くどい」 「連中に大きさは関係ない、広さもどうでもいい、自在に伸び縮みできるんだからその気になれば銃口にも引っ越せる。お前が天使の祝福を授かれないのは銃を手にする資格が備わってないからだ、少なくともまだな」 いい機会だ。 父の形見のリボルバーをケースに寝かせ、前々から気になっていた事を聞く。 「あの夜、銃口の中に何か見たのか」 天使と悪魔の存在を否定するなら、あの時何を見たのか。 すると彼はたっぷり間を持たせたのち、先刻の意趣返しとばかりしゃあしゃあと言ってのける。 「人殺しには教えない」 「出ていけ」 矢のように書斎を飛び出していく背中を見送り、子育ての難しさを痛感した。
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