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3
息子に銃を持たせたのは14の時だ。
妻に職場見学と偽り、息子を車で連れ出した先には組織の訓練場がある。
「手で持ってよく狙え。足は肩幅に踏み構えろ。目は瞑るんじゃないぞ」
「わかってるよ、うるさいな」
引鉄を引く。銃声。等身大の人間を模した的の肩に穴が穿たれ、声変わり途中の息子が、「やった」とかすれた歓声を上げる。
「喜ぶな。頭か心臓を狙え」
「なんでだよ」
「無駄に苦しめたいのか?即死が一番だろ」
心の隙間に未練が入り込む暇を与えず。
両親の最期を思い出したのか、息子は神妙な表情になり、小さく頷いた。
撃ち放しをしながら話をする。
「昔言ってたの、やっぱり嘘?」
「何の話だ」
「銃口に天使と悪魔が住んでるって話。何度見てもただ真っ暗なだけ。さわらせないようにする方便だったのか」
乾いた銃声が鳴り響き、的の心臓付近が破裂する。
「仕返しされると思ったの」
今度は眉間が破裂。さすが私の息子、筋がよいと感心する。
「天使と悪魔は自由自在に現れては消える。その時までは姿を見せない」
「まだそんなでたらめを」
息子の顔に滲むいらだちを見てとり、懐かしくなる。
「子供の頃、父の書斎に呼ばれて同じ事を言われた。銃口には小さい天使と悪魔が住んでいて、どちらが見えるかで死後自分が行く場所がわかると」
息子の動きが止まる。
「天使が見えたら天国で悪魔が見えたら地獄?」
「何度覗いても真っ暗だったよ。冷えた虚無だ」
銃口の奥には吸い込まれそうな闇だけが広がっていた。
正面から向き合わなければ、あの底なしの磁力はわからない。
「どんな人だったの」
「父は師でもあった。私に殺しの術を叩きこんだ。普段は無口で何を考えてるかわからない人だったが、上手く的に命中させると無言で頭をなでてくれた」
「殺し屋だったのか」
「一流の」
「血は争えないね」
「私のリボルバー銃は父から受け継いだ父の形見だ」
「それで母さんと父さんを殺したの」
憎々しげに歪む横顔。的を凝視する目に苦渋が滲む。
数年間一緒に暮らし、ぎこちなく親子をまねても復讐心はまったく衰えてない。ばかりか、激しさを増す一方だ。
「息子を人殺しに育てるなんて最低な父親」
「だから殺した」
「え?」
空白の表情の息子に向き直り、罪を告白する。
「私が殺したんだよ。今のお前より少し大きい時だ」
二十年前、冬枯れの墓地で対峙した父親の表情が思い浮かぶ。
全てを受け入れた諦念の表情。この結末を予期していた顔。
「親子そろって人でなしだね」
「人でなしの血が流れてなくてよかったな」
銃口がかすかに震え、的の延長線上からゆっくり離れてこちらを向く。
息子の目は平かに凪いでいた。透徹した覚悟の色だ。
正直、ここで殺されても文句は言えないと思った。私は彼の親を殺した。彼はそれを見た。因果は応報する。
不感症的に目を閉じ、無防備に身をさらす。今さら銃口を見たくはない、そこにはただ闇が在るだけだ。人間は皆闇の中で死ぬ。人殺しは一際冷たい闇の中で死ぬ。
魂が潰れるような、長く太いため息が聞こえた。薄っすらと目を開けると、息子が肩を窄めて銃をおろしたところだった。
「何故撃たない?」
「義母さんが哀しむから」
私との関係が冷えきっているのに反し、妻と息子の仲は極めて良好だった。
殺したい衝動と殺せない葛藤がせめぎあい、打ちひしがれて立ち尽くす息子の背後に影が迫る。
咄嗟に息子の名前を叫び、前に出た。
肩に衝撃が爆ぜる。神経が集まっている為、激痛で息が詰まる。
視線の先で銃を構えているのは、私が先日処分したギャングの子分だった。
「よくも兄貴を!」
ドラッグでもやっているのか、子分は両手で銃を構えて今度はしっかり心臓を狙い―
耳元で甲高い銃声が炸裂、今しも引鉄を引こうとした眼前の子分が仰け反る。
息子が撃ったのだ。
「……私を隠れ蓑にするとは」
肩の痛点を抉られ、子分は地面でのたうち回っている。
生まれて初めて生身の人間を撃ったせいか放心状態でいる息子の手の中、銃口から立ち上る硝煙が風に吹きちぎられ、左右対称の形を描く。
硝煙でできた天使の翼。
脂汗に塗れた顔に笑みを拵え、たなびく硝煙が宙に形作る翼を指さす。
「ほらな」
肩の負傷で上がらない右手の代わりに、発砲の際はただ添えるだけで、利き手ほど血に汚れてない左手を持ち上げる。
肩の傷に響くのを堪え、どうにか掲げた左手で低い位置の頭を包む。
「よくやった」
共に暮らし始めて数年、初めて私に頭をなでられ、戸惑いがちにはにかむ息子が誇らしく愛おしかった。
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